
食器を替え、扉にスポンジを貼った母親。それでも本人の怖さは消えなかった。
「頭の中に人が浮かんできて怖い」
「お母さんの立てる音が怖い」
そんな訴えを繰り返す人がいました。
母親は、本人が少しでも怖い思いをしないように、食器をプラスチック製のものに替え、扉には音を小さくするためのスポンジを貼っていました。
家の中で音を立てないように、いつも気を配っていたのです。
それでも、本人の怖さは消えませんでした。
そして、母親自身にも動悸などの体調不良が現れるようになっていました。
この話を聞いて、皆さんはどう感じるでしょうか。
「そこまで本人に合わせなくてもいいのではないか」
そう思う人もいるかもしれません。
でも、私は、まず別のことを考えたいのです。
この母親は、それまでどれほど長い時間、本人と一緒に回復を目指してきたのだろう。

家族には、それまでの長い時間がある
精神疾患を発症した人と、その家族の生活は、発症した日から大きく変わることがあります。
医療機関を受診し、治療を受け、薬を飲み、少しでもよくなることを願う。
調子のよい日もあれば、思うようにいかない日もあります。
本人が何かを怖がれば、その怖さを減らそうとする。
うまくいかなければ、別の方法を考える。
そんな日々が何年も続くことがあります。
家族も、最初から本人への対応方法を知っていたわけではありません。そのとき、そのときで、できることを探してきたのだと思います。
しかし、長い間、同じような状況が続けば、家族も疲れてきます。
本人が怖がらないように。
怒らないように。
調子を崩さないように。
いつの間にか、本人の反応を予測することが、家庭での生活の中心になってしまうことがあります。
今回の母親が食器を替え、扉にスポンジを貼ったことも、単に本人の言うことを聞きすぎたという話ではないと思います。
本人と一緒に回復を目指し、何とか毎日を過ごそうとしてきた。その積み重ねの中で起きたこととして考える必要があるのではないでしょうか。

薬を飲んでいるのに、なぜよくならないのか
精神科医療では、薬物療法は大切な治療の一つです。
症状を軽減したり、再発を防いだりするために、薬が重要な役割を果たすことがあります。
しかし、薬を飲み続けていても、困りごとがなくならない場合があります。
そんなとき、家族はどうしたらよいのでしょうか。
病院では診察を受け、薬が処方される。
家庭では、本人が怖がったり、怒ったり、生活の中でさまざまなことが起きたりする。
家族は、それに毎日対応しなければなりません。
長い間、治療を続けても状況が変わらなければ、「どうしてよくならないのだろう」と思うこともあるでしょう。
ここで、一つ考えておきたいことがあります。
病気の症状だと思っていたものが、実は薬の副反応によって起きている可能性はないのでしょうか。
精神疾患のある人が何かを怖がったり、不思議な体験を訴えたりすると、私たち医療者は、病気の症状として理解しようとすることがあります。
しかし、それだけで説明してよいのでしょうか。

そこに訪問看護が加わった
この家庭にも、訪問看護が入ることになりました。
それまで、本人と家族は、病院で治療を受けながら、家庭で起きる出来事に対応してきました。
そこに、日々の生活を知り、本人や家族と話をする看護師が加わったのです。
最初から、特別な解決方法が分かっていたわけではありません。
まず、本人がどんな体験をしているのかを詳しく知ろうとしました。
そこで、怖さを感じたときにはLINEで連絡してもらうことにしました。
連絡があったときには、そのときの状況を細かく聞いていきました。
どんなときに怖くなるのか。
頭の中には、どんな人が浮かんでくるのか。
その人の何が怖いのか。
すると、少し不思議なことが分かってきました。
頭の中に浮かんでくるのは、嫌いな人や怖い人ばかりではなかったのです。
本人が好きな芸能人が浮かんでくることもありました。
それでも本人は怖いと感じていました。
私は、話を聞いていくうちに、一つの疑問を持つようになりました。
「これは本当に、病気による精神症状なのだろうか」

母親自身にも、休める時間を
一方で、訪問看護は本人だけに関わっていたわけではありません。
母親に対しても訪問を行いました。
同年代で同性の看護師が、アロマオイルを用いたハンドマッサージを行いながら、母親の話を聞く時間をつくっていきました。
本人のことをどうすればよいかという話だけではありません。
母親自身が、毎日どんなことに気を配っているのか。何に疲れ、何がつらいのか。
それを話せる時間でもありました。
ハンドマッサージをしている間は、母親自身がケアを受ける側になります。
長年、本人のために動き続けてきた母親にとって、自分のために時間を使うことも必要だったのではないかと思います。
こうした関わりを続ける中で、母親のつらさも少しずつ和らいでいきました。
本人の症状がよくなるまで、家族はただ我慢して待つしかないのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
本人の治療を進めることと、家族自身のつらさを軽くすることは、同時に取り組めるはずです。

精神症状だと思っていたものが、薬の副反応かもしれない
妄想というと、意味のつながらない話をすることだと思われがちです。
でも、実際に本人の話を詳しく聞いていくと、その人なりの筋道が通っていることは少なくありません。
周囲の人には事実と違うように見えても、本人の中では、いくつもの出来事がつながっている場合があります。
ところが、今回の方の話は、詳しく聞けば聞くほど、これまで考えていた妄想という理解では説明しきれない部分がありました。
怖い人が頭に浮かぶから怖い、というわけではありません。
好きな芸能人が浮かんできても怖いのです。
もちろん、このことだけで薬の副反応だと判断できるわけではありません。
しかし、私は、本人が訴えている体験に薬の影響があるのではないかと考えるようになりました。
もしそうだとすれば、本人が怖がるたびに家族が生活を変えても、怖さの原因には届いていないことになります。
母親は、本人の怖さを減らそうとして、食器を替え、扉にスポンジを貼っていました。
でも、本人の怖いという体験に薬が関係していたとしたら、家庭で音を小さくするだけでは解決できません。
家族がどれほど努力しても変わらなかったのは、家族の対応が足りなかったからではないのかもしれない。
私は、そう考えました。

家庭で起きていることが、治療につながる
この方は、以前の主治医が薬剤調整に消極的だったこともあり、先にクリニックを変更していました。
新しい主治医は、薬剤調整の必要性を以前から感じていました。
私は、LINEで確認してきた本人の体験を、具体的に主治医に伝えていきました。
すると、私が感じていた薬の影響についての疑問と、主治医が考えていた治療の方向性が重なっていきました。
そして、本人も薬剤調整に同意しました。
ここで大切だったのは、薬の話だけではありません。
新しい主治医は、障害年金の申請にも積極的に取り組んでくれました。
経済的な負担が軽くなったことも、本人が治療の変更を受け入れることにつながったのではないかと、私は考えています。
本人が治療を受け入れるかどうかは、症状や薬の説明だけで決まるわけではありません。
生活の中で抱えている困りごとが少し軽くなることも、新しいことを考えるきっかけになるのかもしれません。
その後、薬は遮断型から調整型へと変更されました。
変更直後から順調だったわけではありません。
一時的に本人の訴えが強くなり、難しい時期もありました。
それでも、主治医と情報を共有しながら経過を確認し、最終的には本人が訴えていた症状が軽減していきました。
この経過から、以前は精神症状だと捉えていた体験に、薬の副反応が関係していた可能性が強く考えられました。
薬を変更して症状が軽減したことだけで、すべてが副反応だったと証明できるわけではありません。
しかし、精神症状という理解を見直し、薬の影響を考えたことで、治療の方向が変わったのです。

訪問看護が入ったことで、何が変わったのか
振り返ってみると、この家庭で起きた変化は、訪問看護師が特別な対応方法を教えたから生まれたわけではありません。
本人は、以前から怖さを訴えていました。
母親も、以前から本人の怖さを減らそうと工夫していました。
しかし、その出来事が、これまでとは違う形で医療者に伝わるようになったのです。
本人が怖さを感じたときに、看護師に連絡できる。
看護師は、その体験を詳しく聞くことができる。
母親も、自分のつらさを話し、ハンドマッサージを受ける時間を持つことができる。
そして、家庭での出来事を主治医に伝え、治療について一緒に考えることができる。
本人の体験を詳しく知ることと、家族のつらさを軽くすること。その両方が、訪問看護の中で進んでいったのです。
もちろん、訪問看護だけで状況が変わったわけではありません。
クリニックの変更があり、新しい主治医の判断があり、経済的な問題への支援があり、本人の同意がありました。
いくつものことが重なって、変化が生まれたのだと思います。
でも、そこに訪問看護が加わったことで、病院と家庭の間に、日々の暮らしを伝え、一緒に考える道ができました。

家族も、安心して暮らせるように
私は、母親が食器を替え、扉にスポンジを貼っていたことを思い出します。
本人の怖さを何とか減らそうと、長い間、できることを探してきたのでしょう。
それでも、本人の怖さは続き、母親自身にも動悸が現れるようになっていました。
その母親に、
「もっと上手に対応してください」
「本人を刺激しないようにしてください」
と伝えるだけでは、何も変わらなかったかもしれません。
すでに、十分すぎるほど気を配って生活していたのですから。
しかも今回の場合、本人が怖がっていた体験には、薬の副反応が関係していた可能性がありました。
だとすれば、母親がどれほど生活を変えても、怖さがなくならなかったことには理由があります。
家族の努力が足りなかったのではなく、医療者が症状の捉え方を見直す必要があったのかもしれません。
そして、もう一つ大切なことがあります。
本人の症状が改善するまで、母親自身のつらさを後回しにしなくてもよいということです。
同年代の同性の看護師が訪問し、アロマオイルを用いたハンドマッサージをしながら話を聞く。
その時間の積み重ねによって、母親のつらさも少しずつ和らいでいきました。
本人も家族も、長い間、回復を目指して暮らしてきたのです。
その努力を、これからも家族だけに背負ってもらうのではなく、医療者も一緒に考えていく。
そして、本人だけでなく、家族も安心して生活できる方法を探していく。
私は、そこにも訪問看護の大切な役割があると思っています。
※個人が特定されないよう配慮して記述しています。薬の副反応と精神症状の区別には医学的な評価が必要です。薬剤の変更や中止は自己判断で行わず、主治医と相談することが大切です。
