
寂しさは「noteを書く」強い動機になる
たまに「なぜ、1,300日以上、noteを続けられているんですか?」と聞かれることがある。
答えはひとつではない。ぱっと思い浮かぶのは「寂しいから」だ。
物心がついたときから、寂しさを度々覚えて生きてきた。高校時代に学校で孤立したときは、心細くてしかたがなかった。ひとりでどこかへ出かけると、寂しさばかりが募り、家に帰りたくなった。
大人になってからは、ひとりのほうが気楽になった。きっかけは、もともと人に配慮しすぎるところがあり、それが気疲れを起こして、エネルギーを減らしていると気づいたことだ。
それからは積極的にひとりで行動するようになり、「ひとりも悪くない」と思えるようになった。寂しさとも、ある程度の折り合いがついた。とはいえ、根源的な寂しさは、今でも色濃く残っている。
寂しいと、人はつながりを求める。
noteを始めた頃、誰にも言えないことを書いてみた。尊大に振る舞う人間への怒りを、荒ぶりながら綴った記事だ。そこに「私も同じ経験があるので、気持ちがわかります」と、共感のコメントをいただけた。
もちろん、反応のためだけに書いているわけではない。それでも、「つながりたい」は、自分の中で書く立派な動機だと思う。
反応があると嬉しい。ただ、書くこと自体にも、心を癒す効果がある。書き続けていると、澱のような感情が浄化され、結果として、心細さが薄れることもある。反応がなくても、書く意味はちゃんとある。
もしあなたが寂しさを持て余しているなら、それは決して悪いことではない。
世の創作物の何割かは、寂しさから生まれているのかもしれない。人目に晒すことの根底には、つながりたい気持ちがある。少なくとも僕は、そう感じている。
心に凹みがあるから、書ける。
だから、寂しさは消さなくていい。書いて解消される面もあれば、それでも埋まらない寂しさもある。
寂しさを否定的に捉えず、創作の一助だと解釈できたら、あなたはさらに書き続けられる。
今日は、寂しいと感じた気持ちを、一行だけ書いてみてほしい。うまくなくていい。誰にも見せなくてもいい。その一行が、あなたの最初の記事になる。
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