
無知の姿勢で対話に挑む 「ナラティヴ ・時間・コミュニケーション」
著者の野村直樹氏の講演をベースにしてまとめてある「ナラティヴ ・時間・コミュニケーション」。コミュニケーションの原理や、対話がうまく噛み合わない時に無知の姿勢をとることの重要性などが書かれています。
コミュニケーションの原理
コミュニケーションの大前提は、インターアクション(相互作用)とフィードバックだと書かれています。その前提に立った時、誰かと誰かが向かい合った時、たとえ何も話さなかったとしてもコミュニケーションは行われています。
それは、相手に伝わるメッセージが無意図的(message given-off)なものも含まれるからです。
例えば、「大丈夫!」と言葉では言いながらも、本人は意図せず “大丈夫と思ってはない” という表情が発せられてしまう、というようなことです。これは、対面のコミュニケーションに限らず、電話ならちょっとした間のでき方、メールなら絵文字の使い方なども広く含まれます。
つまり、100%客観的にフラットで同じ意味が伝わる「ただの言葉」というものは存在せず、すべてがコンテクスト(文脈)を伴ってしまうということです。
ナラティヴとは
ナラティヴ は訳すと「語り」や「物語」となるそうですが、社会構成主義の文脈において、「事実」というものは存在せず、すべてはその現象に対するナラティヴ (とそれに伴った言葉)があるだけということになります。
例え歴史的な「事実」であっても、それは語る人のナラティヴ (視点)によっては真逆なことになり得るということです。
対話の出発点は、無知の姿勢
私とあなたのナラティヴ は違う、という前提に立った上で、対話がスムーズにいく方法として「無知の姿勢(Not-knowing)」というものが紹介されています。
これは、相手のナラティヴ に無知なことを前提として対話をスタートせるスタンスや心構えのことを言います。
コツは、①相手に語るではなく、相手と共に語るというスタンス、②専門用語は使わない、③すぐにわかった気にならず理解途上に留まること、だそうです。
また、誰かと誰かの間に立って調整をしなければならない時は、中立に立つのではなく、学習者という立場で、Aのこの点はわかるがここはわからない、Bのこの点はその通りだけどここはわからないな、と部分的に肩を持つことで良い結果が生まれるのではと書いてあります。
無知の姿勢をとるためにどうしたら良いのか?
例えば子どもが、家を出る時間なのになかなか片付けない!親はイライラという場面。「片付けない」は親のナラティヴ なので、一旦脇に置き、本当に、心から子どもがいまなぜ?どうしたい?を、まっさらな状態で聞いていくということかと思います。
自分のナラティヴ を脇に置くということがまず難しいのですが、こちらのナラティヴ を押し付けようとしていると相手も敏感に感じ取るものです。それは、子どもだろうと大人だろうと。イライラしてしまいがちな時こそ、無知の姿勢を思い出したいと思いました。