メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byhidemaro2005

みんな仲良くすれば平和になる?

     働いていた頃、最初の組織での経験から
    「今日は平和だよね」という言葉が
    各自異なる意味を持つことに気づいた。

     その結果
    「みんな仲良くすれば平和になる」
    という考え方は、
    単なる綺麗事に過ぎないと強化された。

     学生時代には漠然とした気持ちを持っていたが、
    職場での経験を通じて言語化され、スッキリした。

     上司が出張や有休の際、部署内がスムーズに作業を進められると平和だと思われがちで、実際には不仲な人同士がケンカしないことや不機嫌を撒き散らされないことも、また平和だったりする。

     わたしがいた組織には学閥や官公庁の天下りが存在し、見えない壁が互いを腫れ物にしていた。

     コミュニケーションは乏しく、
    表面上は波風が立たない状況だった。

     ある会議で、返品が減らない問題が議題になり、
    上司が返品をPB(プライベートブランド)に落とし込んで再利用する提案をした。

     だが、食品を扱う私たちの組織に対して、
    天下りの人は
    「消費者を裏切るようなことはするな」
    強く反発した。

     こんな状況で、小娘のわたしは自分を透明にし、
    オッサンたちの熱から逃げるしかなかった。

     コミュニケーションが平和をもたらすどころか、
    不和の溝を深める感覚があった。

    「みんな仲良くすれば平和になる」という考え、
    実際には戦争や紛争がなくなること、
    競争社会がなくなること、
    そして人権が尊重されることなど、
    多様な解釈ができる。

     国家間や個人間での平和の定義は一様ではない。
    他者に対して寛容であり、干渉しないことが原則と定めてしまうと問題が生じることもある。

     特に荒くれ者にどう対処するかが課題だ。

     学校では指導者が話し合いを促し、解決を図る対策ができるとして、国際的な問題や会社内の対立ではそれが機能しない場面が多い。

     個人ができることは、
    歴史や相手の背景を知り相互理解を深め、
    協力を強固にすることだ。
    対話を通じて共通の目標を持ち、
    多様性を認め合うことが要になってくる。

     でも、これを「仲良く」と呼ぶなら、
    誰かの譲歩や我慢が必要になると思う。
    社会的構造から生まれる格差をどう縮めるかも課題になってくる。

     結局、仲良くするためには多くのプロセスが必要であり、人に優しくすれば仲良くなれる、平和が訪れるの考えは幻想だと言える。

     悪口や攻撃を趣味とする人がいるとき、
    距離を置くことが「平和」となる。
    仲良くするのが本当に平和ならば、
    綺麗事を唱える人々はどう釈明するのだろう。

    #シロクマ文芸部
    #小牧幸助さん

    この記事が参加している募集

     
    人の淋しさは対象によって癒される、淋しさ わたしの淋しさは 万物でも癒されない定めの淋しさ 手に握る砂が指から零れてしまう 狂人には沈黙を、佳人には微笑みを わたしはわたしの道を歩んでいるだけなのに ©️ももまろうめこのnoteは私に著作権があります 無断転載禁止です

    あなたへのおすすめ