
この星の僻地で
夜の街を歩くのが好き。
昼間は忙しい道も、夜になると電車が過ぎ去った後の地下鉄みたいになるやん?
信号は規則的に赤と青を繰り返すのに、渡る人はほとんどいいひん。
たまに車が通るくらい。
幹線道路の方を走る車の音だけが、遠くで流れる水音みたいに聞こえて、犬矢来が住宅街の灯りに照らされて湾曲した影を伸ばす。
別に絶景でもなんでもない。
どこにでも転がってるありふれた京都の景色。
でも、そんな景色が落ち着く夜がある。
昔はこの感覚が少し恥ずかしかってん。
みんなが「綺麗」と言うものを綺麗と思えへんかった。
夜景を山の上から眺めて、ロマンチックを枕詞に語り合いたかったし、
月を見て、餅つきするウサギに思いを馳せたかった。
みんなのような感性で、みんなのように感動したかった。
それでも気がつけば、俺は俺のままの感性で俺だけの感動を見つけた。
誰も気に留めへんような数少ない生き残った水銀灯や、自販機の小刻みに点滅する灯り、薄暗いシャッターばかりの商店街、終電後の駅前なんかを眺めるのが好きやった。
なんでやろうって考えたこともあるんよ。
多分やけど、俺が規則正しい人間じゃないからやと思うねん。
あ、生活リズムとかそういう話ちゃうよ?
今の自分を客観的に見た時に5年先が見えへんのよ。
なんなら3日先も見えへん。
それやのに昨日のことがなにより気になる。
昨日の俺はちゃんと生きれたかばかり考えてしまう。
だから規則的な輝きに感動できひんし、今その瞬間に散っていく瞬きに心が震える。
お昼間の世界って、どうも俺には少し忙しいみたい。
ピシッとしなさい。
シャキッとしなさい。
そんな言葉は誰も言うてこうへんのに、街中から聞こえてくる。
でも、夜になるとそれが全部寝息に変わるんよ。
誰かの今日もいびきになり、ようやく世界が俺を放っておいてくれる。
今なら誰かに俺の短所を話しても、眉をひそめず聞いてもらえる気がする。
この時間だけは、この星に居ても許される気がする。
子どもの頃、宇宙人はどっか遠い星にいるもんやと思っててん。
天の川のずっと先。
銀河の彼方に浮かぶ辺境の星で、人間なんかをがぶっと食べちゃう。
口から口が出てくる絵に描いたような宇宙人。
でもさ、
大人になって思うんやけど、案外その辺に宇宙人っていいひん?
その場の空気にうまく馴染めへん人。
人混みの近道より、静かな遠回りの道を選ぶ人。
みんなと同じように笑ってるけど、心のどこかで「ここじゃない」と思ってる人。
コンビニで買ったアイス食べながら、終電過ぎた駅の入り口をぼーっと見てるような人。
もしこの星に宇宙人がいるとしたら、きっと人間なんか食べへんのよ。
不思議なもんやけど、そういう人と出会うとわかるんよね。
お昼間の世界でもたまにいる。
頑張って「人間」やってはる。
それでもわかる。
言葉にしいひんくても、「あ、この人は宇宙人やな」って。
ってかさ、俺から見れば「人間」こそが「宇宙人」に見えるのよ。
なりたくても俺にはなれへんかったから。
憧れに近い感情。
俺もなりたかったな。
けど、夜だけはそんな感情をそっと足元に置いて呼吸ができる。
かと言って、世界は何も変わってへんのよ。
朝は夜の延長戦やし、昼は朝の成れの果て。
夜は昼の抜け殻。
何も変わってへん。
毎日寸分違わず同じサイクルでやってくる。
そして流れていく。
息が吸える夜が終われば、相変わらず朝になる。
世界で起きた悲しい出来事が紙っぺらになって流れるし、なんの痛みも消えへん。
世界なんて変わらへんと思ってた。
でも、俺の世界そのものを変えてしまう「人間」や「宇宙人」がたま〜にいる。
住宅街の灯りは優しく犬矢来を包むし、幹線道路の水音は子守唄になって、見慣れた帰り道が未開の星の絶景になる。
それだけで十分。
だから今日も、夜の街を歩く。
もしかしたら、この街のどこかですれ違ってるんかもしれへん。
なにより夜はやっぱり大きく呼吸ができる。
あと夜は煙草が美味しい。
いつか出会えたら、一緒にアイス食べながら月の裏側でも見たいなって思うのよ。
顔も名前もまだ知らんエイリアンズと。
この星の僻地で。