
「漁に出たら、10年帰れなくなった」──ジョン万次郎①
1841年。
土佐の少年、
万次郎、14歳。
仕事は、
漁師。
この日も、
いつものように海へ出た。
本人としては、
魚を獲って、
家へ帰る予定だった。
ところが。
帰宅したのは、約10年後である。
キャリアプランとしては、
かなり予定外だった。
🎣 ただ、漁に出ただけだった
万次郎は、
土佐国中浜村の貧しい漁師の家に生まれました。
父を早くに亡くし、
幼いころから働いています。
1841年。
仲間たちと漁に出た万次郎は、
嵐に遭います。
船は流され、
一行がたどり着いたのは、
伊豆諸島の鳥島。
もちろん、
求人情報には書いていない。
【勤務地】
土佐近海
【実際の勤務地】
無人島
いきなり、
配属先が変更された。
🏝️ 143日間の無人島勤務
鳥島での生活は、
約143日。
食べ物も、
十分にはありません。
海鳥などを食べながら、
なんとか生き延びます。
14歳。
現代なら、
まだ中学生くらいです。
その少年が、
太平洋の孤島で、約5か月。
ここで人生が終わっていても、
まったく不思議ではありませんでした。
ところが。
水平線から、
船が現れます。
🚢 外資系企業に救助される
アメリカの捕鯨船、
ジョン・ハウランド号。
船長は、
ウィリアム・ホイットフィールド。
万次郎たち5人は、
この船に救助されました。
万次郎の人生に、
突然、アメリカが入ってきます。
現代風に言えば、
地元の水産業
↓
海難事故
↓
無人島
↓
外資系企業に拾われる
転職サイトでも、
このルートは紹介していない。
🐋 そのまま働き始める
しかも万次郎。
救助されて、
船室でじっとしていたわけではありません。
捕鯨船の仕事を見て、
覚えていきます。
船員たちと接するうちに、
英語にも少しずつ慣れていった。
つまり、
「助けてもらった外国船」
が、いつの間にか、
職場兼英会話教室になっている。
しかも教材は、太平洋。
実習は、捕鯨。
かなり実践的である。
🌺 仲間はハワイに残った
その後、
船はハワイへ寄港します。
漂流した仲間4人は、
そこで船を降りました。
ところが、
万次郎は違った。
ホイットフィールド船長とともに、
航海を続ける道を選びます。
ここが、
人生最大級の分岐点でした。
もし、
ここで万次郎もハワイに残っていたら。
私たちが知っている、
「ジョン万次郎」の人生は、
まったく違うものになっていたでしょう。
万次郎は、
さらに海へ出た。
そして、
すぐアメリカへ向かったわけでもありません。
捕鯨船員として、
各地の海を巡ります。
救助されてから、
アメリカ本土へ着くまで、
約2年。
海外インターンとしては、かなり長い。
🇺🇸 そして、アメリカへ
1843年。
万次郎は、
ついにアメリカへ渡ります。
マサチューセッツ州フェアヘーブン。
ホイットフィールド船長は、
万次郎を家族のように受け入れました。
そして万次郎は、
学校へ通います。
英語。
数学。
測量。
航海術。
土佐で漁をしていた少年が、
日本では簡単に触れられなかった知識を、
次々と吸収していく。
14歳のとき、
履歴書に書けたのは、
おそらく、
「漁ができます」
くらいだった。
数年後。
「英語ができます」
「航海できます」
「測量できます」
「アメリカで生活したことがあります」
「捕鯨船で太平洋を回りました」
採用担当者。
「ちょっと待ってください」
🌊 キャリアは、予定どおりに進まない
もちろん、
万次郎が最初から、
世界で活躍しようと思っていたわけではありません。
留学計画を立てたわけでもない。
海外就職を目指したわけでもない。
ただ、
漁に出た。
漂流した。
生き延びた。
助けられた。
そして、
目の前に現れた環境で、
学んだ。
結果として。
土佐の漁師の少年は、
日本でもほとんど例のない、
海外経験を持つ人間になっていた。
ただし。
まだ、
日本には帰れない。
万次郎には、
どうしても会いたい人がいました。
故郷に残した、
母です。
そこで万次郎。
帰国するために、
次の行動へ出ます。
普通なら、
旅費を貯める。
万次郎も、
そう考えた。
ただし、
稼ぎ方が少し違った。
金を掘りに行く。
次回。
ジョン万次郎、
ゴールドラッシュへ。
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