
不揃いな刈り跡【エッセイ】
カレンダーは10月に入った。クーラーを付けるほどではないものの、少し動くと汗をかく程度には日中はまだまだ暑い。窓を開けてみると、軽やかな秋の風とともに、稲の香りが漂ってきた。
ごうごうと機械の音が響いてくる。どうやら我が家のすぐ隣にある田んぼで稲刈りが始まったらしい。
少しの間、稲刈りの様子を窓から覗いて眺めていた。
黄金に輝く稲たち。稲刈り機がその上を通ると、一房も残すことなく刈り上げ、刈られた後には稲の根の方が少し残されるだけである。刈り取られた後の根の高さが均一なのを見ると、さすが機械の仕事は見事だなあと思った。
機械が稲を刈る様を見ながら、その昔鎌で稲を刈る体験をさせてもらった事を思い出していた。
私の地元では、小学生を対象に、田植えから稲刈りまで一年を通してお米に関わる体験をさせてもらえるイベントがあった。
全学年参加できるのだが、高学年になるほど参加者は減っていた。イベントは日曜日だったので、習い事が忙しくなり参加できない子が多かったのだと思う。
私は習い事を一つもしておらず手持ち無沙汰だったので、高学年になっても毎年欠かさずに参加していた。
高学年になったとあるその年も、私は稲刈りのイベントに参加していた。参加していた同級生は私ともう一人だけで、仲良しの友人がいなくて不安だった。
とはいえ、稲刈りの最中はあまり人と話さないので心配はいらない。三日月のような形をした鎌を使って、ザグザグと音を立てながら稲を刈っていく。
最初のうちは鎌の扱いに慣れず難しいが、徐々に慣れてくると稲を刈る音が心地良く、ただ夢中で刈ってしまう。そして、気づいたら自分の持ち分の稲はあっという間に刈り上げてしまうのだった。
自分が鎌で刈り上げた後の根の高さは、不揃いで不恰好だった。それでも自分の手で収穫したんだという高揚感で、そんなことは気にならなかった。
稲刈りの後は、昨年収穫したお米で作ったおにぎりを頂く。この時、唯一の同級生のゆうちゃん(仮名)と一緒におにぎりを食べた。
ゆうちゃんとは同じクラスだったけれど、ほとんど話した事がなかった。ゆうちゃんは、クラスの女の子たちが派閥争いしているようなグループには一切所属せず、いつも一人で落ち着いて行動している印象の子だった。
何がきっかけだったかは覚えてないけれど、私はゆうちゃんに発明家のエジソンの話をした。おそらく、当時進研ゼミで科学者の勉強をしたばかりで、学んだばかりの知識をひけらかして自慢したかったのだと思う。
エジソンの話を始めた途端、ゆうちゃんの目の色が変わった。明らかに高揚して早口にエジソンの功績を話してくれた。こんなに話す子なんだと驚いた記憶がある。それに、ゆうちゃんがこんなにも科学者に詳しい事にも驚いていた。まだ学校では習っていない知識だったから。
その後、おそらくライト兄弟とかニュートンとかの話をしたと思う。覚えたばかりの知識についてたくさん話せて楽しかった。
帰り際にゆうちゃんが「歳の近い子で、科学の知識知ってる子あんまいないから、めっちゃ嬉しい」と言ってくれた。なんだかこそばゆい感じもしたが、私も普段話せない話がたくさん出来て嬉しかった。
その後、学校でゆうちゃんと話す事は無かった。私はぼっちと思われるのが怖くて、友だちが多いですと嘘の顔でグループに戻り、周りの顔色を窺ってばかりいた。ゆうちゃんは変わらず一人で行動していた。
中学に進学した時、ゆうちゃんの名前はどのクラスにもなかった。ゆうちゃんは中学受験をして、地元の公立中学ではなく私立中学に進学したそうだ。
あれから一度もゆうちゃんには会っていない。
学校の外に出なかったら、ゆうちゃんと科学の話をすることなんて一度もなかっただろう。
稲刈りが繋いでくれた懐かしい縁の思い出に浸っていたら、いつの間にか稲刈り機の音は止んでいた。騒がしかったはずの田んぼは寂しい裸に変わっていた。収穫が終わったみたいだ。
不揃いで不恰好でも、私は自分の手で生きていきたい。
この記事は、#たまごまる杯2026に参加しております。