
砂浜のチューニング〜ノイズの向こうの“遠い世界”
中学校の技術家庭科の授業で、AMラジオを製作することになった。
教材はソニーのラジオキット『ICR-K10』である。白い筐体に直線的な緑のラインが配された、当時としても斬新なデザインが印象的だった。キット自体は『小学校高学年向け以上』を対象とした製品だったと記憶しているが、決しておもちゃではない。国内メーカー、それもソニーが手掛けた本格的な高感度ポケッタブルラジオである。
組み立てとはんだ付けは比較的容易で、さほど時間をかけずに完成した。放課後の夕方、私たちは完成したラジオを携えて海沿いへ向かい、受信状態を確認することにした。
「日が暮れる時間あたりから、昼間には決して聴こえない遠くの局の電波がガンガン入り始めてくる」
友人のアキヨシ君が教えてくれたその言葉を頼りに、私たちは周波数表と睨めっこしながら、期待を込めてダイヤルをチューニングしてみた。
後志北西部から直線距離でそれほど遠くない江別送信所からの電波は、明瞭に受信できた。やや悴(かじか)んだ指先で、小さな選局ダイヤルをミリ単位で慎重に回す。「シュルシュル……」という電子音や「パチパチ……」と爆(は)ぜる静電気のノイズの中から、声が「ふっ……」と焦点を結ぶ瞬間が心地よい。
「おっ? 留萌のSTVが入ったぞ」
友人の一人が声を上げる。
「……うんうん、こっちは函館のHBCらしいな」
別の友人がスピーカーをこちらに向けた。微かではあるが、『小沢昭一的こころ』の語りが確認できた。
「おいおい、東京の局も聞こえっど。聴いてみれ」
日没が近づく北海道の鄙びた浜辺の波音に、首都高速の交通情報が混じり合う。
中秋の太陽が水平線に沈むと、周囲は急速に暗転していった。浜風は急激に冷たさを増し、薄手の制服を通り抜けて肌を刺す。しかし、未知の電波を捉えるたびに上がる歓声と高揚感は、私たちの体温を内側から確かに押し上げていた。それと対照的に、残光の中で筐体の緑色のラインが鮮明に浮き上がる。その視覚的なコントラストは、夜の帳の中で私たちの現在地を指し示す標識のようでもあった。
夜が深まるにつれ、受信状況はさらに変化した。上空の電離層の影響により、日中は遮断されていた海外の信号がノイズの壁を越えて届き始める。日中の快活な日本語放送に代わり、大陸から届く力強い異国の言語や、短調の物悲しい旋律が断片的にスピーカーから流れ出した。それが何語なのか、どこの国の音楽なのかさえ判然としないその響きは、闇に包まれた北の海を越えて届く『未知の世界』そのものだった。正体不明の音の塊に触れた私たちは、自分たちの理解が及ばない『巨大な何か』に直面したような、言葉にできない畏怖を覚えて暫(しば)し沈黙した。
「遠いなぁ……」
誰かの呟きが、潮騒とノイズの中に溶けていく。プラスチックの筐体を通じて伝わる微かな振動は、この国の北の果ての辺境にいる私たちと、まだ見ぬ外部の世界とを物理的に繋いでいる実感を伴っていた。
*
――あれから数十年が経過し、ラジオを取り巻く環境は一変した。radikoのエリアフリー機能は地理的制約を解消し、ワイドFMの普及は受信品質を飛躍的に向上させた。利便性と技術革新の恩恵を享受する一方で、時折、かつてのAM波特有の質感に思いを馳せることがある。
ノイズの向こう側に広大な世界を推察した、あの不確かで濃密な体験。AM放送の縮小とともに、物理的な距離を想像力で補完していた独特の感覚も失われつつあることに、静かな喪失感が胸をかすめるのを覚える。筐体越しに感じたあの振動は、効率化と引き換えに私たちが手放した、未知の世界に対する切実な関心の表れだったのではないか。
〜後記〜
当時組み立てたICR-K10は、今も実家で現役だ。母の愛機として、『テレフォン人生相談』をはじめとする日々の生活の音を実直に刻み続けている。かつて未来を展望した記憶を内包しながら、少し色あせた緑のラインを湛える白い筐体は、今日も日常と、どこか遠くの世界を繋ぎ続けている。

こちらも手元に来て数十年間、ノーメンテナンスで鳴り続けている。