
#130【雑記】本日は「推しメン🩷」のおはなし。
私にだって、”推しメン🩷✨”くらいいるんですよ?
ただ、聞いてもらえないだけで。(話す機会もなかったけれどもw)
私が目下、一番、愛でているのは、この方ですね。🩷⬇️

如何でしょう?この佇まい・・・✨
(はい、人間の”イケメン”😍と思った方、すいませんw)
しかしですよ、まるで、本物の”人間”が、そこへ座っているかのような、独特のこのオーラ・・・。
感じて欲しいぞ、この全知全能感っ!!✨✨✨
2019年前後でしょうか、旧twitterをはじめ、pintarest、インスタなど、SNS上で「世界で最も美しい仏像のひとつ」として拡散され、大反響を呼んだ、『水月観音菩薩半跏像』。
米国ミズーリ州カンザスシティにある『ネルソン・アトキンズ美術館』の2階、チャイニーズブースに展示されています。後ろの壁画も素晴らしい。
本体の大きさは、縦241.3㎝、横165.1cmで、ほぼほぼ、私達人間と同じ位の背格好なんですね。
もう少し、近づいてみますか・・・


この水月観音様は、907年~1125年か、または1115年~1234年に中国で造られたものだそうで。木像の彩色「座像」になりますね。それもなんと、1本の幹より彫り出されています。
立て膝にゆるりと手をかけ、リラックスしながらも、よく見ると、左足の膝は、正面を向き、瞬時に立ち上がれるという”臨戦体勢”なんですね。コレw
(左足にグッと重心がかかった体勢なんです。ちゃんと。)
感じて欲しいぞ、この無双感!!✨✨✨
それというのも、水月観音様は三十三観音のひとつで、補陀落山の水辺の岩上に座り、水面の月を眺めているお姿、というのが一般的ですが、実は、水面には月ではなく、人間界が映っていて、「困窮する人々をどうやって救おうかと思案しているお姿・・・。」とも言われています。
なので、直ぐに、天界から人間界へスクランブル発進できるよう、”臨戦体勢”なんですね~w
また、この高貴な気品溢れるリアルな様相から、「何処かの国の皇子を、模写したものではないか?」という説もあるそうです。

木像とは思えない、流麗耽美な衣、そこから覗く細マッチョなお身体・・・😍そのお身体に施された細工の凝った装飾品・・・✨
まるで”呼吸”をしているのではないかと思う程のリアル感・・・✨
電動工具も何にもない時代に、完全、手彫りですよ?
凄い技術。そして、情熱・・・。(作るのに何年かかったんだろう?)
見れば見るほど、セクシーで美しい・・・。
そして超絶クールだw
こういう流麗耽美な「立て膝型の座像」が、中国ではとても流行った時代があるんですね。日本では南北朝時代に、こういった「座像」が中国から入って来ましたが、日本の仏教界では、流行らなかった。
なぜかっ?!
セクシー😍過ぎるからです🩷🩷🩷
”仏さまが、こんな大胆なお姿をするわけがないっ!!💢”
・・・と、当時の日本の仏教界では受入れられなかったんですね。
しかし、そんな中でも、1体だけ、鎌倉時代に難を逃れた「座像」の水月観音様が、鎌倉市の臨済宗円覚寺派 松岡山 東慶寺にいらっしゃいます。

がっつり、衣を着てらっしゃいますね・・・・・・・・・。
セクシーな立て膝でもないですしねぇ・・・・・。
辛うじて、東慶寺でお祀りされているのは、”女性らしい観音様だったから”という説があります。それが由縁かどうかはわかりませんが、東慶寺は後に、離縁をしたい女性の「駆け込み寺」として、江戸幕府から保護されていました。
それを映画化したのが、2015年に公開された「駆込み女と駆出し男」です。
井上ひさし氏の時代小説「東慶寺花だより」を原案に製作された映画です。
舞台は「東慶寺」も一部ありですが、その殆どは、2003年の映画「ラストサムライ」で、勝元(渡辺謙)の居城としてロケ地になった、兵庫県書写山の圓教寺での撮影です。私的にはとても好きな作品です。
(完全に余談ですけどねw)
さて、ネルソン・アトキンズ美術館の『水月観音菩薩半跏像』の話に戻りましょう。

私はこの水月観音様のお写真をプリントアウトして、手帳に挟んで、たまに眺めてはニヤニヤ🩷している程の惚れ込みようなのですが、(変態でしょ?w)
この観音様が、いつ、どのような由縁で中国から米国へ渡って来たのか・・・その経緯は掴めなかったんですよね。
中国の「国宝級」とも言えるこの観音像、そして、後ろの巨大壁画。現代のこじれた米中関係では、とても穏便に”渡米”されて来たとは思えません・・・。
英国の「大英博物館」、仏国の「ルーブル美術館」などの博物館や美術館なんてのは、「美術性」「芸術性」の「保護」という名目で、その実、植民地時代、または大戦中のどさくさに紛れて、略奪してきたものの”戦利品展示会場”・・・という性質も持っていますからね。
また、キリスト教圏では、「偶像崇拝」が、原則、禁じられています。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。— 出エジプト記20章4節から5節(口語訳)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。— ガラテヤ人への手紙5章19節から21節(口語訳)
つまり、キリスト教圏の彼らが「仏像」や「仏教芸術」に興味や価値を見出すのは、単なる「美術性」や「芸術性」であり、仏教圏に生まれ育ち、小さい頃からお寺さんや、家庭のお仏壇に安置された仏様や、道ばたにある小さなお地蔵様などに、手を合わせ、神社に詣でれば、「御神体」に手を合わせるという、「霊験」という価値観を持っている私達とは、やっぱり、ちょっと、その、「仏像」への感じ方が、”違う”と感じます。
このアトキンズ美術館の「水月観音菩薩半跏像」が、世界的に話題になった時、海外の多くのSNSに溢れたのは、「美しい(so beautiful!!)」「神秘的(so mysterious)」や「カッコイイ(so cool!!)」という語彙でした。
「無双感✨」とか、ましてや「全知全能感✨」という語彙は、主に日本人を含む偶像崇拝が慣例の仏教圏から発信された語彙です。
この仏像を、単なる「美しい美術品」と感じるか?
そこに「神」を感じるか?
何から「神」を感じるか?は、人それぞれであり、宗教的偶像崇拝が禁止された多くの国々にあっても、人々のもつ心理的欲求であり、等しく尊重されなければならない権利だと思います。
中には「お金」や「権力」にしか、「神」を感じない人もいいるでしょう。そうでないものに「神」を感じる人もいるでしょう。
「戦争」や「紛争」の中でしか、「神」を見つけられない人々もいます。
でも、例えば、苦労して登った山頂の石ころひとつに、「神」を感じられる人、大好きな人と遊びに行った海の砂粒に「神」を感じられる人、そういう「八百万の神(多神教)」信仰という素地をもった、我々日本人は、もしかしたら、一神教の民族よりも、「良い神様を見つけられる能力」を、それぞれが秘めているのかも知れません。
「仕事」でも「推し活」でも「趣味」でも、何でも良い、日常の暮らしの中で、自分にとって、『良い神様』を見つけて欲しいなぁ~と思います。
どんな困難な局面でも、「幸せ」を求めて、人生を歩いていけるように。
でもそれが、誰かの幸せを奪っちゃ、いけないよねw
それは、”悪い神様”に取り憑かれているのだと思うわ。
以上、興味のない方々には、ごめんなさいな記事でしたw
