
コチコチカッチンお時計さん
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
こんにちは さようなら
コチコチカッチン さようなら
(童謡『とけいのうた』)
(文字数:約1000文字)
幼い頃の私は時計が読めなかった。
山の上の一軒家の、本棚だけが置かれた部屋の内に座らされて育ったもので、幼稚園に入るまで時計を見る機会そのものが無かった事が要因として考えられるが、
他所の家の子供たちや先生たちにとってそんな事情は知った事じゃない。
小学校入学時に受けたIQテストは、通常学級に入れるかどうかギリギリのところだったと聞かされている。
とは言え成長するにつれ、時計は読めるようになり、成人して二十年以上も経った現在の私は、アナログの手巻き式腕時計を愛用している。
外出時には家のデジタル時計を見ながら時間を合わせるのだが、
昨年辺りから、外出先で確認した腕時計の、針が予測とは異なる様相をしている事態が増えてきた。
止まったのか?
と一瞬思うのだがそうではない。秒針は正確に刻まれている。
単純に1時間分ズレている、という事は、デジタル時計を見ながら合わせた際に1時間分を間違えた。
まぁそのくらいならたまにあるある、と自分を納得させ切れたんだが、
先日10時ちょうどに合わせたはずの時計を、約1時間後の外出先で確認したところ、15時になっていたのを見た時には、
これは、あかんと。
10時ちょうどのデジタル時計を見ながら、アナログの針は14時に合わせてしまったんだなと、それが起きた原因は推察し切れるけれども、
いやいや。これはごまかしきれないぞと。
どうやら幼少期に苦手だった、あるいは出来なかった事柄というものは、後天的な学習や訓練によって補える部分もあるけれども、老化するに従ってまた苦手もしくは出来ない状態へと、戻ってしまうようだなと、
軽めにしっかり絶望したものの、絶望したところで何にもならないので、
幼少期に出来なかった事柄、この場合、「アナログ時計を常用する事」は諦めて、幼少期に得意だった事柄を優先的に選択した方が、余生をスムーズに送れるのだろうなと思った。
思った。そうしようと決め込んでしまったわけではないという、

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。