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Photo byhidemaro2005

嫉妬と私、ああバカバカしい

    「嫉妬、ああ〜醜い嫉妬心よ。ここへ出よ」

     嫉妬する自分が嫌だ。
    でも、嫉妬をなくすことはできない。
    SNSでも職場でも、結局は同じ感情に振り回されている自分。

    「褒められたい」
    他人から見ればどうでもいいことへ、傷ついている醜い自分。

     前置き、長い



    【SNS編】

    「新しい趣味を見つけよう」

     書くことにこだわらず、今のところは、身体を動かすのを中心に、
    ジム→ヨガ→ジム→ヨガ……毎日通っている。

     再びトレッキングに挑戦しようとMILKFED.のリュックを買って、後は晴れる日を待つのみ。

     けれど、心に綻びができて風がスゥスゥする。

     趣味は書くことでもいいのだけど、何を書いても
    なーーーんにも、ウンもスンも評価や感想がないと
    やってらんないよ。

     昔から言いません?
    承認欲求は、イヌ、ネコ、ももまろにもあるって。
    あら、知らないの?
    あなた、何年、人間やってるの? 

     そりゃね、理屈は分かりますよ。
    あれでしょ?
    「結果は後からついて来る
    楽しんでやった先に結果がある」
    分かりますよ、小学生のときに言われました。

     だけどさ、褒められるって、
    当然ながら、社交か実績のある人しかリプライやリツイートがかけられないの。
    noterからも、note運営からも。

     つまりは、
    『わたしへは言葉がない=実績のないポンコツだということ』

    「褒められる人」と「そうでない人」は、最初から決まっているのかもしれない。

     noteでどんなに書いても、noterからの反応は薄いし、note運営の目に留まることもない。
    結局、褒められるのはすでに実績のある人や交流上手な人たち。

     それが公正じゃないことは分かっているけれど、それでも「褒められたい」と思ってしまう自分がいる。

     SNSとは、
    結局「誰が言うか」で価値が決まる世界。
    書いたものそのものではなく、発信者の肩書きや影響力によって、評価が左右される。
    その現実を受け入れながらも、やっぱり嫉妬してしまう。

    「どうして私は選ばれないの?」という問いが、頭から離れない。

    ……疲れちゃった。

     Xを見ていると、note運営はお気に入りnoterにしか絡まないし、それが『今日の注目記事』に直結していて、苛立ちと嫉妬に変わる。

     当然、注目されるnoterは記事をリツイートされたり、リプライがもらえる。

     世の中、公正や公平といかない不条理は分かります。40年以上も生きているとね。
     自分の力のなさに自己憐憫を超越して、
    「どうしてここまで、見たこともない人からわたしは否定され続けるのだろう」被害妄想になる。

     結局のところ、noteとは社会の縮図で、何らかの実力がない者は淘汰されていく。
    嫉妬するだけ無駄なのに、分かっていながら嫉妬する、わたしはただのアホです。

     つまり、SNSでは
    「実力のない者は評価されない」という現実に、
    わたしは苦しんでいる。
     それなら実社会ではどうなのか?



    【実社会編】

     実社会はSNSほど心は揺るがない。
    大概のものは努力でなんとかなるし、身の丈以上を望まないからだと思う。

     しかし努力が報われるなら、わたしはこんなに嫉妬しないはずだ。
    実際の職場でも、同じ感情に振り回されていた。

     SNSでは理不尽に褒められない。
    しかし、職場でも結果は同じだった。
    嫉妬の普遍性が今、こうして浮き彫りになる。

     身の丈といえば、そう。
    仕事していると、女のわたしができたことを男性ができると褒められる。

     たとえば、わたしはパソコンが苦手だ。 
    あれはわたしが二十代だった。

     データ入力にはひな形があり、ソフトを入れて、ただ数字を打ち込めば済むだけとは限らず、
    一から数表計算できる形作りをしなければいけないときもあった。

     そのためパソコン教室へ通って資格を取得した。
    わたしなりに頑張ってやってきたつもりだった。
    習得したスキルを他の男性社員に教えて、ヤツも1人で表が作れるようになると、上司はヤツをベタ褒めした。

    「どうして?わたしはできたし、総意と工夫と時間やお金をかけて乗り切ったのに、なぜヤツは褒められるの?」

     仕事は安っすい賃金以上に、心血を注がざるを得ないケースもあり、自己犠牲を伴うときが出てくる。なのに、ヤツだけ褒められるなんて、社会って間違ってるよ。

     悶々とした胸中。憤りを顔に出してしまえば周りの空気が悪くなる。

     わたしは部署では下っ端の分際で、オッサンやオバサンは物を丁寧に扱わないから、すぐに失くしたり壊したり。

     それらがないと業務は不自由で、総務へもらいに行ったり、買い出しに出たりのパシリはわたし。

    「褒められないなんて不公平だ!」
    こんなことが言えるほど偉くなかった。
     嫉妬心が頭から離れず、自分が至らないからではないかと思考を巡らす。

     いつもそうだ。

     嫉妬すると、自分を責めて努力の方向性が違うんじゃないかと紙のノートへ書き出した。
    「頑張ってないから嫉妬するなんて間違っている」自分を責めていった。
    その方が楽だったのだと、今なら分かる。

     他人へ絡んでトラブルを起こすより、殻へ閉じ篭もるのが安全だと。



    【結論】

     わたしは実家が禅宗で、禅の影響を受けている。
    禅入門などを読み、マズローの欲求階層説に出会い
    「なんだ、
    自己実現の欲求を満たせばいいんじゃん」
    自分が良けりゃいいんだよ。

     それでも燃えて熱い嫉妬心を冷却する言葉。

     昔、講義の寄り道で言った教授の言葉を思い出した。

    「自分以外、みんなバカ」

     良心を捨て、心で唱えれば嫉妬心が薄らいでくる
    「なぜ、変えられない他人に振り向いてもらおうとしたんだろう? それってバカバカしいよね」

    魔法の言葉で締めます。


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    #嫉妬祭り
    #池松潤さん
    #斉藤ナミさん

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