
わたしの冬が変わった日 それから絵を少し
こないだ道をてくてく歩いていたら、水仙の葉っぱに出会った。
ニラと混同して食べてしまう話を思い出した。人間の営みが続くかぎり、なくならないであろう出来事。
そういう事があるたびに「気をつけましょう」なんて挨拶みたいに言うけども、人間はどうしたってときどき水仙を食べてしまう生き物なんだ。それはヒトのつくりの限界で、だからこそ挨拶みたいな形で覆ってしまうしかないのかな…などと思いを馳せながら歩いていた。
これは散歩中に起こる、走馬灯的もの思いで結構めちゃくちゃだ。
水仙は道沿いにぼつぼつ植えてあって、その幾つかにあの優しいクリーム色の花がのぞいてる。驚いた。春に咲くものだとばかり思っていた。今まで知らなかったなんて、どこに目をつけていたのだろう。
私の中の冬には水仙の花は存在しない。そうして積み重なってきた沢山の冬が、足元のクリーム色を前にして渋滞をおこし、あふれそうになっている。しばらく動けず、困惑と恥ずかしさと、わずかな歓喜のまじった目で花を見つめた。風にゆれて可愛かった。
という訳で、春になったら蔵出ししようと思っていた、ナルキッソスの絵を投稿しようと思う。もう待たなくても良いんだ!
ギリシャ神話の美少年ナルキッソス。水仙の学名や、ナルシストの語源だ。ザックリいうと美貌が過ぎて死んでしまう話。
いろんな人から言い寄られる美貌だが、周りの人は落ち着きが無くなってる状態がほとんどで、それってずいぶん偏った環境だと思うんだけれど。彼の無情さの淵源は、その環境にあったのかとも考えてしまう。
どうしたら良かったんだろうね。


今までの冬にも何処かで咲いてたんだね。
こんな話↓