
大阪のカフェで出会ったISFJさん。【INFJのログ】
人と人を繋ぐカフェ
大阪に、スレッズで知名度を広げつつあるカフェがあります。人と人を繋ぐというコンセプト通り、多種多様な職業や年齢、はたまた考え方を持った方と繋がることができるカフェです。
如何わしいカフェではないのでご安心を。
僕が行ったタイミングでは、学校の教員をされているという方(推定INFP)と音楽をされているという方(推定ISFJ)がいらっしゃいました。
今回はこの推定ISFJさんとのエピソードを紹介しましょう。
(個人情報保護のため一部脚色や省略アリ)
素敵だと思った一面
ISFJさんは、とある人と絶縁したのだと語っていました。
論理や理屈で一方的に言い分を並べられ、それは認知の歪みではないか?と考えて説明を試みたが溝がどんどん深まっていったとのこと。
まるで取り調べみたいで疲れちゃったんです…というようなことを、ただ淡々と語っていました。
一方で、相手のことを全く悪く言わなかったのが僕には非常に印象的でした。
相手が目の前にいない状況ですよ。
その相手がどれだけ理不尽だったのか、相手のどんなところが嫌だったのか、不満や愚痴を第三者に話すというのは自然な流れだと思うんですよね。それがなかった。
この、相手を下げずに自分に目を向けようとする姿勢に、僕はなぜか知性を感じました。
この方に限らず、ISFJの方にはこういう美しい一面がありますよね。素敵です。
新しい場所を慣れ親しんだ場所へ
もうひとつ、印象に残った話がある。
「行ってみたい場所や、やってみたいことは山ほどある。だけど、不安や恐怖が先に立ち一歩を踏み出せなかった。
だけどよく考えたら、その不安や恐怖は最初だけ。踏み出してしまえばだんだんと慣れ親しんだものに変わっていく。
自分の時間に余裕が生まれたので、最近はいろいろ行動してるんです!」
なるほど、と思いました。
未知のことに対して恐怖を感じるのは、ある意味で自然なことです。けれど、それを理由に避け続けていれば、いつまでも未知のまま。
一度踏み出してしまえば、それは自分の経験となって次への後押しとなるんですよね。
文字にしてしまえば当たり前のことですけれど、それを行動に移すというのは立派な勇気だと思うんです。
ましてやISFJであればより一層その恐怖心は大きいのでは?と思ったわけです。
たまたま行ったカフェで、たまたま出会った人からこういう話を聞けて無性に嬉しくなった自分がいました。
本当の知性とは何だろうか。
前回、こんなタイトルの記事を上げました。
その記事を書くきっかけになったのが、今回のISFJさんの話でした。
論理的思考ができる=知性が高いとは限らないという僕の持論があるのですが、その持論について改めて考えるきっかけをいただきました。
・相手がいないところで、相手のことを下げない
・内省ができる
・自己認識が誤っていると疑うことができる
こういう姿が知性として外に表れてくるのではないかと、僕にはそう見えました。
読んでいただきありがとうございます
同日に出会った推定INFPさんの話も実に興味深いものでしたので、また記事にして紹介したいと思います。
MBTIをメインに、僕(INFJ)の思考や日常をこれからも更新していきますので、よろしければフォローよろしくお願いいたします。