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あなたの内面エグちゃうぞ

    アラフィフともなると同年代と会うとまず健康の話になるわけですが、その会話がすでにお互い
    「ちょっとこいつ口臭いな」
    って思ってることありますよね。
    加齢臭然りそれは仕方ないことなんですが、僕はそれが気になり過ぎて最近映画やドラマがまともに見れないんですね。

    敵に刺されて病院に搬送されたけど、目覚めた瞬間に無理してヒロインを助けに行こうとする主人公。
    気持ちはわかるけど、歯を磨いてから行けと。
    君は1晩目を覚まさなかったわけなので、今そのまま言ってヒロイン助けれたとしても口臭で嫌われると。
    ハッピーエンドには程遠いと。

    不良チーム同士の抗争で、なんとか勝てたけどボロボロになって仲間におんぶされて帰る。
    ガキの頃の思い出とか話したくなるタイミングだけど、あまり口を開くなと。
    長時間水分取ってなかったから口の中渇いてるのに、仲間の鼻の真横で死角から喋るとかリスク高過ぎるぞと。
    明日からチーム名「臭・豆・腐」に変わるぞと。

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    AIにイメージ画を頼んだらケガ人が逆でほぼイジメでした


    嫌な話ではありますが、お気づきの通り今回はあなたの内面をエグるこんなテーマ。


    シャーデンフロイデ、ルサンチマン、そしてやっぱりエシカルの話


    「芸能人の不倫騒動とかマジでどうでもいい」
    そう言う人に限って、相手の名前も、出会ったきっかけも、離婚のタイミングまでやたら詳しい。
    「興味ない」と言いながら、なぜかその話題になるとテンションが上がる。
    それって本当に「興味ない」のか。
    それとも気にしてる自分を知られたくないだけなんじゃないか。

    僕もそう。
    さらに言うとそんなニュースにどこか「ホッ」としてる自分がいると気づいたとき、ちょっとゾッとしたことありませんか?



    他人の転落で、安心してしまう自分

    この感情には名前があります。
    「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」。
    ドイツ語で、「他人の不幸を見て、心のどこかで喜んでしまう感情」を指す。

    SNSで炎上したインフルエンサー。
    マウント気味だった同僚のミス。
    キラキラしてた人の「実は病んでました」投稿。

    「ああ、やっぱりな」
    「そりゃそうなるよね」
    「まぁ人間だよね」
    そう言いながら、どこか安心してる自分がいる。
    (個人的には「あ、俺いまシャーデンがフロイデってるな」みたいな使い方します)

    他人の完璧さや幸運を見ていると、自分がすり減る。
    だからその誰かが崩れたとき、相対的に自分が回復したような気がする。
    こういう感覚の奥には、自分の立場に対する「無力感」と、それを誤魔化すための心理的な「補償行為」があると言われていて、でもそれで終われないのが現代人の厄介なところなのなの(語尾どうした)



    「正しさ」に化ける嫉妬──ルサンチマンという装置

    このシャーデンフロイデの奥には、
    「ルサンチマン(ressentiment)」という感情の装置があります。
    ニーチェが名づけた概念で、
    「劣等感・嫉妬・怒りを、道徳的な正義にすり替えて、優位な存在を否定しようとする心の動き」のこと。

    ・「あの人は成功してるけど、きっと裏で悪いことしてる」
    ・「金持ちって絶対性格悪いよね」
    ・「あんな幸せアピール、そうじゃない人に無配慮すぎる」

    こういう言葉の背景には、
    「自分には届かないものへの怒り」と、
    それを隠すための「正しさの仮面」がある。

    そしてこれは社会全体にも広がっていて、
    「謙虚であれ」「空気を読め」「出る杭は打たれる」
    という空気感が、ルサンチマンを肥大化させる温室になっている気がするんですよね。

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    ChatGPTが描いたルサンチマン


    インナーチャイルドは、黙ってない


    でも僕は最近、もう一歩踏み込んでこう考えています。
    この「嫉妬」や「シャーデンフロイデ」って、
    実はもっと根源的な、「心のこども」から来ているんじゃないかって。

    インナーチャイルド。
    それは、誰の中にもいる、幼少期のままの「満たされなかった小さな自分」。
    その子が、
    「なんであの子ばっかり!」
    「ずるい!」
    「本当はボクがそれほしいのに!」
    と、叫んでる。

    でもその声をストレートに吐き出したら、社会では「幼稚」だと思われる。
    だからその上に「理性の大人」という皮が玉ねぎのように何層にも覆いかぶさって、代わりに言い訳を考えてくれる。

    「私は別に興味ないけど、確かにあの人はちょっと調子に乗ってたし…」
    「社会的にどうかとは思うよな」
    と、世間に受け入れてもらいやすそうな「正当な怒り」に変換してくれるんです。

    さらに、その「理性的な大人」は、
    「攻撃した後の自分さえも、ちゃんと許してくれる」
    という便利かつやっかいな機能も持ち合わせています。

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    闇落ちインナーチャイルド


    自己免責の暴走と、SNSという加速装置

    現代社会は、この構造にとって理想的なフィールドを提供していると思います。
    そう、SNSですよね。

    ・攻撃は匿名でできる
    ・自分の主張には「正義」のラベルを貼れる
    ・共感と拡散が、その怒りに「価値」を与える
    ・さらに自己肯定メッセージで自分を癒せる

    つまり、「攻撃→正当化→癒やし」のワンストップサービスが成り立ってしまっているんです。

    結果、
    インナーチャイルドはどんどん泣きわめき、
    それを包む「大人」はどんどん慰め上手になる。



    エシカルとは、自分の外側に想像力を持つこと


    さぁここでようやく「エシカル」の出番なんですが、
    誰かの転落を喜ぶシャーデンフロイデや、成功者をねじ伏せようとするルサンチマン。
    それは自分の外にある他者を見下すことによって、相対的に自分の輪郭を確かめようとする行為だよなと思ってて、
    「自分以外の誰かの存在に、ちゃんと想像力を持つこと」がやっぱりエシカルだよなと。

    誰かの失敗にホッとする自分がいたとしても、
    その奥で泣いている「自分の中の子ども」を見つけて、
    「そうか、悔しかったんだな」と気づいてやる。

    それができたら──
    もうその悔しさを「誰かのせい」にして拡散する必要は、なくなる。

    だから「エシカルで在る」というのは、
    日々の些細な感情の中で「誰かの足元を見る」のではなく、
    「自分の歩幅を確認する」ことなのかもしれないなと、きれいなまとめ的にそう思うんですよね。




    もちろん最後はエシカルな仲間募集!


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    商品・サービスがコモデティ化してきたことで、ビジネスには今まで以上に「社会的視点」が必要になってきたんだと感じています。

    社会性と収益性のバランスを高い次元で両立した事業展開をしているエシカルノーマル。

    FC募集を始めてもうすぐ2年(現在20店舗)、
    2026年3月までに30店舗を目指しています。

    「新しいことに挑戦したい!」
    「どうせならもっと世界を良くする仕事を!」
    と考えてるあなたへ、「ぜひ仲間になってください!」と言いたい。

    実際に声に出すわけではないですが、言いたい。
    こっちばっかり言うの恥ずかしいのでそっちから早く言ってきてください。

    ご興味がある方はFC向け事業説明動画を見てください!


    「もっと詳しく聞きたい!」って方は僕にメッセージください!

    本川直通メール
    honkawa@ethical-normal.com


    お待ちしております!!


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