
料理をしない二人の台所
付き合い始めた頃、彼と一緒に買った白いマグカップが二つある。
どちらが彼のもので、どちらが私のものかは決めていない。そのとき手前にあるほうを、二人とも適当に使っている。
十年使って、内側には少し茶渋がついた。
昔の私なら、ありえなかった。
あの頃のテーブルには、ほとんど何も置かれていなかった。
いつもきれいに拭き、生活している人がいるとは思えないほど、つるつるにしていた。
マグカップも、いつもピカピカだった。茶渋の気配を見つけると、すぐにハイターに漬けた。
食事の時間になると、そこへ何枚もの皿が並んだ。
私はレシピ本を見ながら、汁物を一つ、おかずを三つ、すべて手作りしていた。
家事が好きだったわけではない。
むしろ、嫌いだった。
それでも、仕事も家事も、全部きちんとやろうとしていた。
彼は、食べる専門だった。
食卓に並ぶ料理は、今よりずっと立派だった。
私は、今よりずっと怒っていた。
自分は嫌いな家事を、これだけきちんとやっている。それなのに、どうして彼は何もせずにだらけているのか。
毎日のように、そんなことを思っていた。
その後、私は管理職になった。
家にいる時間が減り、家事どころではなくなった。食卓に並ぶ皿は減り、外で食べて帰る日が増えた。
今の家に引っ越したとき、二つのマグカップも一緒に来た。
今の家には、幅の広い御影石の天板を持つ、立派な対面式キッチンがある。
何品もの料理を同時に作れるし、二人で並んでも十分な広さがある。
できる、というだけである。
家を建てるとき、これだけ立派な台所があれば、また料理をしたくなるかもしれないと思っていた。
場所も道具もそろった。
けれど、料理をしていた頃の私だけが、戻ってこなかった。
今、私は台所の気持ちを考えている。
この台所はたぶん、「聞いていた話と違う」と思っている。
引っ越した頃も、私はまだ管理職をしていた。
私がほとんど家にいられないぶん、彼は「家のことをするのをメインにしたい」と言い、働く時間を減らした。
けれど、掃除も食事の用意も、私が思っていたほどには進まなかった。
冷凍食品などで、食事を用意してくれることはあった。
それでも私は、よく、
「家のことやるって言ったやん!」
と怒っていた。
私の頭にあったのは、家事が嫌いでも一汁三菜を作っていた頃の自分だった。
やがて私は、勤めていた会社でうまくいかなくなり、休職したり、いくつかの職場を転々としたりした。
収入が不安定になるからと、彼は社員として働き始めた。
その後、私の仕事も落ち着いたが、今度は二人とも忙しくなった。
家に帰れば、犬たちの世話がある。人間の食事まで毎日一から作る時間は、物理的になかった。
それで二人は話し合った。
「もう、自分らのんは適当にしよ」
その頃から、「人間の食事には手をかけない」ことが、二人の共通方針になった。
おかげで、料理にかかる手間を減らす腕だけは、年々上がっている。
料理をする日も、袋入りのミックス野菜と肉をフライパンで炒めるくらいだ。できあがると、フライパンはそのまま食卓へ運ばれる。
大皿は出ない。
立派な台所の設備も、本来とは違うところで働いている。
食洗機は、手洗いした茶碗と箸を干す場所。
高性能な魚焼きグリルは、食パンを焼くときにしか使われない。
たぶん、もう自分のことをトースターだと思っている。
今、犬たちは年を取った。
私は、犬たちとできるだけ一緒に過ごすため、パートで働いている。彼は社員のまま働いている。
私が台所にいちばん長く立つのは、犬たちのごはんを用意するときだ。
御影石の天板に五つの器を並べ、一頭ずつフードを量り、ふやかし、トッピングをのせる。薬のある犬には、錠剤を細かく砕いて混ぜる。
準備が長すぎて、犬たちは途中から「ほんまにできる?」という顔で、何度も様子を見に来る。
犬のごはんには三十分。
そのあとの人間の夕食は、シュウマイを温め、蕎麦を水で洗い、袋入りのキャベツを開ければ完成する。
犬には三十分。人間には数分。
わが家の序列は、たいへんわかりやすい。
彼は毎日、大量のお菓子を食べる。
私は、それを心配している。
その私は、青汁を飲み忘れたり、面倒がったりする。
そんなとき、彼は二つのマグカップの片方に青汁を作り、私の前にポンと置く。
「飲みや」
私が嫌そうな顔をすると、
「野菜とってないねんから、飲んどき。これくらいしやな、飲まへんやん」
と言う。
昔、マグカップは一汁三菜の横にあった。
今は、野菜のほうがマグカップの中に入ってくる。
夕食になると、私たちはダイニングテーブルを挟んで座る。犬たちは、足元や隣のソファーでくつろいでいる。
彼が、テレビを見ながら言った。
「平和やな〜」
私も答えた。
「うん、ほんまそれな〜」
食べ終わると、私たちは一気に食器を片づける。
食後の余韻は、特にない。
私たちは、それぞれの時間へ戻っていく。
テーブルの端には、出しっぱなしの本がある。
その隣に、二つのマグカップが残っている。
内側を見ると、少し茶渋がついていた。
「そろそろハイターつけななー」
私が言うと、彼が答えた。
「また今度でいーんちゃう?」
「そやな」
その今度は、しばらく来ない。
二つのマグカップは、十年使っても割れずに残っている。
思い出の品というわけではない。壊れていないから、明日も手前にあるほうを使う。
中に入れるものが、お茶か、コーヒーか、青汁かは、そのとき次第だ。