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【短編小説】借りた本 博物学の書 [シロクマ文芸部]

    借りた本 博物学の書

    「借りた本を返すようにと、おっしゃるのですか?」
     言って、恰幅かっぷくのよい中年の男は、卓を挟んで豪奢ごうしゃな椅子に腰かけている二人の少年を見た。一人は、十三歳ほど。中性的な、美しい顔立ちをしており、長い銀髪を一つに纏まとめている。もう一人は、九歳か十歳ほどであろう。ふっくらとした顔を、淡い灰色の髪が縁取っている。どちらも、上等な長衣に身を包んでいる。貴族の子弟だ。

     少年のうち、年長の方が、答えた。
    「そうだ。再従弟はとこがそなたに貸した、博物学の書だ」
     男は顔をしかめた。
    「あれは、譲っていただいたのですよ」
    「違う! 貸しただけです。あの本は、再従兄あに上からお借りした、大切なもの。譲ったりしません」
     とても珍しい、貴重な本であるから、ぜひとも少しお借りして、調べたい。そう言われたから、きちんと契約書を取り交わした上で、貸したのだ。

     むきになった年少の少年を制して、年長の、銀髪の少年が訊きいた。
    「契約書があるとのことだが」
     男は、したり顔で頷うなずいた。
    「ええ。お借りした際に、お書きいただきました。こちらです」
     男が差し出した文書を、銀髪の少年は、確認した。なるほど。おそらくは、一部の文字を、時間が経たつと消える特殊なインクで書き、まだ幼い再従弟を欺あざむき、まんまと署名させたというわけだ。偽造であると証明することは、難しいだろう。
     少年は、半ば呆れ、半ば感心した。
     この男は、希少な書物を商う豪商で、貴族の館にもよく出入りしており、少年も、見知っていた。こうした取引には精通しており、書類の偽造も、お手の物なのかもしれない。

    「ご納得いただけましたな」
     書面を見た年少の少年が、叫んだ。
    「違う……僕が署名した書類とは、文面が異なっている!」
     男は肩を竦すくめた。
    「そう言われましても、確かに、ここに署名がございますよ」
    「あの本は、再従兄上のものだ。返してください!」
    「どうしてもとおっしゃるならば、致し方ありません。買い戻していただくことは、できますよ」
    「そんな馬鹿なこと――」
     色めきたった年少の少年を抑え、銀髪の少年は、平静な口調で言った。
    「いいだろう。いくらだ?」
    「そうですな、ざっとこれくらいで」
     
     提示された金額は、法外なものだった。高位貴族の子弟であるこの二人の少年にも、一度に払い切れるような額ではなかった。豪商であるこの男にとっても、決して小さなものではあるまい。
     年少の少年が憤然ふんぜんと口を開こうとしたのに先んじて、銀髪の少年は、落ち着いた様子で告げた。
    「よかろう。ただし、この場ですぐには払えない。後日払うよう、契約書に署名をしてやる。だから、本を返せ」
    「そんな、再従兄上」
     蒼白になった再従弟に、大丈夫だというように軽く目配せして、銀髪の少年は、用意された契約書に署名した。そうして、本は、年少の少年の手に戻された。


     後日、男は、契約書を手に、意気揚々と、銀髪の少年の住まう領主の館にやって来た。そして、契約書を館の執事に示し、支払いを求めた。これで、大金が手に入る。そう思い、にんまりとほくそ笑む。
     契約書を目にし、執事は、険しい視線を男に向けた。
    「なんとけしからぬことだ。この男を捕らえて、牢に入れよ」
     たちまち、兵士たちが男を捕縛した。男は、愕然がくぜんとして、抗議した。
    「何をするのですか! わたしは、ご領主様のお孫様の署名の入った契約書を、所持しているのですよ」
    「書類の偽造、それも、よりによって閣下のお孫様のお名前を騙かたるとは、不届き千万。然るべき沙汰さたを待つことだ」
    「いや、確かに、署名が……」
    「これは、お孫様の筆跡ではない」
    「そんな筈はずは――」
     押し問答もこれまでと、兵士たちは、男を引き立てていった。


     その後、調査の結果、男は他にも幾件も、同様の罪を重ねていることが判明し、全て賠償させられることとなった。

     領主の館を訪れた際に、その顛末てんまつを再従兄はとこから知らされ、年少の少年は、再従兄に、丁重に礼を述べた。二人は、銀髪の少年の居室に、並んで腰かけていた。卓の上には、件くだんの本が置かれていた。
    「ありがとうございます、再従兄あに上。でも、いったい、どうやって……?」
     何か、魔法か、他の技を使ったのだろうか。
     銀髪の少年は、さらりと言った。
    「右手で書いた」
     あっと、年少の少年は、声を漏らした。気付かなかった。再従兄は、左利きだ。だから、当然、署名をするのも左手だ。右手で書いたのでは、筆跡が異なるため、正式の署名としては通らないのだ。
     実に単純な方法。それだけに、かえって気付かれなかったのだ。再従兄の機転に、年少の少年は、感嘆の声を上げた。
    「さすが、再従兄上!」
    「仮にも書物を扱う者が、借りた本を返さず、その上、金を巻き上げようとするなど、言語道断ごんごどうだんだ。これに懲こりて、改心すればいいがな」
    「まったくです」

     銀髪の少年は、卓の上の本を、丁寧に手に取った。藍色あいいろに着色された、滑らかな革の装丁に、銀色で題字が入れられている。深い青の瞳に、懐かしむような、遠い日々の日溜まりを彷彿ほうふつさせる、優しい色が滲にじむ。
    「この本は、もともと、俺のために父がアスラル公閣下からお借りしたものだ。それを、アスラル公閣下は、俺がアスラルを去ったときに、餞別せんべつにくださったんだ」
     この本とともに、父と過ごした時間を慈しむかのように、少年は、革の表紙をそっと撫なでた。
     その様子に、年少の少年は、肺腑はいふを、深々と衝つかれた。
     再従兄は、四年ほど前に父親を亡くし、それまで父親とともに身を寄せていたアスラル公の許もとから、父親の実家に、引き取られた。この本は、その父親の形見、アスラル公の贈り物だったのだ。それほど大切なものを、再従兄は、博物学を好む自分のために、貸してくれたのだ。それを、自分は、危うく失ってしまうところだった。
    「ごめんなさい、再従兄上。僕は、軽率でした」
     泣き出しそうになった再従弟はとこに、銀髪の少年は、ほのかな、温かい笑みを向けた。
    「いいんだよ」
     
     本には、読んだ人の思い、経へてきた時間が詰まっている。これから、大事な本を貸すときには、もっと慎重になろう。そして、借りた本は、ちゃんと返そう。
     再従兄への敬愛の念をさらに深め、年少の少年は、心中、誓うのだった。

    了


     今回、シロクマ文芸部さんのお題に参加させていただきました。
     どうもありがとうございました。

     前に参加した作品はこちらです。↓

     本作は、拙作長編ファンタジー小説〈隻翼の竜の書〉の一作、『霜夜の星』のスピンオフですが、本作のみでもお読みいただけます。

    〈隻翼の竜の書〉についてはこちらをご覧ください。↓


     
     
    物語や神話、歴史が好きで、ファンタジー小説を書いています。光と闇の狭間、多様な人間関係により織り成される、緻密で重厚な物語を、丁寧に紡いでいきたいです。 憧れは『指輪物語』。好きな作家はJ.R.R.トールキン、R.サトクリフ。 猫たちと同居中。 ほぼ毎週水・日更新。短編は随時。

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