
【エッセイ】「リンゴは下手」っていう人
2026.10.09
「今日はSDGsについて学んでいきましょう」
「会社としてSDGsに取り組むことは、会社の未来と皆さんの雇用や働きやすい環境を守ることに直結してきます」
講師がそんな感じのことを言っていた。
世間で「SDGs」がどうのこうのと言われ始めて何年か経っていた。とうとう会社でそういう研修会が開催されたのだ。
まあ、午後からの仕事はこれだけだから。
テキストを見ながら話を聞くだけ。
ところどころ睡魔と闘いながらやり過ごした。
(アホらし。講師の人、本気でそう思っとんのかな? 仕事だから?)
やっと退屈な研修会が終わった。
私は、配られたテキストをシュレッダーにかけた。
「ビートルズのドラムって下手よなあ」
高校のとき、同級生からそう言われたことがある。彼は洋楽好きだ。でも、昔のはほとんど聴かないらしい。ヘビメタやハードロックがお気に入りだった。
ビートルズは解散してから、すでに10年以上経っていた。当たり前だが、現役時代は知らない。ファンになって3年ほどだし。まだそんなに語れるほど知っていたわけでもない。全曲聴いてはいたけど。
当時、同級生の間では「ビートルズは古い」とされていた。音楽雑誌を読んでみても、そんな感じのことが書いてあるのを結構目にしていた。
「んなことたぁ、ねえと思うけどなぁ」
同じようなことを言われたとき、たいてい私はそう答えていた。「下手なわけあるか」とキッパリ言い返しはしなかった。私はドラムが叩けるわけじゃないし、ミュージシャンでもないからだ。詳しいことはわからん。
「コピーするの簡単やろ」
知らんわ。だったら、お前できるんか? と言いたかったけど言わなかった。たぶん何をどう言おうが、彼の意見は変わらないと思ったから。
まあ、結局のところ、彼はビートルズを聴いていないのだ。有名な何曲か以外は。それは話をしていくうちにわかった。だから彼のビートルズ論に腹も立たなくなった。ただ、知らんのによく語るなぁ、とは思った。
私は、彼の好きなヘビメタとかハードロックは苦手だった。好きな曲もあるけど、この種の音楽を好きか嫌いかと問われれば「嫌い」だと答える。まあ、たいてい「あんまり好きじゃない」という言い方にしてたけど。
ヘビメタ、ハードロックのミュージシャンの演奏力については「スゲエなあ」とは思っている。ギターはむちゃくちゃ速弾きだ。フレーズもなんかよくわからん複雑さだ。ドラムの手数は多くて、音もデカい。ヴォーカルは「死んでしまうんじゃねえか」というような高い声で歌う。こういうのが好きな人がいるのはわかる。
でも、聴いてて気持ちよくないのだ、私は。
ビートルズを聴くようになって、まず思ったのは「圧倒的に曲がいい」ということだ。しかも、どの曲を聴いてもいい。ハズレがない。音楽の知識なんかないから、何でいいのかはわからないし言葉にはできなかったけど。
毎日聴いているうちに、誰が歌っているのかわかるようになった。ジョンとジョージのギターもざっくりと区別できるようになった。わからないのも多いけど。演奏が上手いのか下手なのかは知らない。プロなんだから下手なわけないだろう、ぐらいの感覚だ。
ビートルズは聴いてて気持ちいい。
この気持ちのよさはどこからくるのか、なんとなくわかってきたのは大学に入ったころだ。
『A Day In The Life』
何度も聴いてきた曲だ。このころ初めてドラムに耳がいった。
「なんちゅうドラムなんじゃ!」
やっと「気持ちのよさ」の原因がわかった気がした。リンゴ・スターのドラムだ。フレーズもドラムの音色も音の強弱も曲にぴったりだと思った。
しばらくリンゴのドラムだけに注目してビートルズを聴いてみた。
『Strawberry Fields Forever』
『Hello Goodbye』
叩いて欲しいところで、絶妙のフレーズが入る。こんなに気持ちいいドラムを叩くのに下手であるわけがない。むちゃ上手いやん。それは私の中で確定した。
それ以降、「リンゴは下手」という人と、ツッコんだ音楽談義をしようとは思わなくなった。私と感性が違い過ぎるか、そもそもビートルズを聴いてない人だから。話が嚙み合わないのだ。
「やっぱSDGs、やっていかんとダメなんじゃろな。とりあえず、人と環境にやさしい会社にしましょう、てことでええんかな? 他にもいろいろ言うとったけど」
事務所の外にある喫煙所で、遠くを見ながら同僚が言った。
「知らんがな。こういうんは自分で調べた方がええで。上の方から『これは正義です』とかの圧が強いときは、なんか怪しいで」
私は、それ以上は言わなかった。言いたいことはあったけど。
ああ、この男も「リンゴは下手」って言ってしまうかもしれんなぁ。