
”盛りたい”心理がわからない
先日中国に行ったときのこと。
以前からメールでやりとりをしていた業者の方と
面談する機会があった。
本来なら彼らのオフィスに訪問すれば
一番間違いないのだが、
結構タイトなスケジュールの出張だったので
次の予定までを考えると移動時間がもったいない。
そう思い、前の予定がある場所の近くまで
先方の担当者に来てもらい、
そこで面談をすることにした。
約束の時間が近づいてきたので
WhatsAppで今自分がここにいると連絡すると
先方ももうそこにいるという。
ということはもう目の前にいるはずなのだが、
どうもWhatsAppのアイコンの彼は見当たらない。
すると、アイコン写真よりもかなりボリューミーな
彼が私に声をかけてきた。
「Are you 〇〇?」と尋ねると
そうだという。
思わず私はアイコンの写真と実物が
大きく違うことを彼に言うと、
彼も恥ずかしそうに「てへ」としていた。
私自身はWhatsAppでは何のアイコンも
使っていない。
それはLINEでも同じ。
基本的にこの手のアプリを
完全には信頼していないので、
個人が特定できるような写真は一切載せない。
なので、あちらからすれば
私がどんな人なのか想像つかないうえで
声をかけてくれているはず。
ところが、今回このような会い方を
別の業者の方ともしたところ、
相手は驚くほどすんなり私に声をかけてきた。
もしかするといかにも日本人な感じが
出ていたのかもしれないが、
テキストでやり取りしている感じが
先方にも伝わっていたのかもしれない。
ところが、今回会った彼は
アイコン写真が先入観になってしまい
実物とのギャップを感じてしまった。
実際に会ったならばギャップがあることが
相手にわかるはずなのに、
なぜ彼らは”盛った”アイコンを使うのだろうか。
数年前に別の中国の業者を訪問した際も
WeChatでやり取りをしていた
先方の営業担当の女性に
先方の工場の最寄り駅まで
迎えに来てもらうと
アイコンとは全然違う方が出てきたことがある。
その時はその人が女性だったので
それほど驚かなかったのだが、
今回は男性でそれほど若いわけでもない。
もしかすると中国の方はアイコンに
盛り写真を使うのが好きなのだろうか。
全くその中の人と会う可能性のない
SNSならばわからないこともないが、
現実に相手と会う可能性があるのに
それでもアイコンを盛ることに
一体何の意味があるのだろうか。
せめてアイコンだけでも理想の自分で
いたいという願望なのだろうか。
結局彼らの気持ちはわからないままだったが、
実際面談をしてみると
彼はテキストで感じたのと同じように
とても誠実な人柄が伝わってきた。
これからは中国の方とやり取りする際には
アイコンに引っ張られず
テキストで感じる印象を重視して
相手を想像することにしようと思う。
ちなみに私のnoteのアイコンは
現実の私に結構似ていると思っているのだが、
このアイコンだけを見て現実に会った方は
どんな印象を持つのか密かに気になっている。