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掌編小説 落とし物の持ち主

    お昼過ぎの銀座線は、いつになく空いていた。

    退屈な、地下鉄の窓の外をぼんやりと見ていた。

    私の座席の前に黒のスーツを着た20代くらいの男性が立つ。
    書類を片手に、もう片方は吊革を掴んでいた。

    右手の腕時計が見える。

    少し小ぶりのsilverのケース、黒の型押しの革ベルト。
    黒の文字盤に白い犬のキャラクターが6時位置に横向きで澄ましている。

    ――私が作った時計だ。――

    三十年前、時計会社で勤務していた頃に、私がデザインした時計であった。

    銀座のホームに電車が滑り込んでいくと、男性は時計を外し、上着のポケットに入れる。しかし、私の目の前に落ちてしまった。

    「あのー」と声をかけるが、男性は急ぎ足で電車から降りて行った。

    私はその時計を拾い、途中下車した。
    男性を目で追うと、だいぶ先を歩いていた。

    私にとって、あの時計は少し思い入れがある。

    いや、少しでは無いかもしれない。

    ケース、文字盤に印刷される数字、針。
    丁寧に時間をかけた、唯一の一本だ。

    私はホームの階段の下までたどり着いて見上げると、男性は階段を上りきっていた。この階段はエスカレーターがない。彼を追う。

    階段を上ると、さすがに息が上がってしまった。
    彼は、ちょうど改札の手前で並んでいた。

    「あのー! すみません」
    彼に歩み寄り「腕時計落としましたよ」と私は時計を差し出した。

    「あっ! ありがとうございます」と男性は時計を受け取った。

    「すみません、お手数をかけて……でも助かりました」と申し訳なさそうに言った。

    「今から別の時計会社の打ち合わせでして。ホントありがとうございます」と男性は丁寧に何度も頭を下げた。


    その後、銀座線のホームに戻りベンチに座って下りの電車を待った。

    退屈な地下鉄の壁をみて、ひっそり微笑んだ。


    ―了―




    こちらの作品は
    #拝啓文芸部の企画
    #落とし物の持ち主

    参加させていただきました。

    ―最後まで読んでいただき、
              ありがとうございました―

                     
                    
     画像:vector_corp - Magnific

     
     
    物語やエッセイなどを書いています。 小説はカクヨム(はくらみね)でも公開しています。

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