
沖縄の施政権返還 1972/05/15
沖縄の施政権返還も、米国ニクソン政権下の出来事である。日本政府(佐藤栄作首相)とニクソン政権は交渉をかさね、最終的には日米首脳会談(1969年11月19日から21日)で1972年5月15日までに返還で合意にいたった(1969年11月21日の日米共同声明)。
またその条件を定めた沖縄返還協定Okinawa Reversion Agreementについては、1971年6月17日、衛星放送でつないで、日米で署名式が行われた。日本での国会での批准は1971年11月24日。協定は1972年5月15日に発効した。
協定の内容及び両国間の交渉については、米国側は、合衆国軍の沖縄駐留の継続を、施政権返還の条件とした。日本側は、沖縄の非核化を要求した。これに対して、米国側は危機に際しての核持ち込みを求めることを条件に、非核化に応じたとされている。
この議論が興味深いのは、最近の日本の保守系の議論では、米国の核の傘のもとにあることを正面から肯定するのに、当時の保守政権は、独立国家日本として、米国の傘のもとに入ることをむしろ拒否して、非核化を求めたように受け取れることだ。
他方で、日本政府は、米国に対し、3億2000万ドルを5年以内に支払うことにも同意した。これは返還に伴う補償・移転費用を米国として確保する必要があったためとされている。
なおこの返還交渉が表面化した1969年頃から、中国(中華人民共和国)そして台湾(中華民国)との間で、尖閣諸島をめぐる領有権問題が表面化してくる。この問題の表面化について私は、施政権が米国側から日本政府に移るタイミングだからこそ、表面化してきたと考えている。日本では、この地域の海洋資源の存在が明らかになってきたので、中国や台湾が、領有権を突然主張してきたと説明することが一般的である。ただ米国から日本への施政権返還の問題が、1969年に表面化したからこそ、中国や台湾はそれぞれに主張を掲げ始めた、潜在的にはあった主張(それが正しいかどうかは別として)を掲げ始めたと理解すべきではないだろうか。