
尋問されることになった公務員
先ほど、上司から電話がかかってきた。
私が病気休暇に入る前の、6月の上旬の出来事に関して、「人事部が私にヒヤリングをすることになったから、職場復帰の日にヒヤリングを受けてもらう」との知らせだ。
怖い怖い怖い。
「6月の上旬の出来事」とは、住民が窓口に来て「とある件で心配している」と相談してきたときの、私の窓口対応の件だ。
要するに、私の態度が気に入らなかった、というものだ。ちなみに私は暴言を吐いたりはしてないよ。
「他の業務に支障が出ておりますので、本日のご対応は、これまでということにさせていただきます」みたいな、カスハラ対策マニュアルに書いてあったフレーズを言っただけだからね。
そのマニュアルを全職員に配布したのは人事部。
住民が首長にクレームを言って、首長が人事課長に、人事課長が私の上司に、という流れらしい。
詳細は書けないが、カスハラ以外のなにものでもない。
私は、職場を守るために毅然とした対応をしただけだ。
世の中、ほんとに「あんた、頭おかしいんじゃないの?」という人がたくさんいる。
あんなことで、首長にクレームを入れるなんて、いったいどういう神経なのか。
まるで、先生に言いつける小学生みたいだ。
悔しくて、なんとしても私に不利益を被らせたいのか?
一応、私は精神科医から「休みなさい」と言われて、診断書をもらって、メンタルを病んでいる身なのだが、上司からの電話は容赦がない。
公務員はたしかに恵まれている。福利厚生も年収も文句ない。
だが、下手すると毎月残業100時間で、残業代は60時間ぶんしか貰えないとか、そんなことになりかねない。
首長は対外的には「職員が働きやすい環境を」と言うが、それはもちろん政治的アピールであって、実際はどう考えても頭がおかしい1人のモンスタークレーマー住民の破壊光線をそのまま職員個人にヒットさせてくる。
「なぜ職員がどんどん辞めていくのか、わからない」と、よく言ってるらしいけど、政治家は経営者じゃないから、たぶんわからないよね。
とはいえ、30代で年収600万円で、メンタルが病んだら1カ月も休めて、休もうと思えばもっと休める、という待遇は捨てがたい。
心を無にして、謝るべきところは謝罪して、引いてはいけないところは引かず、うまいことやって切り抜けるしかない。
って・・・これ、なんの仕事だ?
一生懸命働いていればなんとかなる、という単純な世界ではない。働きすぎると毎月残業100時間だ。心臓の病気だなんだと手術する人もいる。あんなの過労によるものだろう。
日本人がどんどん神経質になり、クレーマーになり、意地悪になり、頭がおかしくなっている、と感じる。
年々悪化している。
1ドル162円で、もう実弾打って為替介入も難しいし、利上げも難しいでしょ。iPhone18は225,000円でしょ。
国全体に「死気」が漂ってるよね。
これから日本人はどんどん意地悪になっていくと私は予測している。
もうこの国ダメだなぁって、みんなわかってるよね。
そして、私は馬鹿げたクレームの対処のために、今からヒヤリング対策をするのである。
公務員が恵まれてるということはわかっている。
派遣社員、契約社員でボーナスがもらえない、という人から見たら、私の文章は「ふざけんな」って感じのものだと思う。
でも、公務員以外が恵まれてなさすぎるんだよ。
スマホが鳴って、画面を見たら、その電話が職場からだということがわかった。
「ああ、あの件のことでしょ、どうせあの人が首長か議員にチクったんでしょ?」とわかった。そのとおりだった。
クレーマーは病んでいる。私も病んでいる。だから、なんとなく、クレーマーのしつこさと過剰さは理解できる。
苦しいんだよね?
誰かに文句を言うと、「悪い世界と、かわいそうな私」という世界観のイメージに浸ることができるよね?
それは安らぎになる。
自分がクレームを言って、相手があたふたすると、物事をコントロールしている感覚を持てるから、一瞬、苦しみが緩和するよね?
わかるよ。
でも、攻撃的なマインドが毒であることを私は知っている。私自身がその毒にやられたからだ。
私の中に、クレーマーに対する愛はない。
長期戦に持ち込めば、相手がその毒で自滅することはわかっている。憎しみにのまれた者は体調がどんどん悪くなる。神経の昂りが持続するからね。
私自身は闘わない。
屈託なく負け続けることによって、相手に疑問を持たせて、相手に空虚感を味わってもらう。
もちろん、これも、私は無理してまでやるつもりはない。
いや、やはり、良くないか。
対立的な感情は精神を狂わせる毒だ。
私は変わらないといけない。今までみたいに、復讐のようなことを考えるのはやめよう。
無関心。そう、無関心が良いだろうな。
あとは適当に、「誠意ある対応」をとって、反省してるフリをしていれば、この件はそれでおしまいだ。
これは、神様が与えてくれたヒントだ。
「ここで、熱くなるなよ」と。
こういうとき、いつも考えるのは、ドストエフスキーの『悪霊』という小説だ。
ピョートル・ヴェルホヴェンスキーのように熱狂的に戦略的に生きるか、ニコライ・スタヴローギンのように無関心で生きるか。
私は共感性が低いから、現実の人物をロールモデルにすることができない。だから、フィクションの力を借りる。
こんなことをダラダラと考えないといけないなんて。ほんとに馬鹿げている。
落ち着かない。