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待つ時間|シロクマ文芸部

    期待度

    待つ時間は長く感じる。

    そんな当たり前のことが、去年になってようやく証明されたらしい。

    しかも面白いのは、逆も成り立つという点だ。

    体感時間の伸び方を測れば、
    その人がどれくらい大きなものを待っているかが分かる。

    待っているものが大きいほど、時間は長く引き伸ばされる。

    測られた値は「期待度」と名付けられた。

    年が明けると、健康診断の項目に加わった。

    視力や血圧と並んで、年に一度。

    順番を待つあいだに測るのが決まりだ。

    装置に指を乗せて三秒。

    読み取るのは脈波だけだ。

    体内時計は心拍に噛み合って動いていて、
    待っているあいだだけ実時間より速く刻む。

    三秒のうちに何回刻んだかを数え、そこから逆算する。

    何秒に感じましたか、とは訊かれない。

    訊いたところで、人は自分の三秒を知らない。

    待っていない人間からは、何も読み取れない。

    たいていの人は10前後で、一生そのあたりを動かない。

    数字は、待っているものの値打ちでは決まらない。

    その人にとっての重さで決まる。

    家を待つ人と、賞を待つ人を、同じ物差しに並べられるのはそのためだ。

    そして誰も、自分の数字を口にしない。

    年収と同じである。

    聞くのは失礼だし、聞かれたほうも笑ってごまかす。

    それでいて、期待度の高い人は「見込みがある」と言われる。

    婚活のプロフィールにだけは書く人もいるらしい。

    私は小説を書いている。

    正確には、書いてはいるが、まだ誰にも読まれていない。

    新人賞に出しては落ちるのを、六年続けている。

    昼は倉庫で働き、夜に机に向かう。

    その程度の人間だ。

    今年の健診で、その項目が回ってきた。

    待合室で順番を待ちながら、装置に指を乗せた。

    1,140

    二度見した。

    平均の百倍を超えている。

    機械の故障だと思った。

    再検査になった。

    翌週、精密な装置で測り直した結果が届いた。

    1,138

    誤差の範囲だった。

    数字は本人にしか知らされない。

    ただし上位の記録だけは、本人が承諾すれば公表される。

    私は承諾した。

    小説を六年書いて、私の名前はどこにも出たことがなかった。

    しばらくして、少しだけ話題になった。

    六年落ち続けている無名の男が、
    国内で三番目に高い期待度を記録した、と。

    取材も来た。

    「これだけ待っているんですから、見込みがありますよ」

    記者はそう言って、私の返事を待った。

    「ちなみに私なんて8ですよ」

    聞いてもいないのに、彼は自分の数字を言った。

    低い人ほど、気軽に言う。

    見込みがある、という言い方には、ずっと引っかかっている。

    期待度が高いというのは、まだ何も手に入れていない、
    というだけのことだ。

    手に入れた人の数字は下がる。

    待つものが無くなるのだから当たり前だ。

    年収は、持っている量を測る。

    期待度は、持っていない量を測る。

    それなのに、世の中は同じ物差しのように扱う。

    つまりあの言葉は、
    「あなたはまだ何も持っていない」の言い換えでしかない。

    その言い換えの、国内三位である。

    記事が出たあと、依頼が二件来た。

    期待の持ち方についての講演と、雑誌のインタビューだった。

    小説の依頼は、一件も来なかった。

    倉庫の同僚も、自分から数字を言う側の人間だった。

    6だという。

    「今日の晩飯がうまいかどうか、くらいだな」

    そう言って彼は笑った。

    私はその顔を、ときどき思い出す。

    先週、七回目の結果が出た。

    一次選考通過者の一覧に、私の名前はなかった。

    上位の記録者には、装置が貸し出される。

    経過を見るためだという。

    翌朝、自分で測った。

    1,206

    上がっていた。

    理論が教えてくれるのは、待っているものの大きさだけだ。

    国内一位の記録保持者は、北の町に住む老人だという。

    四十年、自分の記録を更新し続けている。

    何を待っているのかは、公表されていない。

    数字が大きいということは、それだけ長く感じるということだ。

    つまり私の夜は、これからも、とても長い。


    小牧幸助さんのお題「待つ時間」に参加させていただきました。


     
     
    行って、見て、考えるのが好きです。 ふるさと創生一億円の遺産を訪ねる【ふる一旅】、街歩きの【さるぐ】、日常の違和感をほどく【曰常】。 ときどき短い小説も。関西在住の会社員、水曜更新です。

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