メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bykotori1983kotori

「美味しい」をもう一度

    最近、自分の中で少し気になっていることがある。

    私は、食べ物の味がわかっていないのかもしれない。

    カップ麺を食べていても、途中で「これ、何味だったっけ」と思うことがある。
    味がしないというより、そこにあるはずの味を、うまく捕まえられない。

    おにぎりも、混ぜ込みご飯にしてもらっている。
    それなのに私は、その上からさらにごま塩をかける。
    しかも、以前より使う量が増えている。

    自分では気づかないうちに、「もっと味が欲しい」と思っているかもしれない。

    特にわからないのが、塩味だ。

    だからなのか、私は最近、甘いものばかり食べている。
    甘さだけは、まだ比較的はっきりわかるからだ。

    食べることが嫌いになったわけではない。

    けれど、食べることを楽しめない理由の一つに、味が関係しているのだとしたら、少し寂しい。

    食べ物には、本当はもっとたくさんのものが詰まっているはずなのに。

    それに、私は慢性的な鼻炎もある。
    鼻が上手く働かないせいで、食べ物の風味もわからない。

    味覚と嗅覚。

    食べ物を「美味しい」と感じるために必要なものが、少しずつ遠くなっているような気がする。

    普通の人は、食事をするとき、いったい何を感じているのだろう。

    塩味がちゃんとわかるというのは、どんな感覚なのだろう。
    おにぎりを一口食べて「ご飯の甘さがある」と思ったり、カップ麺を食べて、「今日はこの味がおいしい」と思ったりするのだろうか。

    「美味しい」という言葉が、急に不思議なものに思えてくる。

    私は今まで、それを当たり前の感覚だと思っていた。

    けれど、当たり前だったものほど、失ってみて初めて、その存在に気づくのかもしれない。

    なぜ、こんなふうになったのだろう。

    適当な食生活を続けてきたからなのか。

    それとも、日々のストレスが関係しているのか。

    あるいは、いくつもの小さな理由が重なって、今の私の味覚を作っているのか。

    考えても、答えは出ない。

    ただ、一つだけ願っていることがある。

    いつかまた、食べ物を食べて、素直に「美味しい」と言いたい。

    おにぎりでも、カップ麺でもいい。

    一口食べて、味を感じて、「今日はこれがおいしいな」と思えたら、それだけで十分だと思う。

    その日がいつ来るのかは、まだわからない。

    でも、いつかそんな日が来ることを、私は少しだけ期待している。

    「美味しい」って、どんな味だったのだろう。

    そんなことを思いながら、今日も一口、口に運ぶ。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーー
    この文章は、2026年8月に書いたものです。

     
     
    何気ない一日の中にある、小さな発見や心の揺れを綴っています。迷ったり、立ち止まったりしながら、それでも今日を生きている。その記録です。

    あなたへのおすすめ