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5分SF|時間をかける少女


     少女には、夢があった。

     いつか、自分の店を開く。

     小さくていい。自分で作った料理を、自分で選んだ器に盛って、自分の好きな人たちに食べてもらう。

     高校を卒業すると、彼女は有名な店の厨房に入った。

     最初の一年は、包丁を握るより洗い物をしている時間の方が長かった。それでも先輩の手元を盗み見て、火加減や出汁の取り方を、帰宅してからノートに書き留めた。休日には同じ料理を何度も作った。

     やがて任される仕事が増え、後輩までできた頃、友人が言った。

    「そろそろ店、出せるんじゃない?」

    「まだまだ」

     彼女は笑った。

    「料理ができるだけじゃ、店はできないから」

     そこから、勉強する範囲は厨房の外へ広がった。

     接客を覚え、経営を学び、仕入れ先を回った。休みの日には繁盛している店へ客として入り、料理より店員の動きを見ていることもあった。税金の本を読み、広告を研究し、海外の客が来ても困らないように英語まで始めた。

     そんな生活を続けているうちに、20代の終わりには開業資金も十分な額になっていた。

     店の名前は、もう決まっていた。

     友人と何軒目かの物件を見に行った。

    「ここ、いいじゃん」

     駅から近く、厨房も広い。窓からは午後の光が入り、彼女が思い描いていた店によく似ていた。

    「うん」

    「じゃあ、決まり?」

     彼女は厨房に立ち、客席になるはずの空間をしばらく眺めた。

    「……もう少し経験を積んでからにする」

    ***

     30代になると、彼女の料理を目当てに来る客も増えていた。

     けれど、自分の店で料理を出すなら、添えるパンまで自分で焼きたいと思った。

    「そこまでやるの?」

    「せっかくだから」

     休みの日に教室へ通い始めた。粉の違いを覚え、発酵を学び、何度も失敗するうちに、いつしか人に教えられるほどになっていた。

     パンができるようになると、今度はコーヒーが気になった。

     豆の産地を調べ、焙煎を覚えた。

     料理に合う皿を探しているうちに、器にも興味を持った。

    「自分で作れたら最高じゃない?」

     そう言って始めた陶芸も、数年後には窯の温度や釉薬の配合を自分で調整するようになっていた。

     彼女の部屋には、少しずつ器が増えていった。

     店はまだなかった。

     店に必要なものだけが、増えていった。

    ***

     40代になる頃には、彼女より後に厨房へ入った料理人たちが、店を持ち始めていた。

    「独立することにしました」

     そう報告に来た後輩は、嬉しそうな顔の奥に不安を隠していた。

    「物件は?」

    「一応、候補があるんですけど」

    「見に行こうか」

     彼女は一緒に現地へ行き、昼と夜の人通りを見た。メニューを見せてもらえば原価を計算し、厨房では冷蔵庫から作業台まで何歩で動けるかを確かめた。

     半年後、その店は繁盛した。

    「先生のおかげです」

    「あなたが頑張ったからよ」

    「先生も早く出してくださいよ」

    「もちろん」

    「いつです?」

     彼女は少し考えてから笑った。

    「もう少し」

    ***

     50代になり、60代になった。

     彼女に教わった料理人の店が、街のあちこちに増えていった。開店祝いに呼ばれれば花を持って出かけ、相談されれば何時間でも話を聞いた。

     いつしか若い料理人たちは、彼女のことを先生と呼ぶようになった。

    「この場所、どう思います?」

    「悪くないけど、昼の人通りも見た方がいい」

    「先生なら、どうします?」

     彼女は何でも答えられた。

     うまくいかない店を見れば、どこで間違えたのかも分かった。

     彼女自身は、一度も失敗していなかった。

     店を出していなかったからだ。

    ***

     今、彼女はベッドの上にいる。

     窓際の棚を埋めているのは、何十年もかけて書いたノートだった。

     一番古いものは、角が擦れて色が変わっている。高校生の頃に考えた店の名前が、薄くなった文字で表紙に残っていた。

     その隣には少し新しいノートがあり、その隣にはまた次のノートがある。

     棚の端まで、それが続いている。

     最後の一冊だけは、まだ新しい。

     身体はもう、ほとんど動かない。それでも彼女は毎日そのノートを開き、細い指でゆっくりと文字を書いている。

     今日も春のメニューを考えていた。

     見舞いに来た昔の教え子が、ベッドの横に座った。

    「先生、何してるんですか?」

    「メニュー考えてるの」

    「今も?」

    「春の前菜が、まだ決まってなくて」

     教え子はノートを覗いた。

     書き込まれた一行に線が引かれ、その横に別の案が書かれている。それにも小さく修正が入っていた。

     しばらく見てから、教え子が聞いた。

    「先生」

    「なに?」

    「まだ、店を出すつもりなんですか?」

     彼女の手が止まった。

     顔を上げる。

     なぜそんなことを聞くのか、本当に分からないような顔をしていた。

    「当たり前じゃない」

     またノートに目を落とした。

     さっき書いた一行を読み返す。

     少し考えて、線を引いた。

    「もう少し」

     少女は、つぶやいた。



    このお題はアマノ文筆クラブのお題で書かせていただきました。


    5分SF
    今日より少し先の未来を、5分以内で。
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