【短編小説】借りた本(#シロクマ文芸部)
借りた本なんて、どうして覚えていられようか。
祖父の詭弁だった。
思えば、好事家気取りに骨董やら彫刻やらを蒐集していた祖父が、持て余す興味を書物に向けたことは当然のことのようだった。貿易商だった祖父は、洋書にふれる機会も多く、いつしかそれらを手の届く範囲に陳列したいと思い始めた。祖父にとって、蒐集は商売の延長線上にあって、蒐集の終点には時に商売があった。
私は別段、祖父の性癖に文句はなかったし、子どもながらには博物館じみた祖父の屋敷には心を躍らせることもあった。無邪気さゆえの不注意から、ふとした拍子にいくつかの花瓶をお釈迦にしたこともあって、こっぴどく叱られたものだが、そういった思い出も含め、私の情緒のいくらかは祖父のコレクションによって培われたといっていい。惜しむらくは、だからといって私に審美的な素養が育まれなかったことだが。ともかくとして、私はあの屋敷にそれなりの愛着を持っていて、この思いは祖父の亡き後も変わらないと考えていた。
祖父が鬼籍に入ると、屋敷には住む者がいなくなった。知られた立派な屋敷だったが、私も両親もそれぞれ地元から離れて生活を営んでいた。私たちの望郷の念は結局、今の生活を放るまでには至らなかった。私は私が存外な薄情であったことに驚きつつ、その贖いのつもりか、あるいは単に久しく里帰りをしていなかったことも鑑みて、祖父の遺産整理を引き受けることにした。整理と言っても、所有して管理する気はなかったし、その実処分だったのだが。
それで、骨董の類はよかったのだ。鑑定人を呼んで、古物商やオークションに出して、かなりの値打ちがついた。気分がよくなって、一部は博物館に寄贈したりもした。こういうとき、私は自分の卑俗さと矮小さに嫌気がさすが、こればかりは生まれながらの付き合いであるし、仮に高尚であればそれに伴う審美眼を持ち合わせているはずだったし、コレクションを片端から手放そうとはしなかった。私なりに、すでに折り合いがついていたことだった。
問題だったのは、書物の方だ。屋敷には書斎が何部屋もあり、さながら図書館のようになっていて、容易に整理がつかなかった。そうかといって、一切売り払えばよろしいかといえば、そういうわけにはいかなかった。これは私の性分による。私は本の虫だったのだ。
*
幼年期の私にとって、屋敷で最も価値があったのは飾られた骨董ではなくて、書棚に並んだ本だった。書斎の本は祖父の趣味によって集められたものなので、無垢なる少女には難しいことばかりだった。それでもぱらぱらとめくった頁のどこかに、きらりと光るような言の葉があって、それは少女の心の中に大切にしまわれたのだった。少女はそんなきらめきを内緒で集めていって、やがて大人になっていった。
畢竟、私は長い時間をかけ、書斎のほとんどの本を読破したのだった。しかし、それは本のすべての内容を咀嚼したことを意味しない。幼いながらには、到底噛み切れない語彙もたくさんあったし、私はわからないことに殊更頓着しなかった。むしろそれは、少女の世界にはまだまだ余白があるように感じられて、夢想の材料へとなった。私は素直で、幸せな子どもだった。
しかし皮肉にも、私が決定的に祖父との溝を感じたのも、本についてのことだった。祖父にとって、読書は食事だった。徹底的に言葉を噛み潰し、味わい尽くし、そうして小腸に至らせて、栄養を吸収するのだった。商人だった彼にとって、読書は古き集積を学び新しき潮流にふれる手段でもあった。要するに、祖父は本に書かれた一文字一文字まで、ことごとくを糧としようとしていた。それが、私とはあまりにも違っていた。
私は、本の内容を覚えようとしたことがなかった。私にとって、読書は体験だった。きらめきを探す宝探しだった。きらめきが見つかれば嬉しいし、見つからなければ残念。それだけのことだった。だから、宝が見つからなかった草むらのことなんて、気にする必要がなかった。私は、体験とそれに付随する感情のために本の頁をめくっていた。
今でこそ、このように思考を言語化することができるが、少女だった私には難しい所業だった。だから、在りしある日、祖父に私の読書にかかる価値観を話してみせた折は、ずっとずっと拙かったし、ともすればわけがわからなかったと思う。けれども、黙って私の話を聞いていた祖父にとってみれば、彼我にある根源的な隔てを感じるには十分であったようで、記憶の中の祖父は渋い顔をしていた。
それから時は流れた。祖父の書斎には、年々本が増えていった。やがて置き場所に困るようになり、書斎なんて秩序だった部屋ではなくて、物置然とした有様へと成り下がろうとしていたときに、成長した私は苦言を呈した――図書館で借りてきたらよろしいと。いつものように、端から端まで味わい尽くして、それから返してきたらよろしいと。私はすでにおじいちゃん子ではなくなっていたし、蒐集癖にも辟易が混じり始めた時分であって、一言や二言申したくもなる反抗期でもあった。私の忠言を受けて、ぼそりと呟いたのが、その文句であった。
借りた本は、覚えられない。
今思えばまぎれもなく詭弁であったし、当時の私からしても十分に詭弁であった。どうして、所有権の有無で書いてある文字が変わるのだろうか。あくまで気の持ちようでしかないだろう。そんなように問い詰めてみれば、祖父は拗ねたように黙りこくっていた。それは、蒐集癖を肯定する方便に違いなかった。
私はにわかに、祖父に失望した気になった。それは、祖父がつまらない詭弁を弄したことにもよるが、私の裡にある疑念が浮かんだからである――祖父が本を蒐集して手元に置いておきたいのは、その実、本の内容を覚えていないからで、いつでも確認できるようにしておきたいからであると。残念ながら、疑念は確信に変わりつつあった。ある時祖父に問えば、マーフィーによるとトーストを落とせばいつもジャムを塗った面が下になるし、『星の王子さま』で王子が砂漠ではじめに出会ったのはサソリであったし、ジョナサンに瞬間移動を授けた長老カモメの名はチャーリーであった。
顧みれば、耄碌も始まっていたのかもしれない。事実、晩年の祖父は認知を侵されて、蒐集品の価値なんてわからなくなっていたし、きっと書斎で幾度となく夜を明かしたことも覚えていなかった。そのことが、私はどうしようもなく悲しかった。
*
書斎を見渡せば、やはりこの一切を処分するのはいたたまれない心地になる。たいていは二束三文の古書だろうが、もしかすれば値打ちものもあるかもしれないし、私が特別に覚えている一冊だって眠っているかもしれない。
とはいえ、この膨大な本を分別していくのは、大変に骨の折れる作業に思われた。私はずいぶんと逡巡したが、畢竟、棚の端に手を伸ばして、懐古ながらに整理を始めたのだった。
結果として、価額は骨董品と比べれば、瑣末なものだった。苦労の対価を考えれば、見合っていないといえた。それでも、私には無駄なこととは思えなかった。
耽っていると、ふと祖父の顔が思い浮かんだ。
――ああ、そういえば。
最後まで私の名前だけは、覚えてくれていたっけ。
そんなことを思い出した。
※以下の企画に参加させていただきました。