
「可愛い」とは?
始めに。
このテーマに関しては、本当に様々な意見があると思います。今回はこの場をお借りして私の考えを書かせていただきますが、
自分が納得する形で「可愛い」の定義を
1人ひとりが持てていたら、それで十分だと思います。
私のカナダでのホストファミリーは、
バターは何にでも合う!何でも美味しくなる!と言って、ほぼ全ての食事にバターを塗っていました。
驚くことに、
茹で野菜や、ローストポテトなどにも、
熱々の状態で、上からバターを塗っていました。
もちろん私もバターを勧められ、塗ってみたこともあります。
でも、せっかくの食材が、
バターの味しかしなくなってしまう気がして、
それぞれの味が、全部一緒になってしまう気がして、
結局バターを塗らず(つけず?)に食べていました。
そんなことを思い出していたら、
それって私たちも一緒なんじゃないかなと思いました。
アクセサリー、メイク、服、などなど
他のもので自分を飾ることができる。
そして、それを人は可愛いと思う。
でもそれって、他の人も同じ様に
同じアクセサリーをつけて、同じ服を着て、同じ様にメイクをしたら、その人の可愛いを実現できてしまうのではないでしょうか。
それは本当に可愛いのでしょうか。
それは本当に、その人に向けられた「可愛い」なのでしょうか。
外見の可愛いは、言ってしまえば、誰でも実現できる。
でも、内側の「可愛い」は、その人にしか実現できない。
私はそう思いました。
外見で人を判断する人間とは、関わらない方がずっと楽だと思います。
内面を認めてくれる人は、絶対にいます。
ただ、そんなのただの綺麗事に過ぎない。
それを信じて、裏切られた人たちが、
辛く、悲しい思いをした人たちが、
ルッキズム社会の中心にいるのかもしれません。
だから、可愛いを追求する人々に対して
何か言いたいのではありません。
ただ、それを苦しい、と感じる人たちに、
別の視点もあるんだって、気づいてもらえたら
このnoteを書いて良かったなって思います。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。