
夏休み、四万十川支流の山間に都会の人がやってきて感じられる味とは
夏休み、我が家に人がやってくる
先日、大阪・箕面の友人家族が四万十に遊びに来てくれた。
まずは土佐久礼で今が旬のメジカの新子で
高知の食を堪能。
翌日は四万十川でラフティングへ。
午後は支流で川で遊び、
古民家の宿に泊まり、
夜は、夫が獲って生捕りしていた天然鰻をみんなで囲んだ。


来訪ファミリーの小学校3年生の子は、
ラストスパートで宿題も完成。

川で遊んで、
おいしいものを食べて、
人に会って、
宿題も終わらせる。
そんな四万十の夏休みだった。


観光地を次々と巡る旅ではない。
こういう時間の中にこそ、
地域のこれからにつながるものがあるのではないかと思う。
人が来る、ということ
人口の少ない地域に暮らしていると、
「人が来てくれる」ことの意味をよく考える。
観光客が増えれば、
売上が増える。
宿泊する人が増えれば、
宿や飲食店の仕事になる。
川で遊ぶ人が増えれば、
カヌーやラフティングの仕事にもつながる。
鮎や鰻を食べてもらえば、
川漁師さんの仕事にもつながる。
もちろん、それも大切。
でも、それだけではない気がする。
遠くから誰かがやって来て、
この土地で時間を過ごす。
「四万十、よかったね」
と言って帰っていく。
そして、いつかまた来てくれる。
その人が今度は、
別の誰かを連れて来てくれる。
そうやって、
人と土地との間に小さな関係が生まれていく。
「住む人」だけが地域の人ではない
地域を考えるとき、
どうしても「住んでいる人」の数を考える。
もちろん、
そこで暮らす人がいなければ地域は続かない。
でも私は、
地域に関わる人は、
そこに住んでいる人だけではないと思っている。
年に一度訪れる人。
季節ごとに遊びに来る人。
昔住んでいた人。
誰かに紹介されて初めて来た人。
SNSで四万十を知って、
「いつか行ってみたい」と思っている人。
そんな人たちも、
その土地のことを気にかけてくれるようになれば、
地域との関係は少しずつ広がっていく。
「また来たい」が残る場所
先日の友人家族も、
きっと「四万十の観光地を見た」というだけではない。
ラフティングで川を感じて、
古民家に泊まって、
天然鰻を食べて、
我が家で一緒に過ごした。
そこには、
パンフレットには載っていない時間があった。
私は、そんな時間を大切にしたい。
「また四万十に行きたい」
と思ってもらえること。
「今度は誰かを連れて行こう」
と思ってもらえること。
そして、
地域の側も
「あの人、また来てくれたね」
と迎えられること。
そんな関係が少しずつ増えていけば、
それは地域にとって、
ひとつの財産になるのではないだろうか。
地域にあるものを、無理に変えなくてもいい
四万十には、
大きなテーマパークがあるわけでもない。
都会のような便利さもない。
でも、
四万十川がある。
森がある。
川で生きてきた人がいる。
鮎や鰻を獲る人がいる。
川で遊ぶ仕事をする人がいる。
古民家がある。
そして、
その土地で暮らしてきた人たちの知恵や物語がある。

私は、
こういうものを「観光資源」として加工しすぎるのではなく、
そこにある暮らしそのものを、
少しだけ外の人に開いていくことができ、
日本の田舎の魅力を知ったらいいと思っている。
我が家も、その入口になれたら

今回の友人家族の滞在を見ながら、
私は、
そんな「小さな入口」を
この地域にたくさんつくっていきたい。
大きな施設をつくることではなく。
大きなイベントを開催することだけでもなく。
人と人が出会うこと。
その土地でしかできない時間を過ごすこと。
そして、
「また来たい」という気持ちが残ること。
そんな積み重ねが、
これからの地域には必要なのかもしれない。

この夏、
我が家に友達家族がやってきた。
にぎやかになった家を眺めながら、
「こういう時間を、もっと四万十の色んな所でつくれたらいいな」
と思った。