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芳点䞻矩

    こんにちは。い぀もお越しくださる方も、初めおの方もご蚪問ありがずうございたす。

    今回は芳点䞻矩の英語版Wikipediaの翻蚳をしたす。翻蚳のプロではありたせんので、誀蚳などがあるかもしれたせんが、倧目に芋おください。

    翻蚳アプリDeepLやGoogle翻蚳などを掻甚しおいたす。

    芳点䞻矩

    芳点䞻矩 Perspectivismドむツ語Perspektivismus、perspectivalismずも呌ばれるずは、䜕かを認識したり、知識を埗たりするには、それを芳察しおいる人の解釈䞊の芖点に垞に瞛られおいるずいう認識論的原理である。芳点䞻矩は、すべおの芖点や解釈が同等の真理や䟡倀を持぀ずは考えおいないが、誰もが芖点から切り離された絶察的な䞖界芳を手に入れるこずはできないずしおいる。むしろ、すべおの芋方は䜕らかの芖点から行われ、それが物事の捉え方に圱響を䞎える。そのため、芳点䞻矩では、芖点の倖にあるものに察応しお真理を決定するのではなく、芳点同士を比范・評䟡しお真理を決定しようずする。芳点䞻矩は、認識論的倚元䞻矩の初期の圢態ずみなされるかもしれないが、䟡倀論、道埳心理孊、実圚論的圢而䞊孊の扱いを含む説明もある。

    泚釈

    ※ Perspectivismをここでは芳点䞻矩ず蚳したすが、矎術・芞術方面ではこのperspectivismは遠近法ず蚳されるこずが倚く、そこから遠近法䞻矩ず衚珟されるこずもありたす。たた、単にパヌスペクティノィズムやパヌスペクティノ䞻矩ず衚珟されるこずがありたす。

    ※ 個人的に芳点䞻矩ずいう抂念を重芁芖しおいたすが、哲孊に぀いお関心のない方ずパヌスペクティノィズムずいう考えがあるこずを前提ずした議論はほがほが䞍可胜なので、この皮の議論をする堎合は䞀から説明しなければならない堎合も倚く、煩わしい感芚を芚えるこずがしばしばありたす。個人的な至らぬ点ずも蚀えたすね。

    ※ 芳点䞻矩的な芖点で議論を行うず、䞀般的な議論ずは䞀味違った議論の仕方ができるず思いたすので、ニヌチェやオルテガなどの著䜜に觊れおみるのも悪くないず思いたす。興味のある方は是非是非読んでみおください。

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    2点透芖図法を甚いた階段

    プロタゎラス、ミシェル・ド・モンテヌニュ、ゎットフリヌト・ラむプニッツなどの哲孊には、初期の芳点䞻矩が芋られる。しかし、19䞖玀にフリヌドリッヒ・ニヌチェが、その数幎前にグスタフ・タむクミュヌラヌが䜿甚しおいた蚀葉を基にしお、この抂念を発展させたこずが、この抂念の最初の䞻芁な声明ず考えられおいる。ニヌチェは、実圚論的な反圢而䞊孊の圢をずりながら、真理の察応理論や、信念の真理䟡倀が垞にその究極的な䟡倀を構成するずいう考え方を吊定しおいる。ニヌチェが甚いた客芳性の芳点からの考え方は、それぞれの芳点の欠陥は、その違いを挞近的に研究するこずで改善可胜であるず考えおいる。これは、客芳的な真実が完党に非芳点的な領域に存圚するず考えるプラトン䞻矩的な考え方ずは察照的である。これにもかかわらず、芳点䞻矩は盞察䞻矩の䞀圢態であるず誀解されたり、客芳性を完党に吊定するものであるず誀解されたりする。䞖界をどのように芋おも決定的に正しいずは蚀えないず誀解されるこずが倚いが、むしろ、ある解釈䟋えば、芳点䞻矩そのものを決定的に正しいずするのが芳点䞻矩であるず解釈できる。

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    ドむツの哲孊者フリヌドリヒ・ニヌチェ

    21䞖玀に入っおからは、特にロナルド・ギア、ゞェむ・ロヌれンバヌグ、アヌネスト・゜ヌサなどの初期の圱響を受けお、分析哲孊や科孊哲孊の分野で、芳点䞻矩が様々な展開を芋せおいる。科孊的芳点䞻矩ずしお知られるこの珟代的な芳点䞻矩は、それたでの圢匏よりも焊点が絞られおおり、科孊的なモデル、理論、芳察、集䞭的な関心の芳点からの限界に焊点を圓おおいる䞀方で、䟋えばカント哲孊や真理の察応理論などずの互換性が保たれおいる。さらに、科孊的芳点䞻矩は、物理孊、生物孊、認知神経科孊、医孊などの倚くの科孊分野や、孊際性、時間哲孊などにも適甚されるようになっおいる。たた、珟代の人類孊においおも、圓初ぱドゥアルド・ノィノェむロス・デ・カストロによる南米の先䜏民文化の研究の圱響を受けお、芳点䞻矩の研究が導入された。

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    ゚ドゥアルド・ノィノェむロス・デ・カストロ

    芳点が違えば物事の捉え方も倉わるずいう基本原則あるいは、芳点によっお知識ぞのアクセスが制限され、特暩的ではないこずが決たるずいう原則は、初歩的で議論の䜙地のない芳点䞻矩の䞀圢態ずしお説明されるこずもある。矛盟する芖点を互いに比范するずいう基本的な実践もたた、このような芳点䞻矩の䞀圢態ず考えられるかもしれない。たた、真の知識はどのようにしお自分の芳点の限界を突き砎るのかずいう哲孊的な問題も同様である。

    先駆者ず初期の発展

    西掋の蚀語では、ヘラクレむトス前540幎頃前480幎頃、プロタゎラス前490幎頃前420幎頃、ミシェル・ド・モンテヌニュ前1533幎頃前1592幎頃、ゎットフリヌト・ラむプニッツ前1646幎頃前1716幎頃などの哲孊に芳点䞻矩が芋出されおいる。たた、芳点䞻矩の起源は、ルネッサンス期の芞術哲孊ずその芞術的な遠近法 perspective の抂念にあるずされおる。アゞアの蚀語では、仏教、ゞャむナ教、道教などのテキストに芳点䞻矩が芋られる。人類孊者は、いく぀かの先䜏民の思考の䞭に、ある皮の芳点䞻矩を芋出しおいる。

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    ギリシアの自然哲孊者ヘラクレむトス

    叀代ギリシャ哲孊

    西掋における芳点䞻矩の起源は、゜クラテス以前の哲孊であるヘラクレむトスやプロタゎラスにあるず蚀われおいる。実際、プラトンの哲孊では、矎孊、倫理孊、認識論、神孊の䞻芁な芁玠ずしお、芳点䞻矩を吊定し、反察しおいる。このようなプラトンの反芳点䞻矩は、埌にニヌチェなどの芳点䞻矩の哲孊者が批刀する際の䞭心的な察象ずなった。

    モンテヌニュ

    モンテヌニュの哲孊は、教条的な立堎ずいうよりも、哲孊的アプロヌチを実践するための栞ずしお、それ自䜓が芳点䞻矩を瀺しおいる。誰もが神の目を持぀こずができないように、モンテヌニュは、自分の芳点に基づいお解釈するこずのない、完党に偏っおいない芳点を持぀こずはできないずしおいる。自分の芳点を偏りのないものずしお芋るのは、その根底にある心理的な偏りに他ならないのである。圌は「人食い人皮に぀いお」の䞀節でこう曞いおいたす。

    知性のある人は、より倚くのこずに気付き、より泚意深く芋るが、圌らはそれらを解釈し、その解釈を確立し実蚌するために、事実を少し倉えるこずを避けるこずができない。そしお、自分の解釈を確立し、立蚌するためには、事実を少し倉えずにはいられない。圌らは、物事をそのたた提瀺するのではなく、自分が芋た芳点に合うように捻じ曲げたり、停装したりするのである。

    ミシェル・ド・モンテヌニ、『゚セヌ Essais 』人食い人皮に぀いおより(1595)
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    フランスのモラリスト、ミシェル・ド・モンテヌニュ

    ニヌチェ

    ニヌチェはその著䜜の䞭で、芳点に぀いおいく぀かの発蚀をしおいるが、それらは圌の哲孊の発展を通しお、時に察照的なものずなっおいる。ニヌチェの芳点䞻矩は、たず、「どこからも芋ない」「どこからでも芋る」「解釈しないで芋る」ずいう根本的な抂念を䞍条理なものずするこずから始たる。それどころか、すべおの芳察は䜕らかの芳点に付随しおおり、すべおの芳察者はある意味では自身の指図に基づく芳点に制限されおいるのである。『道埳の系譜』で圌はこう曞いおいる。

    「玔粋で、意志がなく、苊痛がなく、時を超えお知っおいる䞻䜓」を仮定した危険な叀い抂念の虚構に気を぀けよう。「玔粋な理性」、「絶察的な粟神性」、「それ自䜓での知識」などの矛盟した抂念の眠に気を぀けよう。これらは垞に、党く考えられない目、特定の方向に向けられた目を考えるこずを芁求し、その目には、芋るこずだけで䜕かを芋るこずになるような胜動的な力や解釈する力が欠けおいるず考えられおいるのだ。そしお、䞀぀のこずに぀いお語るのに、より倚くの圱響力を蚱せば蚱すほど、䞀぀のこずを芳察するのに、より倚くの目、異なる目を䜿えば䜿うほど、このこずに぀いおの私たちの「抂念」、私たちの「客芳性」はより完党なものずなる。

    フリヌドリヒ・ニヌチェ『道埳の系譜』(1887; III:12)

    ニヌチェは、神の目で䞖界を芋るこずを吊定する文脈䞻矩的なアプロヌチをずっおいる。このこずは、神の死ずその結果ずしおの盞察䞻矩の危険性ずいう圌の抂念ず結び぀いおいる。しかし、ニヌチェの芳点䞻矩は、そのような盞察䞻矩ずは党く察照的である。ニヌチェは、䞻芳䞻矩を䞻匵する人々に察しお、䞻芳ずいう抂念自䜓を単なる発明や解釈ずしお解䜓するこずで、䞻芳䞻矩を吊定しおいる。さらに、この2぀は盞互に䟝存しおいるため、神の目で芋た抂念が厩壊するず、それに䌎っお「存圚するもの」の抂念も厩壊するず述べおいる。ニヌチェはこの厩壊を、圌の系譜孊的プロゞェクトを通しお、これたで非芳点的な知識ずされおきたもの、すなわち西掋圢而䞊孊の䌝統党䜓が、それ自䜓が芳点に過ぎなかったこずを明らかにするためのものず考えおいる。圌の芳点䞻矩ず系譜孊的プロゞェクトは、さらに、様々な哲孊的プログラムや芳点の根底にある心理的な駆動力を批刀の圢で取り䞊げるこずで、互いに統合されおいる。ここで、珟代の研究者であるケン・ゞェヌムスは、ニヌチェの芳点䞻矩を䜕よりも道埳心理孊の原理ずみなし、認識論的なテヌれずしおの解釈を真っ向から吊定しおいる。このような批刀の方法によっお、様々な芖点の欠陥を軜枛するこずができる。それは、非芳点的なものに蚎えるのではなく、芳点間の差異を批刀的に媒介するこずである。死埌に出版された『力ぞの意志』の䞭のアフォリズムで、ニヌチェはこう曞いおいたす。

    「すべおは䞻芳的である」ずあなたは蚀いたすが、これも解釈です。「䞻䜓」ずは、䞎えられたものではなく、あるものの背埌に付加され、発明され、投圱されたものである。最埌に、解釈の背埌にある解釈者を仮定する必芁があるだろうか。これさえも発明であり、仮説である。

    「知識」ずいう蚀葉に意味がある限り、䞖界は知るこずができるが、そうでなければ解釈可胜であり、その背埌には意味はなく、無数の意味があるのだ。――すなわち芳点䞻矩である。

    䞖界を解釈するのは私たちの欲求であり、私たちの衝動ずその賛成・反察である。すべおの衝動は䞀皮の支配欲であり、それぞれが他のすべおの衝動に芏範ずしお受け入れるこずを匷制したいず思う芳点を持っおいる。

    フリヌドリヒ・ニヌチェ『力ぞの意志』(1883-1888)

    ニヌチェは、真理や客芳性を明確に吊定しおいるわけではないが、絶察的な真理、倖的な事実、非芳点的な客芳性ずいう抂念を吊定しおいる。

    真理論ず真理の䟡倀

    珟代の哲孊界で泚目されおいるにもかかわらず、ニヌチェの真理芳に぀いおは孊術的なコンセンサスが埗られおいない。ニヌチェの芳点䞻矩は、真理の本質に぀いお倚くの課題を提瀺しおいるが、それ以䞊に議論を呌んでいるのは、真理の䟡倀を問うおいる点である。珟代の孊者であるスティヌノン・D・ヘむルズずロバヌト・C・りェルションは次のように曞いおいる。

    ニヌチェの真実に関する文章は、圌の著䜜の䞭でも最も捉えどころのない難解なものの䞀぀である。その難解さの䞀぀の衚れは、最初に読んだずきに、圌が「真実」や「真理」ずいう蚀葉を䜿う際に、明らかに矛盟しおいるように芋えるか、あるいは、真実の䟡倀に぀いお䞍可解な揺らぎがあるように芋えるこずである。

    その埌の展開

    20䞖玀に入るず、オルテガ・む・ガセットずダスパヌスが、それぞれの芖点から芳点䞻矩を論じた。

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    スペむンの哲孊者オルテガ・む・ガセット
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    ドむツの哲孊者カヌル・ダスパヌス

    オルテガ

    オルテガは、「人間は完党に瀟䌚的な存圚である」ずいうそれたでの立堎に代わっお、「芳点䞻矩」を提唱した。圌の転向は、圌の䜜品『真実ず展望』の䞭で顕著であり、そこでは「各人には真実の䜿呜がある」ず説明し、圌が芋おいるものは他の目には芋えない珟実であるずしおいる。

    二人の人間が異なる䜍眮から同じ環境を芋る。しかし、同じものを芋おいるわけではない。ある人にずっおは手前にあるものが、別の人にずっおは奥にあるものずいうように、立堎が違うずいうこずは、呚囲の環境が異なるように構成されおいるずいうこずである。さらに、物が埌ろに隠れおいるので、それぞれの人には芋えないものが芋えおいるのである。

    たた、オルテガは、芖点の倚重化によっお芖点が完成するず䞻匵しおいる。戊争が起こるのは、囜家間の行動の倧きな文脈を芋るこずができず、芳点が欠けおいるからだず指摘した。たた、オルテガは芳点䞻矩における珟象孊の重芁性を指摘し、真実や珟実を理解するためには憶枬ではなく具䜓的な蚌拠が重芁であるず䞻匵した。その䞭でオルテガは、真実を知るためには、自分を超えた珟実を理解するこずができる「状況」が重芁であるこずを匷調した。

    芳点䞻矩の皮類

    珟代の芳点䞻矩には以䞋のようなものがある。

    個人䞻矩的芳点䞻矩
    集団䞻矩的芳点䞻矩
    超越論的芳点䞻矩
    神孊的芳点䞻矩

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    最埌に

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    今回はここたでになりたす。それではたたのご蚪問をお埅ちしおおりたす。

    䞖界が䞀日もはやく呪われた埮睡の日垞から目が芚めたすように。

     
     
    歎史を怜蚌しながら、珟代日本のあるべき方向性に぀いお議論しおいきたいず思いたす。 確かな蚌拠の存圚や優れた掚論はその仮説が真実であるこずを必ずしも玄束しない。 最も自身が軜蔑し、嫌悪し、敵察しおいる盞手を擁護する衚珟力はそれでも必芁である。

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