
その話し合いに必然性はありますか?授業づくりに通じる対話の極意
どうも、小中不登校から教師になり、地域の居場所を運営しているJUNです。
「あなたも、最近の会議や集まりで、死んだような目になっていませんか?」
一生懸命準備して、モチベーションを高めて参加したはずなのに、終わってみれば「……で、結局何が決まったの?」と虚無感に襲われる。そんな経験、一度や二度ではないはずです。
本日の授業は、「いやいや話し合わせる気あるの?」という、少し毒気のある、でも僕たちにとって非常に大切なテーマでお話ししたいと思います。
この記事を読むことで、あなたは以下のベネフィットを得ることができます。
無意味な会議や集まりで感じるストレスの「正体」が分かります。
内向的な性格を「弱み」ではなく、対話における「最強の武器」に変える方法が学べます。
心理学に基づいた、本当に大切にすべき人間関係の選び方が明確になります。
僕のような内向的な特性を持つ人間が、どうやってこの「話し合いの通じない世界」を生き抜いていくべきか。たっぷりとお話ししていきます。
期待が大きかったからこそ、落差に絶望した
先日、ある有識者の方々と話し合う機会がありました。 実はこの会議、毎年参加させていただいているんですが、去年までは正直、僕があまり興味を持てないような話題が中心でした。
でも、僕は学校の代表として出なきゃいけない立場ですから、一応「ふんふん」と聞き役をこなし、「立場が違うと、考え方もこう変わるんですね」なんていう、当たり障りのない第三者的な意見を述べてやり過ごしていたわけです。
ところが、今回は違いました。 テーマが「これからの子ども像」だったんです。
この激変する社会の中で、僕たちは子どもたちにどのような力をつけていくべきか。 まさに僕が日々、学校現場や地域の居場所運営、そして不登校支援の中で考え続けている「ド真ん中」のテーマだったんですよ。
「よし来た!」と思いましたね。 いつもよりも前のめりで、言いたいことも聞きたいこともたくさん抱えて、勢いよく参加したんです。
話し合いの場を壊す「三つの欠陥」
僕が抱いた違和感を言語化すると、大きく分けて三つに分類できました。
① 人数過多 = 「発言権の奪い合い」
これね、小学校の授業づくりや、会議を主導する立場の人なら共感してくれると思うんですが、人数が多すぎると発言が回ってこないじゃないですか。
どれだけ強い想いや、鋭い切り口、あるいは他の人の意見に対する「もっと詳しく聞きたい」という質問があったとしても、順番に一人ずつ発言していくだけの形式だと、自分の番が回ってくる頃には、話題が全く違う方向に飛んでしまっている。これでは「対話」になりません。
② 深まりゼロ = 「ボールの投げ捨て大会」
話し合いの本質っていうのは、意見と意見がぶつかり合う「コンフリクト(葛藤)」の中にあるはずなんです。A案とB案をぶつけ合って、そこから新しいC案を生み出す。あるいは、お互いの立場の違いを深く理解する。それが理想ですよね。
僕としては、学校現場の現実や、不登校の子どもたちの視点、さらには自分自身の子育ての経験といった「複合的な立場」から、ズバッと切り込んだ意見を投げたつもりでした。それに対して、周りがどう反応してくれるのか。キャッチボールがしたかった。
だけど現実は、みんなが自分の言いたいことを「投げっぱなし」にしているだけ。僕が投げたボールを誰も拾わず、また別の人が違う方向にボールを投げる。司会者も「あ、いいですね。では次の方」と流すだけ。
③ ゴール不在 = 「やった感という名の集団催眠」
膨大な時間をかけて話し合った結果、「はい、何が残りましたか?」「何が決まったんですか?」と聞いた時に、誰も答えられない。「顔を合わせられて良かったね」「集まれて良かったね」という、いわゆる「やった感」だけで終わってしまうんです。
このような条件が揃うと、「今年も無事に終わったから、それで良し」という主催者側のやる気のなさが透けて見えてしまったんです。
授業づくりと「話し合いの必然性」
この「話し合いの問題」は、学校の授業づくりにもそのまま当てはまります。 子どもたちが全然手を挙げない、話し合いが盛り上がらない。そういう時、教師が考えるべきは「テクニック」ではなく、「その話し合いに必然性があるか」ということです。
子どもたちが「この問題を解決したい!」と心から思っているか。 自分なりの意見を持っているか。 そして、意見がぶつかり合う(コンフリクトする)余地があるか。
もし全員の答えが最初から決まっているなら、話し合う必要なんてありません。まずは調べ、知識を蓄え、自分の頭で考える。その上で、「どうしてもここが譲れない」「相手の考えが知りたい」という状態を作って初めて、本物の話し合いが生まれるんです。
教師である僕自身が、中身のない有識者会議にイライラしているわけですから、子どもたちが「やる意味のない話し合い」に冷めてしまうのは、当然のことなんですよね。
結論:いやいや、話し合わせる気がない場所からは逃げてもいい
今日の授業の結論です。
もしあなたが、僕と同じように「この話し合い、意味あるの?」「キャッチボールになってないじゃん」と感じる場に立ち会ったら、距離を取るという選択肢が必要かもしれません。
僕たちは、自分の限られた時間とエネルギーを、もっと大切に扱うべきです。投げっぱなしのボールを拾う必要はありません。それよりも、あなたの言葉を待っている人、あなたの投げたボールを必死で追いかけてくれる人との「たった一つの本物の関係」を育んでください。
儀式的な会議で「いい人」の仮面を被って死んだような顔をする時間は、もう一秒もいりません。
不登校の子どもたちも、内向的な大人たちも、みんな自分の「デコボコ」を愛しましょう。その凹んでいる部分があるからこそ、誰かの出っ張っている部分と、パズルのようにガチッと噛み合うことができる。それが「本物のつながり」の始まりです。
【お知らせ】
最後に2つお知らせがあります。
1. 地域の居場所を応援する(noteメンバーシップ) 不登校の子どもたちや、居場所を必要としている人たちのために、看板の広告費や日々の運営費を確保する必要があります。こちらのnoteメンバーシップから、僕の活動を直接応援していただけると嬉しいです。僕たちが「自分らしくいられる場所」を一緒に守っていきましょう。
2. 自分の特性を深く知る(Kindle本) 今日お話しした「孤独のメリット」や「内向的な人の生存戦略」について、さらに深掘りした内容を、拙著『孤独になる才能』にまとめています。Kindleで手軽に読めますので、あなたの人生のメガネを研ぎ直すきっかけにしてください。
それでは、本日の授業はここまで。 また次の授業でお会いしましょう。
じゃあね!