
ローカリズム、トランプを再考する
ローカリズム
私はまず家族を大切にしたいし、地域を大切にしたい。
地域のお祭りには積極的に参加してその文化や伝統を一緒になって維持していきたいし、できる限り地域の商店にお金を落として人生を愉しみたい。
最近、嫌、識者にとっては昔からなのかもしれないが、ローカリズムという考えが注目される。グローバリズムという言葉が先にあって、それにならうようにローカリズムということなんだと思う。
グローバリズム
グローバリズムやグローバライゼーション、主義と現象の違いがあるが、この言葉をどう受け止めるか。
検索すると地球規模の一体化示すものらしい。
経済で見れば確かに日本の自動車は世界で作り世界で売れる。AWSやマイクロソフトは全世界の人々がインフラ、ファシリティとして利用している。
文化だってそうだ。昔から日本の高度な大衆文化に一部のフランス人は注目してきたが、今やアメリカでも独自の文脈で誇張された和製アニメがリワードを得ることが当たり前になってきている。そもそも明治維新以降、日本人は欧米との一体化を目指し、右から読むルールを大胆に左から読むように変えててきた。
多様性/ダイバーシティ
多様性は先の言葉と違い主義や現象ではなく性質を示すので、本来、同列に並べることが構造としておかしいが、AIによると「性別、年齢、国籍、文化、価値観など、異なる特性や背景を持つ人々が互いを認め合い、共存する状態を指します。」とのことで、多国間で共存するという意味も含んでいるからグローバライゼーションとの親和性、関連性は高い概念だ。
多様な人々を認め合い共生する社会を目指す、ismそのものを示す言葉ではないが素晴らしい考えではないか。
それではグローバル化と多様化は両立できるのだろうか?
グローバリズムは一体化を目指しているので、恐らく多様性は失われる方向に働くことになるだろう。
皆同じ価値観になり、同じやり方を覚えたら、国や地域の境界という意味以外に、国やそのほか地理的な境界を示す言葉は意味をもたらさなくなるだろう。
また多様性、多様化もどこまで時間軸、経過を考えられているだろうか。
今、その人、その社会に着目すればお互いを認め合って許容しながら生きていく、素晴らしい概念だが、それを継続していった場合、同質化、一体化していくことに繋がらないだろうが。
個性や他者がバックグラウンドを持つこと自体が素晴らしいもの、大切に尊重すべきものだとすると、差別区別をしないと、それが失われてしまう危険もあるということだ。
差別や壁をなくし、多様性やグローバリズムを無邪気に訴えている人は、その矛盾を把握しておかなければならない。
同質化の究極は八紘一宇、日本帝国のポリシーに繋がる。主観性が強く、究極的に自己都合的発想だ。
トランプ
トランプというニューヨークの経済界から大統領に上り詰めた人物。アメリカファーストを唱え、メキシコとの国境に文字通り壁を敷設する。それは象徴的でもある。
排外主義的で多くのリベラル支持者にとっては由々しき事態のはずだが、一部の共和党支持者だけが熱狂しているという見方では説明できない、民主主義的な大統領の選考プロセスを経て、国民から信任され、国の統治業務を付託されている。
トランプこそローカリズムだということであり、国民を第一に考え、地域を大切にし、まず何より家族を大切にしている。
つまり、このローカリズムは今の世界的なトレンドであり、行き過ぎたグローバリズムや多様性追求の反動と見ることができる。
グローバリズムとローカリズムの対比
グローバリズムとローカリズムは対義語として成立するものなのだろうか?
地域を大切にするからといって、まず最初に家族の将来や利益を考えるからといって、外国人のことは考えるべきでない、鎖国するべきだ、ということにはならない。つまりグローバリズムかつローカリズム、というのは矛盾しない。
一方、グローバリズムは一体化を目指しているが、それは本当にいいことなのだろうか?
それによって人類の多様性は失われる。
多様性の追求はローカリズムであるべき、ということだ。
人は全てを悟ったなどという大きな勘違いをしてはならないし、自身の勝手な都合、解釈を他者に強制してはならない。その傲慢さは一体化思想に繋がり、ときに権力の暴走を許す。
グローバライゼーションは何もismにせずとも、社会が必要であれば進んでいく。
全てを認めて、入りすぎた力を抜き、自己に内在する差別や区別の意識と付き合いながら、自身やそのテリトリーをより小さく見て、活動していけばよい。
画一化を避け、人類がより高度に発展していくために唯一必要なポリシーだ。