
今夜、すべての酒場に感謝して
『今夜、すべての酒場に感謝して。』
──中島らもではない。
酒をやめる話でもない。
ただ、これまでグラスを置いてきた、すべてのカウンターと、そこで出会った人たちの記録だ。
昔の写真はない。
最近のものが少し残っているだけだ。

断る理由は、何もなかった。

キレがあり、雑味のない後味。
だから、もう一杯いける。

合掌の里の名を借りて、夜を預かる。

帰る理由まで、軽くなる。

夜には、まだ火を入れていない。

辛口なのは、酒だけで十分だ。

考えるのは、次の注文だけだ。

島は遠い。グラスは近い。

後味は切れる。夜は、切れない。

季節が一つ、瓶の中に入っている。

縁起はいい。終電には、効かない。

夏を越した酒は、少し落ち着いている。
飲んでいる側は、そうでもない。

銘酒に説明はいらない。問題は、次の一杯だ。

帰る理由が、また一つ減った。

時間を確認している者は、誰もいない。

それで、十分だった。

なぜか、こちらに回ってきた。

人間は、そこでだいたい観念する。

油断すると、夜まで持っていかれる。

赤いのはトマトじゃない。覚悟の色だ。

かすみ酒。視界は悪くて、気分はいい。

こういうものは、断るより飲んだ方が早い。

米は正直。夜の約束だけが嘘になる。

中身は、宴会を長引かせる共犯者だ。

客の理性は、春まで眠る。

一本抜くと、予定が崩れる仕組みだ。

閉会の時間は、誰も書いていない。

肩書きは置いて、グラスだけが正直者だ。

落ちるのは酒だけじゃない。理性も一緒だ。

予定のほうは、溶けたまま戻らない。

中身は、夜を重くする。

二杯目から、こっそりウーロン茶になる。


判断のほうは、少し傷み始めている。

瓶たちは、客を下ろすためにある。

中身は、客の予定をさらに荒らす。

甘いのは、「あと一杯」と言う嘘だ。

客の帰宅は、さらに遠回り。

理性は、もう焦げている。

帰宅時間だけが、香りごと消える。

実際は、帰宅延期の署名欄だ。

予定は漬け込むな、と誰も言わない。

実際は、夜の本編の予告だ。


この棚だけで、夜が一層深くなる。

タイムマシンはない。時間だけは戻せない。

延長戦の開会宣言だ。

客の判断も、まだ生だ。


夜は、まだ若い。