
『りぼん』は『ジャンプ』と交換されて教室を回っていた
1980年代に小中学生だった女の子たちが熱狂していたマンガを挙げろと言われたら、私は『ときめきトゥナイト』と『伊賀野カバ丸』の2作を並べて出す。
マンガ史の本をめくると、この時期の少女マンガは24年組の後継者たちの仕事や、大島弓子や萩尾望都を読み込む大学生の批評の言葉で語られることが多い。
教室の後ろで雑誌を回し読みしていた小学生の熱狂は、系譜図の上ではほとんど居場所を与えられていない。
しかし当時の教室にいた者の実感は違う。
あれは問答無用で「えらいことになっていた」マンガだった。
この種の熱狂は、リアルタイムで直撃していないと後からたどるのが難しい消息だ。
記録として残るのは、部数とアニメの放送記録くらいしかない。
だからその数少ない記録を並べ直して、あの教室で何が起きていたのかを確かめてみる。
少し年上の少女たちが真似した『伊賀野カバ丸』
『伊賀野カバ丸』は亜月裕が『別冊マーガレット』に1979年8月号から1982年2月号まで連載した学園コメディで、伊賀の山奥で祖父に忍術を叩き込まれた少年が東京の名門校である金玉学院に転がり込み、大食いと超人的な体術で騒動を起こしていく話だ。
単行本は全12巻、これに外伝が2巻つく。
読者層は『りぼん』より少し上で、熱を上げていたのは小学生の目から見て「お姉さん」に見える年頃の女の子たちだった。
彼女たちのあいだでは、作中のローマ字のつぶやきを真似することが流行っていた。
ノートの隅や手紙にローマ字でひとこと書き込む女の子も、それを自分の作品に取り入れる少女マンガ家も、驚くほど多かったのだ。
連載が終わった翌年の1983年、作品は一気にほかのメディアへ広がっていく。
8月6日には東映が鈴木則文の監督で実写映画を公開した。
カバ丸を演じたのは黒崎輝で、真田広之や武田久美子が共演し、千葉真一が企画にも名を連ねている。
連載終了から1年半後の少女マンガが、ジャパンアクションクラブの役者たちの体を使って実写化されたという事態そのものが、この作品の人気の厚みを示している。
そして同じ年の10月20日から、日本テレビでテレビアニメの放送が始まった。
日本テレビ木曜19時の1年半
ここで1つ気づくことがある。
カバ丸のアニメが始まった日本テレビの木曜19時の枠は、その直前まで『ときめきトゥナイト』のアニメを放送していた枠なのだ。
『ときめきトゥナイト』は1982年10月7日から1983年9月22日まで全34話、カバ丸は1983年10月20日から1984年3月29日まで全24話で、どちらも東宝とグループ・タックの製作である。
1982年の秋から1984年の春まで、日本テレビのゴールデンタイムの木曜19時は、集英社の少女マンガのアニメが占めていたことになる。
しかもこの枠のアニメは、日本テレビの制作としては国産で初めての作品だった。
夕食どきのテレビの前で、私の妹は吸血鬼と狼女の娘の恋に見入っていた。
その光景は、私の家だけのものではなかったはずだ。
150万部から255万部へ
『ときめきトゥナイト』は池野恋が『りぼん』の1982年7月号から1994年10月号まで連載した作品で、吸血鬼の父と狼女の母を持つ中学生の江藤蘭世が、人間の同級生である真壁俊に恋をするところから物語が始まる。
単行本は全30巻、累計部数は2800万部を超えている。
連載開始の前後の『りぼん』の公称部数を並べると、熱狂の輪郭が数字で見えてくる。
1980年から1982年の末まで150万部で横ばいだった部数が、1984年4月に170万部、1985年3月に180万部、1986年3月には200万部に達し、1989年2月には230万部まで伸びた。
連載開始から4年足らずで、50万部が上乗せされたのだ。
公称部数は実売ではなく、もちろん伸びのすべてを1作品の功績に帰すこともできない。
しかしこの間に『りぼん』の誌面で起きていたことを並べれば、『ときめきトゥナイト』が呼び込んだ読者を次の作品が受け止めていく連鎖ははっきりしている。
1983年5月号では高校在学中の岡田あーみんが『お父さんは心配症』でデビューし、1984年11月号から連載が始まった。
1985年12月号からは柊あおいの『星の瞳のシルエット』が始まり、当時の部数にちなんで「250万乙女のバイブル」というキャッチコピーが付けられた。
1986年8月号からはさくらももこの『ちびまる子ちゃん』が始まり、1990年のアニメ化で国民的な作品になっていく。
そして1993年の末に発売された号で、『りぼん』は少女マンガ誌として史上最高の部数に到達する。
1994年2月新春特大号で、発行部数は史上最大となる255万部を突破
黄金時代と呼ばれるのはこの1990年代前半だが、その土台は1982年の夏に始まった連載が作ったものだと私は思っている。
『ジャンプ』と交換された『りぼん』
数字には出てこないが、私がいちばん記録しておきたいのは、この部数の伸びが女の子だけで作られたものではなかったという点だ。
『ときめきトゥナイト』の頃には、同級生の女の子がみんな『りぼん』を読んでいるという状態になっていた。
家に帰れば、妹や姉が毎月それを買ってくる。
そこで男子のあいだに「『ジャンプ』と交換な」という取引が生まれた。
『週刊少年ジャンプ』は1980年に300万部、1985年に400万部、1989年に500万部を超えていく時期で、男子の手元にはつねに読み終えた『ジャンプ』があった。
男子は『ちびまる子ちゃん』や『お父さんは心配症』のようなギャグから少女マンガに入り、そこから『星の瞳のシルエット』の恋愛にまで足を踏み入れていった。
逆向きの道も同じだけ太く、女の子たちは交換で手に入れた『ジャンプ』の少年マンガにはまっていった。
男子は少女マンガの扉を開け、女子は少年マンガの扉を開けた。
この2誌がどちらも集英社の雑誌だったという点は見逃せない。
1つの出版社の少年誌と少女誌が、教室と家庭という同じ回路の上で、互いの読者を交換し合っていたのだ。
『ジャンプ』と『りぼん』は、学校で禁止されてもかならず誰かが持ち込んでくる雑誌になった。
禁止という線引きが、かえって2誌を教室の共有財産に変えていた。
255万部の教室と9万部の教室
2026年4月から6月の日本雑誌協会の調べで、『りぼん』の発行部数は9万部である。
少子化と紙の雑誌の衰退を思えば、数字の落ち方そのものに驚きはない。
失われたのは部数だけではない。
1980年代の教室では雑誌は物として手から手へ渡り、妹の本棚にあった『りぼん』を兄が手に取るという偶然が、毎月どこかの家で起きていた。
いまマンガはスマートフォンのアプリで読まれ、出版社は読者を性別と年齢で仕分けたうえで、おすすめの作品を1人ずつの画面に並べている。
その仕組みのなかでは、男子の画面に少女マンガが並ぶことも、女子の画面に少年マンガが並ぶことも、まず起きない。
出版各社はこれを読者に合わせた最適化と呼ぶだろう。
寂しい話だが、それは時代の流れという事で仕方ないと言えるだろう。しかし、1980年代に『りぼん』と『ジャンプ』が交換されることによって、当時の男子は少女漫画を愛するオタクとなり、彼らが愛する少女漫画を基盤とする美少女キャラクターはオタク市場で花開いた。一方で『ジャンプ』を読み始めた女子も腐女子やボーイズラブ市場を開き、やはり幅広い市場を広げていった。
今よりもジェンダーが厳しく、女子と男子の区別が色分けにすら分けられていた頃、こうしたクロスオーバーによって生まれた文化という側面が、オタクという文化の底流にあったのだと思っている。