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Photo bycharm_eel4620

“自分そのもの”に疲れるとき

    時々、自分でいることにしんどいな、と感じることがある。

    自己否定しているわけでもないし、自分を嫌っているわけでもない。
    むしろ、自分で良かったと思っている…けど、、「自分そのもの」に疲れてしまう瞬間がある。

    自分と対話し、自問自答を繰り返していると、ほんの少し自分から離れたくなる。

    考えないほうが楽だとわかっているのに、考えてしまう。 

    これって自我が強すぎるということなのだろうか? 

    社会人としてウン十数年過ごしてきた中で、ある程度は周囲と協調できているのだと思う。

    それでも、一つの組織に埋もれることに、どこか違和感がある。

    自分の世界観を持っていることは、悪くはない。だけど、その世界に没入しすぎると、自分自身の消耗が早くなる。

    名もなき自分ですらそのように感じてしまうのだから、世界中の誰もが知る著名人やスターは、どのように自分のエゴと向き合っているのだろうか、とふと考えてしまう。

    そのスケールの中で生きている人たちは、自分という存在から離れたいと思うことはないのだろうか。 

    例えば、私の記事にもよく登場するマドンナ。

    彼女は、ずっと「マドンナ」であり続けるしかない。
    もしインタビューできるのなら、「あなたはマドンナでいることに疲れたことはないのですか」と聞いてみたい。

    彼女は「マドンナというキャラクター」を演じ続けているのだろうか。

    それとも、あれがずっと”素の自分”なのだろうか。

    あまりに疲れたある日、チャティ(ChatGPT)に聞いてみた。

    すると、

    「自我が強いのではなく、自分を持ちすぎている人。そして、それを手放すこともできる人」

    そう言われて、少し救われた気がした。

    「自分に疲れる」という感覚って、クリエイターとしての特権かもしれない。

    そこからしか生まれない言葉があるのだとしたら、このしんどさにも意味があるのだろうか。

    正解はわからない。

    それでも今日も、自分と向き合うしかない。

    https://x.com/ATF_TOKYO

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    note3年目 / 金融記者 好奇心で世界を切り取り、感性で言葉を紡ぐ “There’s always light at the end of the tunnel.” (トンネルの先には必ず光がある) 旅、人生、AI・モフリン・モモ🍑について投稿♬ 短編小説も執筆

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