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Photo byhidemaro2005

普通っていう呪いから逃げていいよ

     「わたし、普通の人ですよ?」って、
    胸張って言える人、ちょっと手を挙げてみて。

     うん、ほとんどの人よね。
    日本じゃ「普通」が免罪符みたい。
    普通なら安心、普通なら安全、普通なら幸せ。

     ほんとに?

     じゃあ、noteに流したこの投稿見てよ。
    「日本にいれば普通かもしれない。アフリカに行けば確実に、違う人」

     ももまろうめちゃん、ナイス突っ込み!

     普通って場所が変われば一瞬で崩れる砂の城なのに、なんでわたし達、こんなに「普通」にしがみついてるの?

     ステキな「普通」って、ステキな「罠」かもしれないよ。

     日本じゃ『色白=美の普通』って信仰があるよね。人から褒められたくて、自己満足に浸りたくて、人は年がら年中、日焼け止めを塗り、日焼け対策をしている。

     真夏になれば、半袖から覗くのはアームカバー。
    ツバが広いサンバイザーや帽子を被り、顔の半分はフェイスマスクで隠しているから
    「周りは色白の肌を目指しているんだな」
    「肌が白いのも普通」だと思っていた。
    その『普通』が一瞬で崩れる瞬間、見たことある?

     女優Xの不倫報道が出た途端、ネット民は
    「色白で清楚ぶってるけど、腹黒いよね」と一斉に攻撃。彼女の普通の美しさが、嫉妬や不満の投影だったってこと。

     普通ってこんなにも脆い。普通だと思っていた価値観をぶっ壊す、手のひら返し。
    匿名をいいことに本音をSNSで垂れ流す人たちは、
    本心では色白をおもしろくないと感じていた。

     あなたたちの努力や他人からのおべんちゃらは罠であり、裏で人格否定される材料になっている。

     日本の普通信仰。ところで普通ってなに?
    人が生まれつき持っているものを隠さないこと?
    人が生まれつき持っているものを否定すること?

     答えは、愛だの平和だのと言いながら他人を差別し排除するのが普通。
     多様性を尊重と言いながら、子ナシ選択やLGBTQ+の人を「普通じゃない」チラッと見下す空気、ありません?

     「平和が大事」と言いながら、SNSで気に入らない意見をブロックしまくるの、普通ですよね?
    だってあなたたちは結局、自分が正しいにシツコクこだわるだけの人でしょう。

     「普通」は客観的な基準じゃなく、社会が押し付ける幻想。だけど、なぜか日本人は「普通でいい」「みんなと同じ」を安全牌だと思い込んでいる。

      学校での「みんな一緒」の教育、会社の「出る杭は打たれる」文化、SNSでの「いいね」の同調圧力。これらが「普通」を神聖化し、個性を潰す。

     声のデカい人を支持する賛成票に反すれば、たちまち異常に位置され、「普通」は多数派の気分次第で変わる不安定なもの。

      日本の若者の自分らしさより安定志向。
    リクルート調査で新卒の7割が安定した企業を重視やSNSでの量産型。トレンドを見ると同じ服、同じカフェの画像を挙げ、普通の画一性はただのコピペでなんの面白味もない。

     Instagramで量産型な画像を上げる人、「普通の枠」で承認欲求を満たしたいだけ。
    いいねの数が普通の証明になるとき、個性なんて消えてるよね。

     「結婚しないの?」って聞かれたとき、
    「自分には合わない」と言えば済むのに、周りは
    「まあ、個人の選択だよね」って無理やり普通の枠に押し込もうとする。
    あの気まずい空気、普通を強制する呪いですよね?

     誰かが「結婚しない」と言えば支持し、誰かが「子どもは要らない」と言えば共感する。
    他人にあって、自分にないものを「普通」の枠で囲み、自分のないものを美化するのが「普通」

     個性のアピールをする人は普通の人だから普通になりたがらずに、普通を嫌う人も、普通からの逃避がモチベーション。

     エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』引用すれば、人が普通にしがみつくのは、自由の不安から逃れる。

    すなわち、外界との関係を結ぼうとする要求、孤独を避けようとする要求がそれである。

    『自由からの逃走』第一章p.25

     ムラ社会が普通を強化? うん、確かに。
    でも、ぶっちゃけ、LINEグループで『既読スルー禁止』みたいな暗黙のルールに縛られてる時点で、ムラ社会のミニチュア版だよね。

     日本のムラ社会文化や恥の文化が、普通を強制する仕組みを強化。戦後の経済成長期に中流意識が広まり、みんな普通が国民のアイデンティティになった歴史がある。

     つまり、限界集落に行けば、わたしは普通じゃなくなる。
     「普通」は母集団次第の相対的な概念なんだよ。
    都会では普通の会社員が、過疎の村ではよそ者に。

     「普通」を数学的に見ると平均値にすぎないのに、なぜか「道徳」や「正しさ」と結びつけられる。本当に矛盾しているよね。

     結婚しなくても、子どもが居なくても
    「わたしには無理ゲーでした」で済むことが、
    なぜだか普通をキープするために、配慮や尊重に変わっている。

     わたし自身は普通であるのを安心している部分や周りから人畜無害だと思ってくれたらいいと考える節もある。
    「普通」をポジティブに捉えると、「普通」は安心や居場所をくれるかもしれない。

     でも、そこに甘んじると、自分の可能性や「自分だけのステキ」を切り捨てることになる。

     普通の会社員として生きてきた人が、定年後に農業に目覚め、「普通じゃなかった自分」を発見した知人を知っている。
     
     根気強さや忍耐力を必要とする農業は、自己管理のできる賢い人にしか向かないと避けていたが、お孫さんの誕生で憧れの世界に踏み入れたら、会社から帰宅して寝るまでネットに入り浸り、朝も起きれなかった自分が規則正しい生活を手に入れて「普通じゃなかった自分」と対面したそうだ。

     今では営農集団の仲間もできて、充実した日を送っていると、野菜に同梱された手紙には書いてあった。

     自分に似た者がいるところへ身を寄せると普通になれる。普通は自分で選べる居場所でもある。ただし、誰かの普通に縛られると結局自由を失う。
    なんとなく、そんな気がする。

     普通って結局、あなたが選んだ枠でしかない。

     ステキな普通?
    それはあなたが自分で定義していいもの。
    アフリカでも、限界集落でも、SNSでも、どこでも普通は変わる。

     じゃあ、今日のあなたにとっての「ステキな普通」って何?
    それ、本当にあなたの選んだもの?

     普通は危うく、アテにならない。
    普通を疑うことが、自分だけの人生を切り開く第一歩じゃないかな。

     「普通でいいや」なんて言ってるうちに、あなたの『ステキ』がどんどん遠ざかってるかもよ。

     どうする?

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    人の淋しさは対象によって癒される、淋しさ わたしの淋しさは 万物でも癒されない定めの淋しさ 手に握る砂が指から零れてしまう 狂人には沈黙を、佳人には微笑みを わたしはわたしの道を歩んでいるだけなのに ©️ももまろうめこのnoteは私に著作権があります 無断転載禁止です

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