
なぜ便利な時代になったのに、私たちは時間に追われているのでしょうか?
便利になれば、生活に余裕が生まれるはずでした
私たちの生活は、ここ数十年で大きく変わりました。
スマートフォンがあれば、知りたい情報をすぐに調べられます。買い物に出かけなくても、インターネットで商品を注文すれば自宅まで届けてもらえます。銀行の手続きや各種の予約も、以前のように窓口へ足を運ばずに済む場面が増えました。
仕事の面でも、パソコンやオンライン会議、さまざまな業務システムの普及によって、以前なら何時間もかかっていた作業を短時間で終えられるようになっています。
こうした変化を考えれば、現代人は昔の人よりも自由に使える時間が増えていても不思議ではありません。
ところが、実際には「時間が足りない」「毎日が忙しい」「ゆっくり休む余裕がない」と感じている人も少なくありません。
仕事が終わって帰宅しても、スマートフォンには連絡や通知が届きます。休日になれば、買い物や家事、各種の手続き、翌週の準備など、やるべきことが次々と浮かんできます。
便利な道具が増えたにもかかわらず、なぜ私たちは時間に追われているのでしょうか。
その理由の一つとして考えられるのが、便利になったことで、私たちが一日にこなせる仕事や用事の量そのものが増えているという点です。
時間が短縮されると、仕事や用事も増えていきます
例えば、以前なら買い物に出かけるために、移動時間を含めて一時間程度必要だったとします。しかし、インターネットで注文できるようになれば、商品を選んで決済するまでの時間を大幅に短縮できる場合があります。
本来なら、そこで生まれた時間を休息や趣味に使うこともできるはずです。
ところが、空いた時間ができると、別の用事を入れてしまうことがあります。
買い物が早く終わったから、後回しにしていた手続きを済ませる。仕事が効率よく進んだから、もう一つ仕事を引き受ける。移動時間が短縮されたから、以前より多くの予定を入れる。
このように、時間を節約する手段が増えても、その時間を何に使うかによって、生活の忙しさは変わってきます。
もちろん、効率化によって生活が楽になった人も大勢います。便利な技術そのものが問題なのではありません。
問題は、節約できた時間を、必ずしも自分のために使えているとは限らないことです。
仕事でも日常生活でも、何かを短時間で終えられるようになると、それまでの所要時間を基準にしていた予定が見直され、さらに多くのことをこなせるようになります。
その結果、効率化によって生まれた余裕が、次の仕事や用事で埋まってしまうことがあります。
便利さを手に入れたはずなのに、生活の忙しさが変わらない。場合によっては、以前よりも忙しく感じる。こうした状況が生まれる背景には、私たち自身の時間の使い方も関係しているのです。
スマートフォンは、私たちの時間の使い方を変えました
現代の生活を考えるうえで、スマートフォンの存在は欠かせません。
電話やメールだけでなく、ニュース、動画、買い物、地図、決済、仕事の連絡まで、一台の端末でさまざまなことができます。
必要な情報をすぐに確認できることは、大きな利点です。遠くにいる家族や友人と連絡を取り合ったり、災害時に情報を収集したりする際にも役立ちます。
一方で、スマートフォンは私たちの時間を細かく分断することもあります。
仕事の休憩中に通知を確認する。食事の前にニュースを読む。寝る前に動画を一本だけ見るつもりが、気づけば何十分も経過している。こうした経験がある方もいるのではないでしょうか。
一つひとつの行動にかかる時間は、数分程度かもしれません。しかし、それが一日の中で何度も繰り返されると、まとまった時間が少しずつ失われていきます。
さらに、スマートフォンでは、自分が積極的に情報を探していなくても、次々と新しい情報が目に入ってきます。
ニュースを確認すれば、別のニュースが表示されます。動画を見終われば、次の動画が提案されます。友人の近況を見ているうちに、関係のない情報まで目に入ることがあります。
こうした仕組みは、使い方によっては便利ですが、気持ちを休める時間を減らす原因にもなり得ます。
大切なのは、スマートフォンを使わない生活に戻ることではありません。現代社会で、スマートフォンを完全に手放すのは現実的ではないでしょう。
必要なのは、自分が何のためにスマートフォンを使っているのかを意識することです。
例えば、連絡を確認する時間を決める、寝る前は動画を見る時間に上限を設ける、食事中は画面を見ずに過ごすなど、無理のない範囲で使い方を変えることはできます。
便利な道具に時間を奪われるのではなく、便利な道具を使って、自分の時間を守るという考え方が必要なのではないでしょうか。