
美術館という幸せ、観山に見惚れた
下村観山展 KANZAN 和歌山県立近代美術館 (2026年5月30日〜7月20日)
下村観山(1873〜1930)は、明治から昭和初期の日本画家。恥ずかしながら、この展覧会で初めて知りました。穏やかで美しい色彩に癒され、意外にも可愛らしかったり、コミカルな描き方もされていて、作品を見ていくのがとても楽しかったです。すべて見終わった後の高揚感はなかなか頻繁に得られるものではなく、その素晴らしさをいくつか書きます。
①「美術館」という作品

美術館を訪れる楽しみの一つは、美術館の建物そのもの。建物が体現する「美」や「表現」方法を期待します。下村観山展が行われている和歌山県立近代美術館は、その外観を見ただけで中に入ってみたくなる求心力がありました。建物の上部にたくさん突き出たパーツは、青い空に漕ぎ出すたくさんの舟のように感じましたが、実際は「庇(ひさし)」なのだそう。「共生」を掲げる建築家、黒田紀章さんが手がけていて、ダイナミックな印象を受けました。
そして、写真の右隅の階段の緑色の手すりも愛らしいです。フリーハンドで描かれたような自由な曲線で、美術館へといざないます。とにかくエントランスだけでもと足を踏み入れると、天井が高く白く開放的な感じ。左手奥の壁には大きな瞳の写真を用いた作品があり、「近代美術」感を宿しています。これはもう、ちゃんと展覧会を見なくては、いや見てみたい!と思いました。
美術館の隣には、紀伊徳川家の城、和歌山城もあります。お城の存在感にも負けず劣らずの美術館です。そして展覧会の主役、下村観山は紀伊徳川家に仕えた能楽師の家系なのだそう。縁の地で、しかもお城の隣の美術館で展覧会が行われるとは素敵です。
②愛嬌ある描写

見始めてすぐ目を奪われたのは、『鎌倉武士』という作品。立派な掛け軸なのですが、どこかポップな印象で、黒の濃淡が割とはっきりしています。武士の表情も少しキャラクター感があって親しみやすい雰囲気です。

もう一枚、気に入った絵は、私のイメージする日本画のイメージに近い一枚。中国の伝統的なモチーフを描いています。写真の解説の通り、右手を振り上げているのが「鍾馗(しょうき)」という魔除けの神様です。左手で悪さをする鬼を捕らえています。躍動感が溢れ、鬼退治を成し遂げようとする「鍾馗」の迫力が絵の主軸です。
しかし、私を笑顔にしたのは鬼の方でした。鍾馗の腰ほどの高さの小柄な鬼は、「やめてえ。」とか「ごめんなさあい。」と叫んでいるように見えます。大きく口をあけた鬼の必死さと、どこか憎めない表情は少し可愛らしくもあります。「鍾馗」に合わせて大きくて獰猛な鬼が倒される場面であれば、これほど印象には残らなかったでしょう。
③王道の金屏風

金色の背景に描く自然美こそ、日本画の醍醐味の一つではないでしょうか。目がくらむばかりの金色は見る向きによって輝きが変わります。その華やかさに負けない色彩の表現力。
この『小倉山』という作品では鮮やかなもみじが描かれています。もみじの葉っぱのきれいなシルエットにすっと引かれた葉脈、色合いも様々。赤い色が金色の背景に映えます。
木の幹は一見力強そうだけれど年を経てくすんだ優しい色合い。屏風は平べったく立てるのではなく、ジグザグにたてるので、木々の奥行きもより再現度が高く感じます。

そして、驚いたのがこの夕日の描き方。繊細な梅の枝とは対照的に、大胆で大きな太陽がたたずみます。シンプルに描かれているからこそ、よりインパクトを感じさせます。
太陽が沈む時の、あのオレンジのような赤いような夕日の色が、金色に華麗に浮かび上がっています。金色の煌めきがここでは太陽の輝きとなっているのです。
その配置も絶妙だと思います。バランス的にはやや下よりですが、沈みゆく太陽の一瞬をとらえています。
🤩おまけ:2階、現代の「版」表現

2階は美術館のコレクションからの展示でした。クセが無く、軽やかに楽しめるラインナップです。写真の作品は大きなもので、ライトアップされた色彩の独特の組み合わせが、目に飛び込んできてとても綺麗でした。こういう大きな作品を広々とした空間で目の前で見るというのは、贅沢なひとときだと感じます。

閉館間近な時間帯だったので、じっくり見入ることができませんでしたが、少しでも見に行けて嬉しかったです。この美術館のコレクションのセンスの良さが分かります。
下村観山という日本画家を知れた収穫は大きいですし、彼の縁の地で作品を鑑賞できた幸運を、思い出しては浸っています。作品はもちろん素晴らしいのですが、その魅力を輝かせる美術館に大変感動しました。展示の部屋のおおらかさと品の良さ。展示の部屋以外のスペースにも遊び心がありました。2階にはとってもおしゃれなカフェもあります!
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