
昨日はできたのに、今日は「やって」。子どもを手伝うのは甘やかし?
着替えも保育園の準備も、自分でやりたい日がある。
手を貸そうとすると「そうじゃない」と言われる。任せてほしいんだなと思っていると、別の日には「やって〜」「手伝って」と呼ばれる。
自分でやりたいのか、手伝ってほしいのか。昨日の様子を思い出しても、今日どうすればいいのかはわからない。
忙しいときほど、こちらの言葉も短くなる。
「自分でできるでしょ」
「今は時間ないから自分でやって」
あとになれば、違う言い方も浮かぶ。少しだけ手伝えばよかったかもしれない。何をしてほしかったのか聞けたかもしれない。
けれど朝の自分にはその少しが難しかった。
子どもが小さかった頃、そんな葛藤を何度も抱えた。今振り返ると、昨日できたかどうかに加えて、その日の子どもと自分の余裕にも目を向けたかったと思う。
昨日のできたを、今日の約束にしていないか

一度できるようになるとうれしい。次の日も、その次の日もできることを期待する。
だから、やってと頼まれると戸惑う。せっかくできるようになったのに、どうして。
でも私たち大人にも、いつもならできることが重たい日はある。同じ仕事でも、寝不足の日とよく眠れた日では取りかかるまでの時間が違う。
子どもの調子にも日々の違いがある。8〜11歳の子ども110人を4週間調べた研究では、情報を一時的に覚えて扱う課題の成績が日によって変わり、睡眠や日中の疲れとの関連が報告されている。
これは着替えを頼む理由を調べた研究ではない。今日のやってを、寝不足のせいと決めることもできない。
それでも、昨日できたのだから今日も同じようにできるはず、という見方を少し緩める手がかりにはなる。
やり方を忘れたわけでも、成長が消えたわけでもないかもしれない。
あなたが思い出す、昨日はできたのにという場面。そのとき目の前にいた子の様子はどうだっただろう。
手伝うかどうかの前に、今日の様子を見る

では、頼まれたら何でもやってあげればいいのか。
そこも迷う。自分で取り組む機会は残したいし、親が全部引き受ける生活を続けるのも難しい。
アドラー心理学には、誰が取り組むことなのかを整理する「課題の分離」という考え方がある。ただし、それは子どものことだから手を貸さないという線引きではない。
アドラー心理学の研究・普及を行う野田俊作顕彰財団の解説でも、親子で話し合い、子どもが取り組めるよう援助することが示されている。
私がこの考えを朝の支度に重ねるなら、昨日できたかどうかだけで応じ方を決めず、今日はどこで止まっているのかを見てみたい。
たとえば、次のような声かけが考えられる。
「今日はどこを一緒にやろうか」
「最初だけ手伝う? そばにいようか」
これは当時の実際の会話ではなく、これから試せそうな言葉だ。
理由を上手に説明してもらう必要はない。答えたくないときもあるだろう。短く聞いて、様子を見ながら手助けを変えていく。
着替えを少し手伝ったからといって、それだけで甘やかしとは決められない。一方で、本人がやろうとしているところまで先回りする必要もないと思う。
手伝うかどうかを毎朝判定するより、今日どんな協力ができるかを考える。そのほうが私には、親子で続けやすそうに感じる。
朝の自分に、あとから満点を求めない

ここまで考えても、朝になれば時間は足りない。
子どもの気持ちを確かめるより先に、早くしてと言いたくなる日もある。落ち着いているときの自分が考えた対応を、忙しい朝の自分に全部求めるのは苦しい。
そんなときは、今できる範囲を伝えるだけでもよいのではないだろうか。
「今日は上着だけ手伝うね」
「今は手が離せないから、少し待ってね」
これも声かけの提案だ。いつもこの通りに言えることを目標にはしたくない。
自分でやる習慣も大切にしたいなら、落ち着いた時間に、明日の準備で何を自分でして何を一緒にするか相談する方法もある。朝だけで全部を解決しなくていい。
あとから振り返ることにも意味はある。ただ、反省会が自分を責める時間ばかりになるなら、次は一つ何を変えようかと考えるところで終えてもいいと思う。
昨日できたことは、うれしかった記録として持っておく。今日も一人でやるという約束にまではしなくていい。
そう思えたら、子どものやっても、あの朝の自分の言葉も、少し違って見える気がする。
次に呼ばれたとき、昨日できた姿と今日の様子。その両方を見ながら、何を一緒にできるだろう。
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