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休みの初日は、だいたい再起動で終わる。「自分の時間」を持つ、とは。


    週末だ!リフレッシュだ!

    ◆休みの初日は、なぜか回復で終わる

    金曜日の夜は、少しだけ気が大きくなる。
    ウキウキと退社する。一週間をどうにか乗り切った勢いで、スーパーに寄る。そしていつもより少し高いつまみやチーズを買う。
    僕なりの「丁寧な暮らし」である。丁寧というより、労働後のささやかな儀式に近い。

    帰宅して、Amazon Primeを開く。
    明日は休みだ。多少夜ふかししたっていい。

    いざ、休日の開幕だ!前夜祭である。


    ……そして翌日、何をするか。

    まず寝る。

    旅行や散歩でもない。勉強や趣味でもない。
    とにかく寝る。

    土曜の午前中が、気づいたら消えている。
    ・・・ひどい時は昼も消えている。
    もうこうなったら休日というより、システムメンテナンスである汗

    でも、これ、僕だけではない気がしている。

    休日の初日は、余暇を楽しむ日ではなく、まず平日の疲れを回収する日になりがちだ。休みを楽しむ前に、仕事から自分をひっぺがす必要がある。

    金曜の夜だけ妙に元気なのも、たぶん理由がある。
    仕事を終えた直後は、まだ体がアクティブモードのままだからだ。
    その勢いで「休みだ!」と浮かれておかないと、翌日には電池が切れる。

    僕が問題だと思っているのは、寝ることそのものではない。

    疲れているなら寝た方がいい。何もしない時間も必要だ。
    むしろ、無理に充実させようとする方が危ない。

    とにかく気になるのは、休日はもう既に始まっているはずなのに、「自分自身の自由時間」がまだ始まっていない感じがすること。

    会社員の休みは、いつの間にか「回復」と「平日の準備」で埋まりやすい。

    1. 土曜日に寝て回復する。

    2. 日曜日に買い物や家事をする。

    3. 少しだけ整えて、月曜日に備える。

    合理的。でもそれは、休暇というより、次の仕事に戻るためのメンテナンスに近い。もちろん、それが悪いわけではない。働いていれば、体力も気力も削れる。週末で修理しないと、次の一週間に入れない。
    でもそれって結局は、来る仕事のため、なのだ。

    そこでふと思う。

    自分の時間って、一体いつ始まるんだろうか。

    ◆休暇が「権利」ではなく「タスク」になる

    有給も似たところがある。

    本来、休暇は権利のはずだ。
    でも会社の中では、いつの間にか「取らなければならないもの」になる。

    • 有給を取りましょう。

    • 計画的に消化しましょう。

    • 休暇取得状況を確認します。

    気づけば、休むことまで管理表の中に入っている。
    休暇取得の進捗状況・・・ってなんだよ?!笑 

    よく考えたら変な話だ。

    上半期である程度休んでいないと上司から休暇取得状況の進捗確認が入るし、福利厚生として別途配分される休暇については、次年度に持ち越しができない、という謎ルールまで僕の会社には存在している。

    休むのは大事だ。
    休暇を取らせようとする仕組み自体も、必要なのだと思う。でも、休むことまで仕事の一部のように扱われている。

    素直に、悲しい。

    無論、働いていると相手がいるし責任を伴う。社内で休暇者がバッティングしてもいけない。つまり、取りたいときに自由に取れるわけではない。

    でも、制度上はタイミングよく取らないと怒られる。だからこそ「休む」ことが、どこかで「やらなければならないタスク」になる。

    こうなってくると、休暇は仕事の反対側にあるものではなく、仕事の管理表の中にある1つの項目になる。

    ◆単発休暇と長期休暇

    特に長い休みは、少し難しい。

    短い休みなら、回復だけで使い切れる。
    寝る→整える→戻る。
    ….これで終わる。

    でも、長期休暇はそうはいかない。

    最初の一日か二日を回復に使っても、その先にまだ時間が残る。
    そこで初めて、問いが出てくる。

    • 自分は何をしたいのか。

    • どこへ行きたいのか。

    • 誰と過ごしたいのか。

    • 何も予定がない時間を、どう扱えばいいのか。

    たぶん長期休暇が少し難しいのは、時間が長いからではない。
    仕事から離れたあと、自分の時間を自分で持たなければならないからだ。

    ◆僕は自分の時間と向き合うのが下手なのかもしれない

    立ち戻って考えると、仕事に行くことは、単にお金を稼ぐことではない。

    1日の大半を仕事をして過ごすわけだから、仕事は社会との接点でもあり、生活リズムそのものである。自分の役割や、求められている事実、を確認する場所でもある。

    仕事は、生活の外側にあるようで、実際にはかなり内側に入り込んでいる。

    • 会社に行けば、やることがある。

    • 誰かがいる。

    • 求められる役割がある。

    • 忙しさも、理不尽さもある。

    しんどいが、そこにはリズムがある。慣れ親しんだ社会のリズムだ。

    だから長く休むというのは、単に仕事を止めることではなく、いつものリズムから一度外れることでもある。言ってしまえば、離脱。

    • 自分がいなくても、会社は動く。

    • 誰かは働いている。

    • 業務は進んでいる。

    それは当たり前のことだ。むしろ、そうでなければ困る。

    でも、その当たり前に少し居心地の悪さを覚えることがある。

    「自分がいないと回らない」と思っている、又は思いたいわけではない。
    逆に、「自分がいなくても回る」という事実に、少しだけ所在なさを感じる。

    こう考えると、僕は(僕たちは?)休むことが下手なのではなく、仕事以外の自分の時間に戻るのが下手になっているのかもしれない。

    ◆自分の時間へ戻るための、小さな合図を持つ

    では、どうすればいいのか。

    正直、大きな答えはない。

    ただ最近思うのは、完璧な休暇計画や行動計画を立てるより、切り替えマイルールと言えるようなもっと小さな合図が必要なのかもしれない、ということ。俗に言うオンオフの切り替え。

    たとえば、休みの初日に散歩する。
    朝にカフェへ行く。
    ジムに行く。
    本を一章だけ読む。
    部屋の一箇所だけ片づける。

    立派な予定でなくていい。
    立派すぎるとまた義務になるんだろう。

    もうやだね、タスクは笑

    大事なのは、その行動が「これは仕事のアディショナルタイムではなく、自分が使える時間だ」と、身体に知らせることだと思っている。

    僕の場合、最近は平日のジムがその一つになりつつある。

    仕事のあとに体を動かすと、頭の中に残っていた会社のノイズが少し抜ける。強めに体を動かしている間は、余計なことを考えなくて済む。
    雑に言えば、「無」になれる。

    それが完璧な習慣かは分からないが、仕事の疲れやモヤモヤを抱えたまま布団に沈むよりは、圧倒的に吹っ切れる。自分の時間に戻りやすい。

    休暇の過ごし方も、たぶん同じだ。

    いきなり理想の休日を目指す必要はないし、朝から充実した予定を詰め込まなくてもいい。海外旅行という名の大脱走だか亡命だか・・・を毎回企画しなくてもいい。

    そうではなく。まずは、自分の時間に戻るための小さな合図を持つ。

    休暇とは、仕事の空白ではない。
    仕事に預けっぱなしになっていた自分の時間を、手元に手繰り寄せるためのものなのだと思う。

    あー・・・ちなみにだが、1年は、8,760時間。
    仕事と睡眠だけで、そのほぼ半分は行き先が決まっている。

    休みの初日が寝て終わってもいい。
    最近の僕はそのあとで少しだけ、前向きに考えることにした。

    さて、ここから何をして自分の時間を過ごそうか。

    何もしないうちに土日が終わったとは思いたくないものだ。


    ・・・さぁて、これから何しよっかなぁ!
    部屋の片付け・・・すっか笑

    ヘッダーは勿論AIで作成した笑


     
     
    Kaiです。Intentusは、この場所の看板です。 AIと壁打ちしながら、仕事・創作・日々の違和感を考え、試し、他の誰かも歩ける形にして残しています。 完成品だけでなく、そこに至る寄り道も残す観察と実験のログ。 .......もはや漂流記かもしれません。(基本平日の投稿です!)

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