
お題 待ち時間 「ベネチア」 ショート小説 シロクマ文芸部
「待ち時間が長くて、本当に退屈よね」と見知らぬおばあちゃんに声をかけられた。ここは病院か?病院ではない。受付や看護師がどこにも見当たらない。ここはどこだ? 明るい雰囲気だ。目黒に最近できたカフェだったかな? 違う。コーヒーの匂いも、スイーツを頬張る客もいない。
隣におばあちゃんが座っているだけだ。おばあちゃんは、シワシワの手で、僕の手を握って言った。
「待ちに待ったのよ。死ぬかと思った。退屈で死ぬことってあるのよ。でもね、今日貴方にやっと逢えて、退屈な毎日から抜け出せる」
おばあちゃんが歩き始めた。僕は1人残されるのも不安だったので、おばあちゃんの後に続いた。
外国のレンガのような建物の裏に周ると、そこはベネチアだった。
行ったことはない。『世界街歩き』という番組で見ただけだ。
「さぁ乗ろう、いつか貴方とベネチアのゴンドラに乗りたいって言ったの忘れた? 最後はボケたの?」
やっと気づいた。このおばあちゃんの正体は、あの人だ。何処かで見た顔だと思った。八の字を描く眉毛も、紅茶飴のような明るい目の色は変わっていなかった。彼女とは10年も不倫関係を続けた。
「退屈で死にそう」だと言ってたが、死にそうではなくて、死んだんた。そうだ。俺はさっき、家族に見守られて幸せに旅立ったんだ。
「貴方も随分おじいちゃんになったわね。最初、誰だか分からなかった。91歳?男にしたら長生きしたから、私随分待ったのよ。本当に退屈だった。でもこうして今日夢が叶った。新婚旅行はベネチアって約束したじゃない?」
「三途の川ってベネチアにあるんだ」
「好きな場所でいいのよ、ドナウ川、テムズ川、セーヌ川。ナイルやアマゾンは人気ないみたいよ。端から端が長いから、腰が痛くなるって。そんなことよりお金もってきた?棺に入れてくれなかったの?また私が立て替えるのね、ラブホ代も、食事代もいつもそう」
ボケてても思い出した。だから俺は最終的に妻の元に戻った。
罪深い恋人達を乗せたゴンドリエーレが、長い楷で水面を勢いよく押すと、ゴンドラは、深い霧に向かって勢いよく進んだ。
完