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Photo bymogest

赤面症で人前で話すのが恐怖だった。でも赤面症だったから得たものに30年後に気づいた話。

    人前で話すのが恐怖だった。
    人前で話すのが"苦手"だと言う人は多い。
    違う。僕にとっては"恐怖"だった。

    小学校の国語の授業で、先生に当てられて教科書を読む。
    あれが本当に嫌だった。なぜあんなことをするのか。
    わざわざ立たせて読ませる必要がどこにあるのだろう。

    「やめてくれ。本当に嫌なんだ。」

    いくらそう思っていても、先生に当てられたら読まなければならない。世の中はとかく平等を求めるが、教科書の読み上げに平等は不要だ。僕はいらない。読まない自由を与えてほしかった。

    当てられた瞬間から、顔が赤くなるのがわかる。全身が熱くなり頭がぼんやりとしてくる。正気を失う。頬が熱く紅潮しているのがわかる。全身が心臓になったようにドクンドクンと脈を打つ。

    それを抑えようとするほどに、激しく脈打つ。周りからの視線が鋭く刺さるように感じる。教科書を持つ手が小刻みに震えている。震えを止めようとするほどに震える。制御不能。

    自分でもわからない。なぜここまでになるのか。
    赤くなる。熱くなる。脳内が真っ白。止められない。

    小学生は、残酷だ。見えたままの状態を遠慮なく声に出す。
    真っ赤になった私を見て、「トマト!」だの「ニンジン!」だのと言う。

    徐々に赤くなる様子を見て「温度計!」と例える者もいた。その例えは「うまいこと言うものだ。」と内心思ったりもしたが、とはいえそれを言われるのはうれしいことではない。

    どうしてみんな平然と人前に立って、国語の教科書が読めるのか? 自分だけが、なぜこんなに真っ赤になってしまうのか? 母親も同じように赤面症で、同じように苦労してきたと言っていた。なんでそんなの遺伝しちゃうんだ。いらない。最悪だ。そんなことまで思っていた。なんか、ごめん。

    こじれた承認欲求の先

    そんな僕も人並みの承認欲求は持っている。クラスの人気者のように、周りを笑わせて注目を浴びることができたら、さぞかし楽しいだろうと思った。

    しかし、僕にはそんなことができるはずもない。人から注目されるだけで真っ赤になってしまう。でもやっぱり、人から注目されて褒められたい。その承認欲求は違う形で芽を出していった。

    夏休みになると自由工作というものがある。その名の通り、やってもやらなくても自由な「自由工作」。それを僕は、毎年作っていた。

    雨が降るとティッシュが破れて、パチンコ玉が落ちることでプラスとマイナスの電流回路がつながることで音が鳴り、雨が降ってきたことを知らせる装置。その当時に流行っていたミニ四駆を乗せると、そのタイヤの回転がゴムベルトを回転させ、水車が回ることで前に進む船。

    自由工作を作るとみんなが注目してくれた。学年で優秀賞に選ばれると、その後に市民会館の展示作品として並ぶ。毎年その自由工作で優秀賞を取り、みんなからの注目を浴びることで、承認欲求を満たしていたのかもしれない。毎年優秀賞をとって市民会館に並べてもらっていたが、5年生の時は、1つ前の席に座っている伊藤君に負けた。毎年自分が選ばれるものだと思っていたところに現れたライバル。悔しかったことを今でも覚えている。ちなみに負けたのは、ミニ四駆の船だ。

    手品を覚えたりもした。クラス全員の前で披露するなんてことはできるわけがないので、自分の机の周りにいる何人かに見せて驚かせることで楽しんでいた。それも今思えば目立ちたいのに赤面性があるせいで目立つことができない。そのフラストレーションを解消していたのかもしれない。

    赤面症で人前で話すことができない。それは中学になっても高校になってもそのまま続いた。思春期の頃に好きな女の子ができたりすると大変だ。その子の前に行ったりするだけで、赤くなっているのが自分でもわかる。藤井隆ばりにホット!ホット!(これ世代によっちゃ、もうわからないフレーズ?)

    何も言わなくても真っ赤っ赤でバレバレだ。心の中で思っていることが、そのまま外に聞こえてしまう「サトラレ」そのものだ。自分では、どうすることもできない。恥ずかしすぎて、逃げ出したくてしょうがなかった。

    人前に立つリハビリ

    そんな持病を抱えた僕は大学生になり、ダンスサークルに入った。ダンスがしたいと言う動機の多くは、「あんな風にかっこよく踊りたい」というものだろうが、僕の場合は違った。人前に立つ訓練だ。

    もちろんあんな風に踊りたいと言う憧れの気持ちは、多少あるにはあったが、僕にとっての主な目的は人前に立つことに慣れること。その場数を踏むためのリハビリのようなもの。普通の人は人前に立つ事が自然とできるが、僕にはできない。僕はマイナスからスタートしている。だからトレーニングではなくてリハビリなのだ。

    人前で踊ると言うことも、同じ人前に立つ行為なので、恥ずかしいと感じても良いはずなのだが、それほど恥ずかしいとは感じなかった。ダンスの場合、1人で踊ることは意外と少ない。チームになり、同じ振り付けを覚えて音に合わせて踊る。「自分だけに注目が集まっているのではない」という状態が良かったのかもしれない。徐々に、人前で踊ることにも慣れていった。

    文化祭や新入生が入ってくる時期の新歓ステージイベントで本番になると、そこでまた赤面症の自分が出てきて、頭が真っ白になるような状態を経験する。そこから数年はかかったが、本番のステージで、「半分は緊張、半分は冷静でいる」自分の状態を意識的に持てるようになっていった。

    小学校の自分から考えれば大きな進歩だ。ずいぶんと人前に立つのも慣れたと思ったが、まだ克服したとは言えない状態だった。事前に練習してきた振り付けを踊ることに関しては問題なくなったが、人前で話すとなるとそれはまた別だったのだ。

    結婚式事件

    社会人になり、会社の中では人前に立つような仕事はなかったが、20代の後半になり、周りで結婚する人間が増えてきた。結婚式が開かれると、そこに友人代表のスピーチというものがある。いよいよそれを頼まれてしまった。

    仲間内で話している時は、ワイワイと楽しくしゃべる方なのだが、人前に出ると全くダメなのだ。そんなことを知らない友人は、あのキャラクターのまま僕が人前で話すものだと思って、スピーチを頼んできた。

    突然当てられる国語の授業とは違い、スピーチは準備ができる。心の準備もできる。しかし当日の朝は、体の内側がずっと小刻みに震えているような心臓が細かくビクビクと痙攣しているかのような震えをずっと感じながら、会場に向かっていた。

    杉本彩が、テレビの本番前は緊張するのでワインを飲んでから出演すると言う話を聞いたことがあった。僕はそれを思い出して結婚式の前にもかかわらず、コンビニでワインを買ってがぶ飲みした。シラフでは無理だ。多少酔っ払わなければ、これは乗り越えられない。会場について、乾杯をした後も、ひたすら飲み続けていた。いくら飲んでも酔えない。心臓がキューッとなっている。呼吸が浅い。そこからスピーチがどうだったかは記憶がない。

    「あぁ、一生このままなのだろうか。人前に出ることは、今後もある。そのたびにこんなことになってしまうのか」と、ほとほと自分が嫌になっていたが、大きな転換期となる事件が起きた。

    80個の目玉

    ちょうど30歳になった年のことだ。イベントをちょっと手伝ってと言われて受付をしていた。僕は、ただ受付をしてその日は終わるはずだった。

    しかしそのイベントが始まる直前、前に立って話す講師から「ちょっと始まる前の挨拶と講師を呼び込む部分だけやってくれない?」言われたのだ。相手は僕が赤面症で、人前が極度に苦手だと言うことを知る由もない。そしてイベントはあと数分で始まる。

    「ほんとにそういうの苦手なんで勘弁してください。」と伝えたが、「大丈夫大丈夫。ほんとに簡単にでいいから。」と言って去っていってしまった。

    人前に立つことに慣れた"講師"と言う人種にとっては、ちょちょっと話すだけの簡単なことかもしれないが、僕にとっては、とんでもない緊張を伴うものだ。

    やらざるを得ない状況に追い込まれた僕は開始時間と同時に会場の前に行き振り返った。そこには約40名ほどが座ってこちらを見ていた。80個の目玉がじっとこちらを見る。直前に挨拶を頼まれ、何の準備もできていない。僕は何をしゃべっていいかもわからず、頭が真っ白になりながら、しどろもどろで何かを言っていた。何を言っていたのか、自分でも訳がわからない。「それでは、お願いします。」という言葉を最後にして、逃げるように会場の後ろに下がった。

    講師は「いや〜、何を言ってるかよくわかりませんでしたけれどもね、」と開口一番に言い、会場は笑いに包まれていた。僕はまだ小刻みに震えながら、久しぶりに人前に立ち、多くの目玉がこちらを見ている恐怖の感覚を思い出しながら「もうこんなのは嫌だ!なんでこんなことになるんだ!」と強く強く自分を責め立てていた。

    話し方講座

    「もう2度とあんなことになりたくない!」その思いが究極に強くなった僕は、人前に立って話す講座を探しまくった。そこで1日完結の話し方講座を見つけた。

    それはセミナー講師をやりたい人のための話し方講座だった。よくよく見ていくとそこではセミナーコンテストなるものが開かれている。1人10分の持ち時間でセミナーをやり、優勝を決めるというものだ。

    普段からセミナー講師として活躍している人が出るというよりも、自分の思いを人前で発表するチャレンジをする場のようなものだった。その感じがちょうど僕には良いと感じ、その話し方講座に参加することにした。

    講座では自分の思いをどうやって表現するとが良いのかと講義があり、その後に懇親会があった。そこでなぜ参加したのかと聞かれ、これまでにあった出来事を話した。

    すると、そこにいた人が「だったら、セミナーコンテスト、通称セミコンに出てみなよ」と言った。僕は酒が回っていたこともあったかと思うが、「こんな自分を変えたいと思っていて今回参加したので、わかりました。出ます!」とその場で宣言した。懇親会は拍手に包まれた。

    そこから数ヶ月の間、何を話すのかを考え、セミナーのスライドを作り、当日に向けたプレゼンの練習会もやり、当日を迎えた。プレゼン本番の出来は正直言って、それほど良いとは言えなかった。緊張して、たどたどしかったと思う。

    それでもそこまでしっかりと準備をしてきて、自分の言いたい事を伝えることができた。そのことは、大きな自信となった。自分も事前に準備をして本番に臨めば、人前で話すことはできるんだと実感することができた。

    1番怖いおじさん

    その本番で、会場の中でも1番怖い顔で、にらみつけるようにこちらを見ている人がいた。その視線にひるみそうになったが、準備講座の時に「うなずいてくれる人や、笑顔の人を意識的に見るようにしましょう」と言われていたことを思い出し、なんとか心を保った。

    本番が終わり、イベントが終了したタイミングで、なんとその怖い顔の人が近づいてきた。

    何を言われるのかと思ったら「スライド資料が非常に良かった。よかったら作り方を教えてくれませんか?」と言われたのだ。あまりの意外さに驚き、「いや、もう、教えるなんて、僕がそんな事は、、」と断ってしまったが、今思えば受けておけばよかったようにも思う。なんだか悪いことをしてしまった。

    とにもかくにもこの出来事は、その後の僕を支えている。その人が怖い顔をしていたのは、単に真剣に聞いていただけなのだとわかったからだ。世の中には真剣に話を聞いていると顔がとても怖くなる人種がいるのだと知った。

    その後は、怖い顔してる人がいても「あぁきっと真剣に聞いているんだろう」と思えるようになった。(とは言え、笑顔で聞いてくれる人の方がやっぱりいいですけどね。)

    赤面症だったからこそ

    40人の前に急に立たされ頭が真っ白になり、そんな自分に嫌気がさした僕は、こんな自分を変えたいと思って、話し方の講座に出るどころか、コンテストにまで出てしまった。そのことで、少しの自信を得た僕は翌年転職をした。

    その転職先は、自社サービスを提供する会社だったので、ユーザさん向けの勉強会を毎月開催していた。最初は電話やメールの対応をするだけだったのだが、入って1年過ぎた頃から僕もその勉強会で講師と言う立場で話さざるを得ない状況になった。

    勉強会の内容を覚え、どんな質問が来るかもわからないなかで、緊張しながら、何度も講師の立場を経験していくうちに、徐々に人前で話すことにも慣れていった。

    やっていくと、意外なことに人前で話をして、何かを伝える楽しさを感じるようにもなっていた。プレゼンの資料を作り込むのも面白い。まるで小学校の時の自由工作のようだ。

    あの頃、注目されたくても赤面症があるから注目されないようにしていて、満たすことができなかった承認欲求を満たすかのように自由工作。

    人前で話したり、クラスのみんなを笑わせたりはできなかったが、別の表現手段で自己表現をしようとしていたのだ。ある意味では、赤面症があったおかげで、創作物による自己表現をする領域が育ったとも言える。

    セミコンの時にプレゼン資料を褒められたように、今でもプレゼンをすると資料がわかりやすいと言ってもらえる事は多い。

    プレゼンの話の構成を組み立てる部分も同じようなものだ。アドリブでみんなの前で喋って笑わせるようなことはできなくても、事前に話の構成を練っておくことで、面白さや発見があるような話し方をすることができる。

    人前で緊張して話せなかったからこそ、書く能力を磨いてきたりもした。文章術の本を読んだり、うまい文章を見たら書き写してみたり、ブログの記事を変えてみたり、今はこうしてnoteで記事を書いたりもしている。会社の中で、メルマガやページの文章を任されたりもした。

    さらには動画を作ると言うこともやり始めたりしてYouTubeにアップしたら、数十万回再生されるような動画が出てきたりもした。

    振り返ってみれば、赤面症でうまく自分を表現できなかったからこそ、別の表現手段で、何とかして自分を表現し、承認欲求を満たそうと言う行為だったのかもしれない。

    人より深く、人前で話すことについて悩んでいた。そんな僕は40代になった今、毎月のように人前で話をしていたりする。小学生の僕が、今の僕を見たら驚いて言葉が出ないだろう。この人間が未来の自分だとは信じられないだろう。国語の教科書を読みながら真っ赤になっている。自分が人前でこんな風に話をしているなんて考えられないだろう。

    あの小学生の時から考えると、30年ほどの時が経っている。そんな今の僕は多少の緊張はするものの、人前で話す事は恐怖ではなく、楽しい行為に変わっている。こんなのあの当時の絶望していた自分は、想像できなかった。

    僕は今40代だが、30年後の70代の頃は、これまた今の自分から想像できない自分になっているのかもしれない。今悩んだりどうしていいかわからないようなことも、あと30年後から見れば。「大丈夫何とかなってるから。」そう言えているのかもしれない。

    今悩んでいることも時間はかかるかもしれないけど、変わっていく。昔の人が言ってますから、「諸行無常」って。常に同じ状態である事はありえないと。変わることを楽しんでいくのがいいんでしょうね。きっと。

    もし、人前で話すことができなくて、悩んでいる人がいたら、この記事を読んで、もしかしたら自分も変われるるのかもしれないと希望を持っていただければうれしいかなぁ。ありがとうございました。


     
     
    のうのう暮らすYouTube「nounou class」運営。面白いと思った人を呼んだり、つないだり、なんか起きそうな場をつくることをやりがち。7日間断食完走。たまに踊る2児パパ。遺伝子は夜型。

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