
世界の認識がガラリと変わる 「現実はいつも対話から生まれる」
ワークショップをする上で基礎となる社会構成主義についてわかりやすく解説してある「現実はいつも対話から生まれる」。言葉は聞いたことがあったものの、この本を読んでようやく中身を知りました。
「現実」はどうやって作られる?
社会構成主義において現実とは、そこにいる人々が「そうだ」と同意して初めて存在するものとなるそうです。「社会」は関係性で「構成」されているという「主義」ということ。
例えば同じプロジェクトでも、
A「こんなの今までの焼き直しでつまんないよね」「本当にそう!あーあ早く終わらないかなあ……」→つまらないプロジェクトという現実
B「今までと同じだけど、少しでも創意工夫したいんだ」「そうだね、ちょっとずつ改善していこう!」→やりがいのあるプロジェクトという現実
と、関わる人の認識次第で全く違う意味合いになるイメージでしょうか。
唯一無二の真実はない
根本にあるのは、「絶対唯一の真実というものは存在しない」という考え方です。端的に示している昔の広告があります。
「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」
どうやら2013年の新聞広告のコンテストで最優秀賞をとったものだそうですが、ずっと記憶に残ってる広告です。
桃太郎側の人々にとっては鬼は悪、退治すべきもの。でも鬼の立場からしたら何か言い分があったかもしれないし、やっつけに来る桃太郎が悪になります。
話は逸れますが、個人的に、ディズニー・ピクサーは「絶対悪」の敵がいてやっつける構図が多く、ジブリは「悪い人にも抱える事情がある(必ずしも悪とは限らない)」が見える映画が多いなあと思ってます。余談。
本書では様々な例を元にいかに今の自分の捉え方がある一定の価値観だけで捉えていたのかということがわかるようになっています。そのレベルで捉え直すの?!と思った例はこちら。
なぜ、私たちは「医療科学は病気を治すものである」という事実を、「バイアスがかかっていないもの」として受け入れているのでしょうか?
それは、医師が身体の中に確かな変化をもたらすことができるということに私たちが価値を置いているからです。その「価値観」は、「治す」という言葉に象徴されています。
もし誰かが、これと全く同じ専門行為を「自然の在り方に介入する」と表現したら、私たちは「バイアスがかかっている」と言うでしょう。
徹底的な多元主義
この、「唯一無二の真実はない」ということは裏を返すと、「多元主義」と言えるようです。
「これだけが正しい!」「私が正しい!」という時は、自分の価値観のみで世界を捉えている状態。
同じ事象でも「こう捉える人もいる」「こう考える人もいる」と理解しているのは、多元的に捉えられている時かと思います。私にとっての真実は他の人にとっての真実とは限らないということを肝に銘じる必要があると感じました。
関係性で意味が作られる
話は戻って、現実が、そこにいる人々が「そうだ」と同意して初めて存在すると言うことはつまり、対話・コミュニケーションによって現実が作られていくとも言えそうです。
つまり、対話を重ねていくことで、今ある現実の認識を変えていける。それは、「唯一無二の真実」を押し通すのではなく、「他の人の見方」をお互いに理解しながら、新しい現実や意味を作り出していくということです。
どう活かしていくか?
友達、子ども、夫婦、職場、クライアント、どんな相手でも、「自分とは異なる見方をしてるかもしれない」という前提に立つことで、イライラが減ったり、新しい解決策が生まれたりと、新たな関係性が展開されるということを意識したいと思います。
また、ワークショップの意義を説明する上でも役立ちそうです。ネットで検索してすぐわかる答えと、ワークショップで答えを導き出すのでは何が違うのか?多様な人たちの集団の中で、対話で新たな現実をつくっていくことができる、そうできるような設計をしていかないといけないなと改めて思いました。
(その他実例は今後まとめていきたいと思っています)
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