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ADHA交流会【デコ会】#6に参加して、思ったこと。①

    「本音で話す」は、仕組みでここまで変わる

    先日、ADHA交流会【デコ会】#6に参加した。参加して一番印象に残ったのは、「本音で話す」という建付けを、気合いや雰囲気ではなく、かなりシンプルな仕組みで実現していたことだった。

    3人は絶妙な最小単位

    交流会では、基本的に3人一組になって話す。この「3人」という人数が、実際に参加してみるとかなり絶妙だった。

    2人だと、どうしても相手との1対1になるので気を遣いすぎる。逆に6人くらいになると、今誰が話しているのか、誰がまだ話していないのか、どの話題がどこにつながっているのか、と処理する情報が一気に増える。

    3人なら、全員の話を追える。誰か一人が黙っても、完全な沈黙にはなりにくい。

    話している人、聞いている人、もう一人いる人。この小さな余白が、会話をかなり楽にしていた。

    「3人は絶妙な最小単位だな」と思った。

    「ここまで話していい」の基準を、最初に見せてくれる

    もう一つ面白かったのが、主催者の最初の自己開示だった。かなり踏み込んだ、振り切れた内容で、最初は少し驚いた。

    でも、あれがものすごく分かりやすかった。「今日は本音で話してください」と言われても、実際には、

    どこまで話していいんだろう。

    私の本音、結構ドロドロしているけど大丈夫なんだろうか。

    と考えてしまう。

    ところが、最初に主催者自身がかなり深いところまで話しているのを見ると、「あ、このくらいまで出していい場所なんだ」と分かる。

    自分の中にある「解放度」を10段階で表すなら、その時点で3くらいまで開いた感じがした。説明ではなく、最初に実演してくれたようなものだった。

    初対面なのに、かなり深い話になる

    最初は「用意、どうぞ!」という感じで3人の会話が始まり、正直どうなるんだろうと思っていた。ところが、一人が口火を切ると、意外なほど自然に話が続いていった。

    特に印象的だったのは、普段ならそれほど自分から積極的に話さなそうに見える人まで、自分の悩みや、本音に近いところを話していたことだった。

    誰が何を話したのかは書かない。ただ、初対面の人同士で、かなりデリケートなところまで話が進んでいた。それが一番驚いたところだった。

    「本音で話せる人」が集まっただけではなくて、「本音を話してもいい」と思える構造になっていたんだと思う。

    私は勝手に会話総量配分を気にしている。

    一方で、自分について気づいたこともあった。私は、頼まれてもいないのに会話の総量バランスを考えて話を振ろうとしてしまう癖がある。
    本音で話していい、という会の中ですら。

    あまり話せていない人がいると気になる。
    誰か一人が長く話していると、「他の人は話せているかな」と気になる。
    時間の配分も気になる。

    そうやって周囲の情報を拾い続けているうちに、自分の話を深くするところまで行けなかった感覚が少しあった。

    自由に自分の話をする人を見ると、「他の人が話せてないな、どうしよう」と思う一方で、その自由さを少し羨ましいとも思う。

    私が自分の話をするときは、相手は飽きていないか。話はまとまっているか。長すぎないか。と、自分で自分を監視してしまう。自由に話していい場なのに、自分で自分にブレーキをかけている。

    このあたりは、相変わらず私の「対話の場での癖」なんだと思う。

    次に参加するなら、もう少し自分を出してみたい

    30分ほどでメンバーが入れ替わる仕組みも、私にはちょうどよかった。せっかくなら、いろいろな人と話してみたい。

    「あの人とも話してみたかったな」と思った人とは、今回はうまく同じ組になれなかったので、また会う機会があればいいなと思っている。

    そして次に参加するなら、もう少し「場を回す人」ではなく、「ただの参加者」として座ってみたい。

    本音で話せる場所があっても、自分が本音を出すかどうかはまた別の話らしい。次はもう少し、自分の中の解放度を上げて参加してみたい。次の記事では、私自身の気づきを書いてみたいと思います。

     
     
    発達障害・発達特性から見える、生活や仕事の「めんどくさい・できない・つらい」を、生成AI・自動化・NFC・イラストなどで小さく試作。成功だけでなく、失敗と改良も記録します。展示作品「AI生成3分クッキング」を制作しました。

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