
「美味しい」をもう一度
最近、自分の中で少し気になっていることがある。
私は、食べ物の味がわかっていないのかもしれない。
カップ麺を食べていても、途中で「これ、何味だったっけ」と思うことがある。
味がしないというより、そこにあるはずの味を、うまく捕まえられない。
おにぎりも、混ぜ込みご飯にしてもらっている。
それなのに私は、その上からさらにごま塩をかける。
しかも、以前より使う量が増えている。
自分では気づかないうちに、「もっと味が欲しい」と思っているかもしれない。
特にわからないのが、塩味だ。
だからなのか、私は最近、甘いものばかり食べている。
甘さだけは、まだ比較的はっきりわかるからだ。
食べることが嫌いになったわけではない。
けれど、食べることを楽しめない理由の一つに、味が関係しているのだとしたら、少し寂しい。
食べ物には、本当はもっとたくさんのものが詰まっているはずなのに。
それに、私は慢性的な鼻炎もある。
鼻が上手く働かないせいで、食べ物の風味もわからない。
味覚と嗅覚。
食べ物を「美味しい」と感じるために必要なものが、少しずつ遠くなっているような気がする。
普通の人は、食事をするとき、いったい何を感じているのだろう。
塩味がちゃんとわかるというのは、どんな感覚なのだろう。
おにぎりを一口食べて「ご飯の甘さがある」と思ったり、カップ麺を食べて、「今日はこの味がおいしい」と思ったりするのだろうか。
「美味しい」という言葉が、急に不思議なものに思えてくる。
私は今まで、それを当たり前の感覚だと思っていた。
けれど、当たり前だったものほど、失ってみて初めて、その存在に気づくのかもしれない。
なぜ、こんなふうになったのだろう。
適当な食生活を続けてきたからなのか。
それとも、日々のストレスが関係しているのか。
あるいは、いくつもの小さな理由が重なって、今の私の味覚を作っているのか。
考えても、答えは出ない。
ただ、一つだけ願っていることがある。
いつかまた、食べ物を食べて、素直に「美味しい」と言いたい。
おにぎりでも、カップ麺でもいい。
一口食べて、味を感じて、「今日はこれがおいしいな」と思えたら、それだけで十分だと思う。
その日がいつ来るのかは、まだわからない。
でも、いつかそんな日が来ることを、私は少しだけ期待している。
「美味しい」って、どんな味だったのだろう。
そんなことを思いながら、今日も一口、口に運ぶ。
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この文章は、2026年8月に書いたものです。