
鰆の全体像を、私は知らない
引っ越してから、家で魚を焼くようになった。
ここ数年のことだ。前の家ではあまり焼かなかった。
新しい家の近くには百貨店があり、駅前のスーパーには魚屋がある。それで、なんとなく切り身を買って帰る習慣ができた。
魚を焼くのは、もっぱら私の仕事だ。
家のなかで二人いるうちの片方、つまり私が、いつのまにか「魚焼きの名人」ということになっている。誰がそう決めたのかは思い出せないが、そう決まったのだから、それなりに気を遣って焼く。
鰆が、好きになった
家で焼くようになってから、好きになった魚がある。
鰆である。
正直に書くと、以前は鰆と聞いても全く嬉しくなかった。そもそも食べる機会がそんなになかったのかもしれない。
鰆が「大好物の魚」になったのは、引っ越してからの、ここ二年ほどのことだ。
鰆という魚は、淡白だ。マグロやハマチのような、脂のギラギラした主張はない。にもかかわらず、ふっくらしている。旨みがある。上品な、という形容がいちばん近い。
家のなかで濃い味を好む者はいない。オリンどんも、私も、薄味のほうがいい。
だから鰆を焼いても、醤油はかけない。何もかけない。そもそも焼くときに塩すらかけていない。
塩はかけたほうがいいのだろうか。何か味以外の変化があるのだろうか。
考えたこともなかった。今日まで、これでうまくいっていた。
今日の鰆

今日の鰆は、オリンどんが買ってきた。
魚売り場で、買うときにちょっと迷ったらしい。
目に入ったのは鰆とブリだった。
ブリの切り身は、なんだか色が悪かった。赤黒い感じだったそうだ。それでブリはやめた。
残ったのは鰆だが、こちらももう少し脂の乗ったのがいいなと思った。けれども、それは売っていなかった。今日の鰆は、いつもの切り身より少し安い感じがしたそうだ。
買うかどうか迷っていると、魚売り場のおばちゃんに声をかけられた。
「これ、味が濃くておいしいよ」
オリンどんは、しぶしぶ買った。
家に帰ってきた切り身を、私はいつもどおりグリルで焼く。皮目を下に、弱火でじっくり、最後にひっくり返して皮の面を上にして強火で。今日も、それなりに焦げ目はついた。
ただ、ひっくり返すときに、片方の切り身の一部が崩れた。
名人にあってはならないことだ。とはいえ、こういうことは時々ある。崩れた切り身は、私が責任を持って食べることにしている。
崩れたのは、切り身が薄かったのも一因であるとは、決して言えない。
食卓に並べて、二人で食べる。
「ちょっと薄いね」
オリンどんがひとくち食べて、そう言った。
味のことではない。身が薄い、という意味だ。今日の切り身は、いつもより明らかに身が薄かった。
味そのものは、悪くなかった。おばちゃんが言った通り、それなりに乗っている。おばちゃんは嘘をついていなかった。ただ、家のなかの基準で言うと、身の厚みが物足りなかった。それだけのことだ。
それでも、醤油はかけない。塩もかけない。そのまま、食べる。
食卓の上で
オリンどんは、魚の皮を食べる。胃腸が強いから、皮も問題なく消化できるらしい。むしろ、皮を楽しみにしている節がある。
だから、切り身が薄いと、ちょっと嫌そうにする。厚みがないと、皮の大きさが小さくなるからだ。たぶん。
今日の鰆も、いつもより少し薄かった。「薄いね」と言ったとき、皮の話までしていたかどうかは、私には分からない。
皮はしっかり焼かなければならない。焦げ目を多めにつける。パリッとさせる。名人と言われている以上、皮で手を抜くわけにはいかない。
そして、私はその皮を食べない。
私は皮が苦手なのだ。グリルで丁寧に焼いた、自分が一番気を遣ったその部分を、自分の皿の上で残す。
オリンどんは、自分の皿の上の皮は食べる。
でも、私が残した皮は、食べない。
これは、譲り合いでも、優しさでもない。なんとなく、そういうことになっている。
皮は、それぞれの皿の中に残るか、なくなるかする。境界線が、皿のふちで止まっている。
食べながら、オリンどんがふと言った。
「鰆って、ウロコあるのかな」
私は手を止めて、考えた。
そういえば、鰆の全体像を見たことがない。頭から尻尾までの、一匹の鰆。私が知っているのは、スーパーで売られている切り身だけだ。今日の切り身には、ウロコはついていない。
二年も「大好物の魚」と言いながら、私はこの魚の全体像を知らないでいる。
オリンどんも、たぶん同じだ。家のなかで、誰も鰆の本当の姿を見たことがない。
調べればすぐに分かることだ。スマホを取り出して検索すれば、五秒で答えが出る。
でも、私たちは調べなかった。
ただ「あるのかな」と言って、身の薄い鰆を、最後まで食べた。
焼いてみると、切り身はさらに薄くなる。火を通すと水分が飛んで、想像以上に小さくなる。今日もそうだった。
それでも、二人で最後まで食べた。
ただ、以前食べた、もっと分厚い鰆の感じが、どこかに残っている。
たぶん私たちは、また分厚い鰆を探しに行くのだろう。
