
『390円のアワビと、“想いの厚み”を噛みしめた夜』【下船グルメ#02】
神田の駅前。ふと目にした居酒屋の一文に、私は足を止めた。
「実家が漁師やってます」
たったそれだけの言葉が、胸の奥に―潮風のような郷愁を呼び起こした。

その文字を見た瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
なぜなら―私の実家も、漁師だ。
高知・宿毛から届いた“刺身の厚さ”。そして、まさかの「390円アワビ」

その店の名前は「料理酒場あらき」。
看板には「刺身は一般的な厚みの2倍です!」と。
実際に注文してみると、驚くほど分厚い刺身が皿の上に並ぶ。
海を知る者だけが出せる“誠実な厚み”だった。

この店を営む荒木啓弘さんも、高知県宿毛の漁師の家に生まれた人。
実家の水産物を使い、「料理酒場あらき」「沖ノ島水産」などを立ち上げた起業家でもある。
彼が漁師を辞めた理由――それは「百貨店で見た、カツオの価格」だった。
カツオが“10倍”で売られていた日
漁の仕事で関東に滞在していたとき、荒木さんは東京・新宿の百貨店に立ち寄った。
そこで見たのは、自分たちが出荷したカツオのたたきが、10倍以上の価格で販売されている姿だった。
「これが現実か」と思った。
「このままじゃ、生産者はずっと報われない」
その思いが、漁師から起業家へと彼を突き動かした。
青海苔も、実は“10倍の真実”がある。
その話を聞いたとき、私はハッとした。
なぜなら、青海苔もそうだったからだ。
私の実家は、徳島・吉野川で青海苔養殖を営んでいた。
船を出し、網を張り、刈り取り、洗って、干して、ゴミ取りをする――
その手間と根気のわりに、収入は決して高くない。
でもある日、都内の高級スーパーで
うちが出荷した青海苔が、10倍以上の価格で並んでいた。
誇らしくもある。けれど、複雑だった。
「この海の香りが、ちゃんと届いているのか?」と。
都会の棚に並ぶ“うちの海苔”を見たとき、どこか遠くに、自分が置き去りにされているような気がした。
“魚の向こう”にいる人を想像する。
「料理酒場あらき」で食べたアワビや刺身盛りは、
どれも、“海の現場”を知っている手がつくった料理だった。







メニューにも、
ホワイトボードにも、
そして一切れ一切れの厚みにも、「実家が漁師です」というメッセージが宿っていた。
あとがき
刺身が分厚いことに、最初は驚いた。
でも、その厚みは――想いの厚みでもあったのだ。
海の上で生きる人たちの努力が、
ちゃんと報われるような未来に向かって、
一皿ずつ、届けていきたい。
そして、今日も私は小さくつぶやく。
「実家が漁師です」と。
あなたにもきっとあるはずです。“〇〇と東京”のあいだで、揺れてきた記憶が。
―あなたは、その想いを、どこに置いてきましたか?