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自己紹介|「お前には無理だ」と言われた僕が、妻と療育3店舗をつくるまで。

    「お前には無理だ」

    そんな言葉を
    何度も言われてきた

    今、僕は大阪市此花区で
    妻と一緒に
    3つの療育施設を運営している

    子どもたちの発達について考え
    保護者の方の話を聞き
    仲間と支援について話し合う毎日

    Threadsやnoteでも
    子どもの発達や
    子育て、支援について発信している

    そんな今の僕だけを見ると

    昔から人と関わるのが好きで
    自分に自信があって
    やりたいことに向かって
    まっすぐ進んできた人に見えるかもしれない

    でも…

    本当は、全然違う

    コミュニケーションが苦手で赤面症

    友達も少なく
    人に頼ることもできず

    うまくいかなくなると
    自分には向いていなかったんだと
    逃げてしまう

    そんな僕だった

    今日は少し長くなるけど

    僕がどうして今
    子どもたちの育ちに関わっているのか

    どうしてThreadsやnoteで
    言葉を届けようとしているのか

    そこまで含めて
    自己紹介をさせてください

    名前は
    ヒデアキといいます

    奈良県の山添村という
    山あいの村で育った

    18歳で高校を卒業し
    夢を持って大阪に出てきた

    夢は
    『スポーツトレーナーになること』


    田舎から出てきた少年には
    大阪の街も
    そこで出会う人たちも

    何もかもが大きく見えた

    でも、夢を持って出てきたからといって
    何かができる訳じゃなかった

    「お前には無理だ」

    そんな言葉を言われても
    言い返せる実力も自信もなかった

    専門学校を卒業する時
    それでも夢を捨て切れず

    なんとかお願いして
    整骨院に拾ってもらった

    そこで働きながら
    鍼灸師になるために
    もう一度、専門学校へ通った

    朝6:30から働き
    夜は12:30が当たり前

    住み込みで
    年間350日は働いていた

    今思い返すと
    よくやっていたなぁと思う(笑)


    でも、あの時は頑張れた

    夢があって
    師匠がいて
    仲間がいて
    患者さんがいたから

    そんな生活を3年間続けた

    そして迎えた国家試験

    結果は…

    『不合格』

    卒業式で合格を喜ぶクラスメイトが
    本当に眩しかった

    みんなが次へ進んでいく中で
    自分だけが取り残されたようだった

    「もう、向いていないのかもしれない」

    そう思いながら
    院への帰り道を1人で歩いた

    その時の気持ちは
    今でも覚えている

    でも、院に戻ると

    師匠も仲間も
    不合格になった僕を
    受け入れてくれた

    失敗した自分にも
    戻れる場所があった

    それが、どれだけありがたかったか

    「もう一回だけ、挑戦しよう」

    そう思えたのは
    自分の強さだけじゃなかった

    働きながら勉強を続け
    翌年、なんとか合格

    それでも周りには

    「で、どうやってトレーナーになるの?」

    と笑われた

    そんなの
    僕だって分からなかった

    ただ、悔しかった

    夢を諦め切れず
    目の前の仕事を続けていると

    院長先生からのご縁で
    実業団チームの
    専属スポーツトレーナーになることができた

    ついに
    18歳から夢見た場所に立てた

    『諦めなければ夢は叶う』

    本当にそう思った

    でも…

    夢が叶った後のことまで
    僕は考えられていなかった


    相変わらず
    人と関わることが苦手で

    チームの中で
    自分の役割を果たせず

    2年で
    逃げるように辞めてしまった

    ようやく手に入れた夢だったのに

    「結局、自分なんかが通用する世界じゃなかった」

    そんなふうに思った

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    楽しくも苦しかった修行と挫折の日々


    それでも
    何かを諦め切れなかった僕は

    次に
    『僕にしかできないことをやりたい』
    と考えるようになった

    そしてある人に会うために
    徳島から東京まで
    軽自動車を走らせた

    今思えば
    あの時の一歩が
    人生の大きな分かれ道だった

    そこで出会った人と環境が
    僕を少しずつ変えてくれた

    配属されたのは
    高齢者のデイサービス

    慣れない場所
    はじめての仕事
    言葉の違い

    不安しかなかったけど
    『3年間』と期限を決めて
    とにかく動いた

    クマの着ぐるみで名刺を作ったり

    折りたたみベッドを抱えて
    電車に乗ったり

    思い返すと
    何をやっていたんだろうと思うことも
    たくさんある(笑)

    でも、本気だった

    ただただ
    自分を変えたかった


    人に誘われたら
    「行きます」と答えた

    知らない場所へ行き
    知らない人に会った

    うまくいったことばかりじゃない

    騙されたこともあったし
    人って怖いなぁと思ったこともあった

    それでも

    人との関わりを避けていた僕が
    人との出会いによって
    変わっていった

    そして関東で
    東日本大震災を経験した

    会社の仲間たちが
    被災地へ向かう中

    僕はすぐには動けなかった

    何もできない自分がいた


    震災から約1年後
    ようやくボランティアに向かった

    現地の方に
    何を言えば良いんだろう

    何ができるんだろう

    そんなことを考えていた僕に
    仮設住宅の方が教えてくれた

    「会いに来て、話を聞いてくれるだけで良い」

    「忘れなければ良い」

    何か特別なことができないと
    役に立てないと思っていた僕には

    忘れられない言葉になった

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    東日本大震災後の被災地ボランティアマッサージに参加

    そして考えた

    「自分が忘れているものって何だろう?」

    浮かんできたのは

    故郷の山の風景と
    じーちゃんやばーちゃんの顔だった

    自分にも
    会いに行ける人がいる

    待ってくれている人がいるかもしれない

    そう思って
    3年間の勤務を終え
    奈良で独立した

    30歳で
    高齢者のデイサービスを始めた

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       30歳で始めたデイサービス。経営も雇用も、分からないことだらけでした。

    「元気サポート」

    東京で過ごした3年間で
    この言葉が
    僕の中の軸になっていた

    でも…

    人に喜んでもらえることと
    事業を続けていくことは
    同じではなかった

    雇用も
    営業も
    経営も

    分からないことだらけ

    それなのに
    人に頼るのが苦手な僕は

    分からないことを
    分からないと言うことさえ
    うまくできなかった

    失敗して
    落ち込んで
    また工夫する

    そんな毎日だった

    32歳で訪問鍼灸を始め
    34歳で2つ目の院を開いた

    医療を受けたくても
    簡単には出かけられない

    そんな山間部の方の所へ
    こちらから会いに行く

    身体に触れ
    話を聞き
    また次の約束をする

    少しずつ
    待ってくれる人が増えていった


    訪問鍼灸で学んだことを
    伝えるようにもなり

    全国を回り
    同じ想いを持った仲間たちと
    学ぶ場所もできた

    18歳の頃には想像もできなかった毎日だった

    2018年11月

    僕はそこまでの半生を
    フェイスブックに書いた

    諦めなかったこと
    大切な人に出会えたこと
    忘れていたものに気づけたこと


    それが僕を変えてくれたと書いた

    でも、その後も
    順調なことばかりではなかった

    事業が増え
    一緒に働く仲間が増えると

    自分が動けばなんとかなる
    というやり方では

    どうにもならなくなった

    自分には想いがある

    でも、その想いを
    相手も同じように受け取るとは限らない

    自分が頑張っているつもりでも
    周りが安心して働けているとは限らない

    人と一緒に仕事を続けていく難しさに
    何度も向き合うことになった

    10年続けた高齢者デイサービスは
    事業を引き継いだ

    訪問鍼灸も
    2院から1院へと体制を変えた

    始めたものを
    自分の手で全部抱え続けることが
    本当に良いのか

    支援が続いていくために
    どんな形が必要なのか

    そんなことを考えるようになった

    そしてまた
    思ってもいなかったところから
    次の物語が始まった

    きっかけは
    コロナ禍の小さなカフェ

    大阪市此花区にある
    「ミミタンカフェ」

    その2階に
    子どもたちのためのスペースがあった

    この場所を
    親子が安心して過ごせる場所にできないか

    2021年のはじめ
    そこから療育への挑戦が動き始めた

    子どもの発達が気になる

    周りと比べてしまう

    どう関われば良いのか分からない

    そんな時に
    親子でつながれる場所を作りたい

    僕は高齢者支援と訪問鍼灸

    妻は
    音楽家として活動し
    音楽教室を運営してきた

    違う経験をしてきた2人が
    今度は一緒に
    子どもたちの育ちに関わることになった

    想いが先に走る僕と

    仕組みや調和を考えながら
    形にしていく妻

    夫婦であり
    経営のパートナーでもある

    僕1人では作れなかった場所だった

    2021年10月

    『マイステージひまわり西九条』
    を開所した

    画像
       2021年10月。この建物の2階から、ひまわりは始まりました。

    カフェの2階から始まった
    小さな療育の場所

    音楽を楽しみ
    身体を動かし
    手を使う

    子どもたちとの毎日が始まった

    そこでまた
    たくさんのことを教えられた

    同じ活動をしていても
    楽しい子もいれば
    不安になる子もいる

    言葉だけで分かる子もいれば
    見て分かる形があると
    動きやすくなる子もいる

    できないと思っていたことが
    関わり方や環境を変えることで
    できることもある

    「この子はこういう子だから」

    そう決めてしまう前に
    僕たちができることが
    まだあるかもしれない

    自分自身が
    出会いと環境に助けられてきたから

    その可能性を
    大切にしたかった

    そして、子どもたちのことを考えるほど

    保護者の方の安心も
    切り離せないと感じるようになった


    子どものことを
    毎日考えている人がいる

    園や学校での出来事を気にかけ
    家での関わりを考え
    先のことまで心配している人がいる

    そんな中で

    また頑張ることを増やす言葉より

    今、何に困っているのかを
    一緒に整理する時間が
    必要なこともある

    子どもの小さな変化を
    一緒に喜べる人がいるだけで

    少し息がつける日も
    あるかもしれない

    ひまわりを
    そんな場所にしていきたいと思った

    2023年1月
    西九条は新しい場所へ移転

    同じ年の10月には

    未就学の子どもたちに
    じっくり関われる場所として

    『マイステージひまわり梅香』
    を開所した

    年齢も発達段階も違う子どもたちに
    同じ場所で関わる難しさ

    地域にまだ少なかった
    児童発達支援の専門の場所

    西九条で見えてきた課題が
    梅香を作る理由になった

    午前と午後の時間を分け
    子どもたちに合った過ごし方を考える

    生活、運動、微細活動

    専門性の違う仲間たちと
    それぞれの視点を持ち寄って
    支援を考えていった

    さらに

    ひまわりの中で過ごす時間だけでなく

    園や学校での生活にも
    安心がつながってほしいと

    保育所等訪問支援にも取り組むようになった

    そして2026年

    3店舗目となる
    『マイステージひまわり此花』
    を開所した

    梅香を使ってくれて
    小学校に上がる子どもたち
    新しい環境へ向かうご家族

    地域で必要とされている支援を
    どう受け止めていくか

    それを考えた先に
    3つ目の場所があった

    西九条
    梅香
    此花

    今はこの3つの場所で
    仲間たちと療育に取り組んでいる

    店舗を増やすことが
    最初からの夢だった訳ではない


    目の前に困っている人がいて

    地域に足りないものがあって

    自分たちにできることを考えていたら
    ここまでつながってきた

    もちろん、今も
    分からないことはたくさんある

    支援も
    経営も
    人との関わり方も

    学び直すことばかり

    僕自身、2人の子どもの父親でもある

    画像
    実はアイコンはこの写真が元になっていて

    仕事で子どもの発達について考えていても
    自分の子育てでは迷う

    分かっているつもりでも
    余裕がなくなれば
    うまく関われない日だってある

    だからこそ

    子育てをしている人に
    簡単に「こうすれば良い」とは
    言い切れない

    その人の生活があって
    その子との積み重ねがあって

    外からは見えない
    今日までの頑張りがあるから


    実は僕自身にも
    生死を彷徨った時期がある

    忘れもしない
    2023年の8月
    梅香の事前申請の翌日

    奈良からの帰りの高速道路で
    追い越し車線に無灯火で止まっていた
    トラックと事故をした

    骨折に内臓損傷
    車はもちろん廃車で
    「この人亡くなりましたか?」
    と聞かれるレベルの事故だった

    「これからだという時に…」
    そう救急病院の処置中の天井を
    ガラスだらけの姿で
    ぼーっと見てたっけ

    翌日に転院した病院で
    妻の顔を見た時に
    現実が押し寄せてきた

    次男が生まれたのは
    その年の1月
    生後半年の子どもをおいて
    いなくなるところだった僕は
    「本当にごめん…」
    と涙ながらに謝っていた

    そんな経験がある僕だからこそ
    子どもが置かれた環境や
    保護者の方のことはよく分かる

    だからこそ伝えられることがある

    もちろん日々の業務の中で
    時間的にも
    精神的にも
    大変な時もある

    それでも
    僕がThreadsで発信しているのは

    毎日の中で
    見落としてしまいやすいことを

    一緒に考えられる場所を
    作りたいから

    子どもの行動に
    どうしても困ってしまう時

    その行動だけを見ていると
    見えなくなるものがある

    うまく言えない気持ち

    分からなくて止まっている時間

    頑張りたいのに
    身体がついてこないこと

    大人にとっては小さなことでも
    その子にとっては
    精一杯のことかもしれない


    そう考える視点がひとつ増えるだけで

    次にかける言葉が
    少し変わることがある

    保護者の方に対しても
    同じだと思う

    困っていることを話すのは
    勇気がいる

    子どものことが大切だからこそ
    誰かに話すのが怖いこともある

    そんな時に

    たまたま流れてきた言葉を読んで

    少し気持ちが整理できたり
    誰かに相談してみようと思えたり

    自分を責める手が
    少し緩んだりすることがあれば

    僕が発信する意味はあると思っている

    ひまわりに通える人は
    地域の中の限られた人たち

    でも

    夜、子どもが寝た後に
    1人でスマホを見ている人にも

    仕事へ向かう電車の中で
    昨日の関わりを振り返っている支援者にも

    言葉なら届くかもしれない

    僕には
    会いに行けない人がたくさんいる

    その人の毎日を
    全部知ることもできない

    それでも

    ここで言葉を交わすことはできる

    書いてみたら
    僕の見方が足りなかったと
    教えてもらうこともあると思う

    同じ出来事でも
    保護者の立場
    支援者の立場
    本人の立場で

    見えているものは違うから

    僕もここで
    学び続けていきたい

    そして、もうひとつ

    昔の僕のように

    今の自分を見て
    「もう無理かもしれない」
    と思っている人にも

    届いたら良いなと思っている

    国家試験に落ちた時

    夢を叶えた場所から
    逃げるように辞めた時

    経営がうまくいかなかった時

    その時の僕は
    その先にどんな毎日があるか
    全く知らなかった

    今、子どもたちの育ちについて
    こうして言葉を書いているなんて

    本当に想像もしていなかった

    僕を変えてくれたのは

    師匠が受け入れてくれたこと

    仲間が一緒にいてくれたこと

    会いに行った先で
    話を聞かせてもらえたこと

    妻と
    違う得意を持ち寄れたこと

    そんな
    1人では作れなかった経験だった

    だから今度は

    僕が経験してきた失敗や
    教えてもらったことも

    誰かが次の一歩を考える時の
    材料になれば嬉しい

    立派な成功談だけでは
    伝えられないこともあると思うから

    うまくいかなかったことも含めて
    少しずつ書いていきたい

    18歳の時
    僕はスポーツトレーナーになりたかった


    今は

    子どもが自分らしく育ち
    保護者の方が少し安心できて

    支援する仲間も
    学びながら働き続けられる

    そんな場所を
    みんなで育てていきたいと思っている

    そのためには

    良い支援を考えることも
    事業として続けることも

    どちらも
    僕たちの仕事だと思っている

    そしてThreadsもnoteも

    日々考えたことを言葉にして
    いろんな人の声を聞きながら

    その場所を育てていく
    大切なつながりのひとつにしたい

    ここまで読んでくれた人は
    どれくらいいるだろうか?

    長かったですよね(笑)

    ここまで付き合ってくれた方には

    子どもたちの小さな変化や
    現場での気づき

    時には僕自身の迷いや失敗も

    これから
    一緒に見てもらえたら嬉しいです

    まだまだ
    完成にはほど遠い僕だけど

    昔よりは
    人に頼れるようになった

    分からないことを
    一緒に考えてもらえるようになった

    そして今は

    1人で叶える夢よりも
    仲間と続けていきたい毎日がある


    山間部のじーちゃんやばーちゃんに
    会いに行っていた頃も

    子どもたちや保護者の方と
    向き合う今も

    『待ってる人を忘れない』

    この気持ちは
    ずっとつながっている

    僕の投稿が

    誰かの心を1ミリ軽くしたり

    目の前の子どもを見る時間を
    少しゆっくりにしたり

    明日、誰かに話してみようと思う
    きっかけになったりしたら

    本当に嬉しい

    今はまだ旅の途中

    これからの歩みも
    ここに綴っていこうと思います

    大阪市此花区で
    「マイステージひまわり」
    西九条・梅香・此花を運営している

    ヒデアキです

    最後まで読んでくれてありがとう

    これから、よろしくお願いします

    2026年10月30日

    #自己紹介
    #療育
    #児童発達支援
    #放課後等デイサービス
    #子育て
    #発達支援
    #起業
    #Threads

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    発達支援の翻訳者|ヒデアキ 療育3施設代表|保育士・児発管・鍼灸師 「知識不足ではなく、翻訳不足だった。」 WISC・新版K式・学校連携など、 難しい発達の話を文章と図解でやさしく翻訳。 保護者さん・支援者さんが明日使えるヒントを届けます。

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