
シェアハウス・ロック(or日録)2510下旬投稿分
誇らしい話(1021)
我が長女、長男、私で、運動会での我が孫・メイちゃんの雄姿を見ていたとき、もうひとつ思い出したことがある。我が長女が、小学校5年のときの話である。
この話を最後に、「昨日は、メイちゃんの運動会(1019)」以降、なんだか大追憶大会みたいになってきた当「シェアハウス・ロック(or日録)」の軌道修正を図る。まだまだ追憶に溺れる歳ではない(と思いたい)。
さて、我が長女の通っていた学校では、小学5年生から「班」なるものが編成された。おそらく「生活班」とでも呼ばれたのであろうそれは、4人程度の子どもたちで編成され、たとえば給食当番、給食を食べるとき、あるいは、音楽室、理科室への移動とか、そういうときの単位なのだろう。ただ、これは私の想像である。
この想像の根拠がひとつだけある。あるとき、我が長女が「班の女子がやらなければならないことがあったんで、学校に聞きに行かなくちゃ」と私に言い、土曜日の午後、学校に向かったことがあった。我が長女が「それ」を忘れてしまったことは仕方ないとして、私の発想では、同じ班のもうひとりの女の子に電話すればいいのに、となる。わざわざ学校へ行って、教師に聞くまでもない。
帰って来た彼女にそれを言うと、「もうひとりの女子はチカちゃんなんで、ラチが開かないんだよ」と答えた。このチカちゃんが今回の主人公である。
チカちゃんはダウン症の子だった。学校は、そのあたりも考慮して、我が長女と組ませたのかもしれない。
やはり土曜日に、こんなことがあった。
玄関ブザーが鳴ったので私が出ると、玄関先にいた女性は我が長女の通う小学校の名前を言い、そこの教師だと名乗ったので長女を呼んだ。ふたりはしばらく玄関先で立ち話をしていたが、教師の運転してきた車で学校へ向かった。
帰宅後、我が長女に顛末を聞くと、チカちゃんがなにかで大々的にご機嫌を損ねてしまい、階段をあがったとっつきの小部屋に閉じこもり、内カギをかけてしまった。教師がいくら説得しても、カギを開けようとしない。仕方ないので、その説得のために我が長女が呼ばれたのであった。チカちゃんは我が長女の説得に応じ、カギを開け、ご機嫌も取り戻したので、我が長女はお役ご免になって帰って来たということだった。
チカちゃんは、とても頑固なところがあり、一度ご機嫌を損ねてしまうと教師の言うことも聞かなくなり、そういうときは常に我が長女の出番だったという。「よくあることだよ」と言っていた。
もう一度だけ、私がいたときに、同様のことが起こった。
我が長女が中学生になって、夏休み前、藤沢まで一緒に買い物に行ったことがあった。鵠沼海岸駅で電車を待っていたとき、我が長女は突然すたすた歩き、小柄な少女に近づき、「チカちゃん、こんにちは。おぼえてる?」と声をかけた。彼女は、「あー」と大声をあげ、顔をクシャッとさせた。
チカちゃんと我が長女との交流は、我が長女を育てる過程で感じた誇らしいことのひとつであり、その最大のものである。
【追記】
標題写真は、「昨日は、メイちゃんの運動会(1019)」の朝、〇〇医院前でメイちゃん、我が長女を待っていたときに撮ったものだ。もともと、たぶん農業用水が流れていたところを暗渠化し、その上を表土が覆い、いつの間にか野生の植物が生えてきたものだろう。上方の薄紫は花である。よく見る花だが、名前を思い出せない。
反トランプに700万人(1022)
18日に「ノー・キングス」を旗印に、全米各地に700万人規模のデモがあった。同趣旨のデモは、2度目。前回はトランプ主導の軍事パレードに合わせ行われ、労働組合、リベラル系の団体を中心に500万人が動員されたといい、それを200万人上回っている。
トランプは毎度相変らずのお笑いで、「デモはごく小規模で、まったく効果もない。彼らは我が国の国民を代表するものではない」「私は王様なんかじゃない。この国を偉大にするために必死で働いている。それだけだ」と言いたい放題である。
「ごく小規模」とは言っても、同記事には、タイムズスクエアあたりを埋め尽くすデモ隊の写真が掲載されており、記事中には「首都ワシントンでは、連邦議会議事堂とホワイトハウスを結ぶペンシルベニア通りに多くの人が詰めかけ、身動きが取りにくいほどになった」とあった。
ここまでは、10月21日の毎日新聞による。
まあ、「極左がやっている」と言わないだけましで、トランプが王様じゃないことなんか、誰だって知っている。たぶん、トランプが一番わかってない。
「王様」は、トランプが「自分こそが法の上に立つと考えている大統領」だからだ。このカッコ内は、デモに参加したエイミー・ノストランドさんによる。これも、同記事から。
いずれにしても、憲法すら無視し、司法や報道にすら口出しをする政権が、長続きするわけがない。アメリカは、民主主義の国ですらなくなりかけている。
同日夕刊の「近事片々」では、
・トランプ氏の身勝手な仲介に頼ってまっとうな和平が成るのか。ウクライナに再び譲歩迫り時計の針は逆戻り。
・人質カードを切ったとみるやガザ空爆を再開したイスラエル。公正欠く和平の禍根はいずれ噴き出す世の習い。
と、数少ない成果にも翳りが出て来たことが明白になっていることを伝えている。
私ごとになるが、いま、ポピュリズムを理解しようと、それなりに勉強をしているが、ポピュリズムの成立条件のひとつというか、ポピュリズムが力を持つ土壌として、「中間団体の無力化」があるのではないかという感じを持つようになってきた。
この記事に着目した理由のひとつとして、上記「労働組合、リベラル系の団体を中心に」(記事の記述では、「団体が連帯し」となっていたのをこう書いた)700万人規模になったとあったからだ。日本の中間団体はもはや死に体だけれども、アメリカでは、まだまだそれなりの力を持っているんだろう。
ネオナチ=極右=ポピュリズムという流れが一般的だと、私は思ってきたのだが、斎藤幸平の「分岐点、その先へ」(これも毎日新聞)には、
たとえば、ドイツでは旧東ドイツの支配政党「社会主義統一党」の流れをくむ、左派党が若い世代の最大支持政党になり、得票率が伸びて躍進している。米国では、ニューヨーク市の市長選挙の民主党候補に、ゾーラン・マムダニという33歳のインド系ムスリムの社会主義者が決まり、11月の本選挙では市長になることが確実視されるまでになっている。
とあった。
日本では、残念なことに「れいわ新選組」の支持層が、どうも参政党に取り込まれている様子が見られる。これにも、「嫌な感じ」(Ⓒ高見順)を持つ。このあたりは、いずれじっくりと考えてみなければと思っている。
【追記】
本日の毎日新聞「余禄」では、「ポピュリズム」が従来の使い方(≒大衆迎合主義)に近いニュアンスで使われていた。こちらは、私にも馴染がある。上記、「ポピュリズムの勉強」は、どうもこれからズレが発生しているような気がしていると感じられるようになってきたからである。
「吉本隆明」というスレッド(1023)
noteの開始画面にスレッド(でいいのかなあ)が立つ。一番上が「フォロー中」であり、その下にAIが選ぶ(のだろう)いろいろなものが続く。私の場合は、「歴史」「日本人」「亀戸」「ギター」「洋楽」(困ったことに)「高市早苗」「日本人ファースト」「神谷宗幣」などが立つ。
note側は親切で、「あなたが興味のあるもの」ということなんだろうが、私らの側からすればどんどんと「興味のあることにしか興味がない」ようになっていく。まあ、ネットの特性だから、仕方ないと言えば仕方ない。
そのなかのひとつに「吉本隆明」がある。ここは、必ず読むようにしている。
つい最近、「本ノ猪」さんという方の記事が出た。タイトルは『鯛焼き』。標題写真は本の表紙のようで、『ずっしり、あんこ』という本のようだ。えっ、吉本さん、こんなの書いてたの? と思い、記事を読んでみた(後で調べたら、この本はアンソロジーだった)。
筆者の「本ノ猪」さんは、noteで本のお勧めを主にやってらっしゃるようで、
少しでも頷ける部分があれば、積極的に本を紹介するようにしている。ただ当然ながら、その過程で、頷けない箇所にも多く出会う。
とし、吉本さんの以下の文章を「頷けない箇所」として紹介していた。
鯛焼き
「たいていの店の鯛焼は尻尾のふた又のところにはほとんどあんがゆきわたっていないことがおおい。これはじっさいよりも効果の悪さが眼につきやすく、いかにも商売上のけちをしているようにみえる。たかが尻尾のところまであんこをゆきわたらせるかどうかの違いなら、もっとたっぷりあんこをつかったらいいんじゃないかという気になる。すくなくとも食べるほうはそうだ。実際のもんだいとして、何か技術上の理由があるのかどうかはわからない。しかし食べるほうからは尻尾のすみずみまであんこの味がすると、ただの鯛焼の味が豊かに感じられてくる。」
(吉本隆明・文、『ずっしり、あんこ』河出文庫、P128)
この文章を、私は初めて見た。
「本ノ猪」さんも、異議を申し立てておられた。それは私も同様。鯛焼きの尻尾には、あんこを入れないのが正しい。吉本さん、安藤鶴夫と同じことを言っているじゃないの。困ったもんだなあ。
以前書いた「芝浜三題+11226(23)」では、安藤鶴夫が桂三木助(三代目)の『芝浜』をイジりにイジり、ヘンに文学的にしてしまったという立川談志の証言に続き、
安藤鶴夫で別のダメは、『週刊新潮』かなんかで、「尻尾まであんこの入っているたい焼き」を激賞したことである。私の母親は、東京府下生まれ育ちだったにもかかわらず、これに対して「やだね、田舎者(いなかもん、と読んでね)は」と言い、「尻尾は、口直しのために、わざわざあんこを入れないんだよ」と解説してくれた。東京府下生まれの田舎者に、田舎者って言われたんだからなあ。
そのたい焼き屋は「若葉」といい、私が四谷にいたころも繁盛していた。
と私は書いた。
ところで、私は吉本隆明さんに「帰依」と言っても過言ではないくらい傾倒している人間であるが、それでも、吉本さんは音楽と、料理はだめなんじゃないかと不遜にも感じてきたのである。
前者は『日本のナショナリズム』による。この著作は、童謡を主なテキストにし、日本のナショナリズムを解体していくものだが、詩にしか言及がない。童謡だったら、メロディも論じなければ片手落ちである。それで、音楽は苦手なのかなあとずっと思ってきた。
もうひとつ、料理のほうは、もっと壊滅的である。音楽だけじゃなく、舌もダメなのかもしれない。ワッ、吉本ファンの皆さん、ご本人の方、ごめんなさい。
『開店休業』(吉本さんの長女であるハルノ宵子さんとの共著)は、『dancyu』に2006年の終わりから掲載された吉本さんの文章に、ハルノさんの「注解」のような文章(イラストも)がついている。この「注解」が痛快無比である。
家族のために吉本さんがかつてつくった料理を「実験料理」とこきおろし、「父の料理を思い出すと、『うっ』とこみあげるものがある」などと言い、姉妹で(妹は吉本ばななさん)味の素を「父の命の粉」などと言い、言いたい放題である。
「本ノ猪」さんは、
この人が書く食についての文章、あまり頷けたことがないな、と感じるときは、基本他のジャンルの文章にも同様な印象を受けることが多い。
とおっしゃっているが、そんなこと言わないで、吉本さんの「他のジャンルの文章」も読んでみてくださいな。おそらく、上記引用に、「ただし、例外はある」と付け加えたくなると思う。
寒くなってくると(1024)
朝、コーヒーを淹れるとき、水が沸騰するまでの時間が長くなる。毎朝のことなので、手順は決まっていて、お湯が沸くまでのルーティンが終わってもまだ沸かない。これで、寒くなって来たんだなあと実感する。
次に、ジッポ(ライター)のオイルのもちがよくなる。一週間くらいもつようになる。ただし、点きは悪くなる。
いま使っているジッポの上蓋の部分には「VIETNAM 68-69 BONG SON」と刻印がある。その下には犬のイラストがあり、彼(/彼女)は「FUCK IT JUST FUCK IT」と言っている。裏面には「It seems the days in the army are the longest days on the earth」と彫られている。本当は全部大文字だが、読みやすいように小文字にした。小文字だと彫りにくいのだろう。
私が20歳前後、いっぱしの不良少年になったころ、新宿でよく演劇を見た。ちょうど小劇場運動の勃興期にあたり、そのころ、演劇は本当におもしろかったのである。
当時、JR駅からバスに乗らないと帰れないところに住んでいて、終バスは10時。芝居がはねて真っすぐ帰っても間に合わない。仕方ないので、新宿のジャズ喫茶で始発が出るのを待つようにした。いまのように、漫画喫茶、インターネットカフェなどなかったので、それの代わりである。コーヒー一杯で、朝までいられた。
ちょうどヴィエトナム戦争が激しいころで、ジャズ喫茶には帰休兵がずいぶんと来た。彼らは数人のこともあったが、ぽつんとひとりで来るやつもいた。歳も、私よりせいぜい2、3歳上。同年のやつもいた。
こっちもひとりなんで、混んでくると相席にされることも多く、そういうときはなんかのきっかけで話し始め、始発が出るまでジャズの話をすることが多かった。私はジャズの話だったら、一晩中でもしていられる。
別れ際、必ずと言っていいくらい、彼らが使っていたジッポをくれた。いま使っているジッポもそういうふうにして貰ったもののひとつだ。
私はあげるものがなかったので、ロングピースの残りをパックごとあげた。彼らは、「ロングピースかあ、いいなあ」とため息をついた。
未明の新宿駅で彼らと別れるとき、私は「死ぬなよ。殺すなよ(Never die, never kill)」と言った。必ず言った。
大学の入学資格、奨学金を得るために軍隊に入ったやつもいたに違いない。あいつらのうち、何人がいまでも生きているのだろうか。
ここまでの話は、昔、ジャズ喫茶のことを書いたときに、エピソードとして一回書いたことがある。
30代のころ、大がひとつでは足らない大親友のタダオちゃんが、どういうわけだかジッポを集め始めた。「古いものがなかなか集まらない」と嘆くので、このようにして貰ったものを、確か8個だったかあげたのだが、タダオちゃんが亡くなり、形見分けでもらってきたもののなかに、かつて私があげたヴィエトナム・ジッポが2点あった。いま使っているのは、そのうちのひとつだ。30年ぶりに私のところに戻って来たわけである。
夏が終わると、いつも「なにかが終わった」という気分になり、同時に昔のことを思い出すことも多くなる。本日も、そういうネタである。
高市早苗の「放送法内部文書問題」(1025)
高市早苗ねえ。まあ、順当だな。適材とは言っていない。適所とも言ってない。ただただ、順当。「順当」を翻訳すると、「まあ、そうなりまさあね」である。
私がこの人を「ダメな人だなあ」と思ったのは「放送法内部文書問題」でだった。『週刊文春』(10.23)の能町みね子さんの「言葉尻とらえ隊」によれば、
安倍晋三にならったように議員辞職まで賭ける形で文書を捏造だと主張した。そして、その後自らの主張が危うくなると、国会で「私が信用できない、答弁が信用できないんだったら、もう質問をなさらないでください」と投げやりな発言をし、野党どころか与党側からも叱責されたことがある。なんとこれはたった2年前の出来事である。
となる。
能町さんとおそらく同じ、あるいは同様のテレビ番組を見ていた私の感想はもっと単純素朴で、もし捏造であったのだったら、(A)自らの監督責任が問われる(だって、当時の部下がやったことだからね)、もし捏造でなかったら(B)自らの責任が問われることになる。(A)(B)いずれにしても、「ごめんなさい」しかない。それしかないのに、どうしてこの人は、こんなに居丈高でいられるんだろうというものだった。
もうひとつ、部下をかばうどころか部下のせいにするというのは、この人は保守じゃないな、つまり、日本の制度というか、風習というか、習俗というか、全然わかってない人だなあという感想を持った。日本では、部下の責任は、その上司たる人間の責任である。これが、実は、日本型の「権力」の神髄である。
もっとも、「秘書が勝手にやったこと」と政治家の方々はよくおっしゃる。彼らは日本人ではないのだろうか。少なくとも、日本の風習、習俗の外にいらっしゃることになる。
まあ、いま冷静に考えれば、高市さんとすれば、それしか手はなかったんだな。
そもそもこの事件の発端は、日本経済新聞ネットニュースによれば、以下のようになる。
高市氏が言及したのは立憲民主党の小西洋之氏が2日に「総務省職員から提供を受けた内部文書」だと公表した文書だ。総務省は7日に(それを)行政文書と認めた。
高市早苗経済安全保障相は28日の参院予算委員会で、放送法の政治的公平に関する総務省の行政文書に関し「怪文書の類いだ」と指摘した。
上記に「総務省は7日に行政文書と認めた」とあるが、令和5年3月7日に、総務省は「政治的公平に関する文書の公開について」と題し、その文書を公開している。この事件にご興味がおありの方は是非。
そこでは、皆さんお上品だから、「政治的公平」などとおちょぼ口で語っているが、要は、政権側に不利な番組をつくったら、ただじゃおかないぞと言っているのである。それは、公開された文書を読めば、小学生だってわかる。しかも、この件に関連して、高市早苗は「放送免許をとりあげることもあり得る」ととれる発言もしているのである。
東京新聞ネットニュースには、
「捏造文書」との主張が誤りだった場合に辞職するか(と問われたこと)に関しては「閣僚や議員の辞職を迫るのなら、文書が完全に正確だと相手も立証しなければならない」と(高市は)強調。政治家としての説明責任を疑惑を追及する側に転嫁するような発言で、有識者は「ナンセンスで筋違いだ」と批判した。
とある。これもとんでもない発言である。だいいち、立証もへったくれもなく、総務省が行政文書と認め、公開までしているのである。
だが、これだけ大騒ぎして、結局、結果はうやむやだった記憶がある。野党も、マスコミもなめられるわけである。もちろん、国民も、である。
高市早苗の「組閣」(1026)
新宿区舟町に10年暮らし、そこを出て2年間新宿区三栄町で暮らした。歩いて10分程度の距離を引っ越したわけである。この2年間でよく見たポスター(というか、あれは業界用語ではステ看という。ポスターをベニヤ板に貼り付け、針金でどこやらに吊るすものだ)に、「アベ政治を許さない」というものがあった。
毛筆で下手ウマみたいに書かれた文字は、金子兜太さんのものだという。ご本人が、「あんなものに漢字を使うのはもったいないので、カナにした」とどこかに書いておられたのを読んだ記憶がある。
さて、高市早苗の「組閣」は、アベ政治のまったき継承であると言って過言ではない。それから、石破内閣と比べると、ほぼ全とっかえ。子細に見たら、「ほぼ」は取れるのかもしれない。
毎日新聞(10.23)一面真ん中あたりには、「副大臣・政務官『裏金議員』7人」とあり、その記事には、
(略)政治資金収支報告書への不記載があった旧安倍派の7人が起用された。事件発覚後に、岸田、石破政権は起用を見送ってきたが、高市早苗首相は方針を転換した。21日の組閣では、裏金事件に関わった佐藤啓参院議員を官房副長官に起用している。
裏金関与議員で起用されたのは、副外相の堀井巌氏、副農相の根本幸典氏、副国土交通相の佐々木紀氏、酒井庸行両氏、政務官では高橋はるみ(財務)、小森卓郎(経済産業)、加藤竜祥(国交)の3氏。
とある。
「官邸人事も『安倍回帰』」という記事が3面にあり、国家安全保障局長に市川恵一を起用。ところが市川は、今月に駐インドネシア大使に充てる人事が発表されたばかりであり、中堅の外務官僚は、
既に天皇陛下の認証まで受けた人事を、すぐに異動させていいのか
と疑問を投げかけているという。しかも、この人物は、「アベ政治」が提唱した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」に起草段階から関わり、バリバリの安倍人脈と言える。
さらに、安倍政権で首相秘書官、首相補佐官を務めた今井尚哉を特命担当の内閣官房参与に起用した。今井尚哉は、「今井ちゃんは本当に頭がいい」(Ⓒ安倍晋三)というくらい「アベ政治」に関与(というか、加担と言いたい)した人物で、佐川宣寿とともに「アベ政治」を語るときには忘れてはならない人物である。
どこやらのネットニュース(メモしたものの、出どころは不明)には、このことを、
政府は22日、安倍内閣で首相補佐官と首相秘書官を兼務した今井尚哉氏を21日付で内閣官房参与(特命担当)に起用する人事を発表した。高市首相は、首相官邸が政策を主導した安倍内閣の政権運営に倣う考えを示しており、今井氏に助言を求めるためとみられる。
と書いてあった。
組閣は首相の専権事項であるので、「お好きなように」と言うほかはないが、明らかに「アベ政治」への回帰であることは、無力な市民であっても押さえておいたほうがいい。
翌日の毎日新聞一面には、「強い経済へ財政出動」とあり、これも「アベ政治」の継承である。私の考えでは、強い経済をつくるには、消費を喚起するしかない。つまり、庶民への金の巡りをよくするしかない。断じて「大企業への~」ではない。トリクルダウンが「アベ政治」ではまったく起こらなかったという反省が皆無である。
ここまで、「アベ政治」の継承とか、回帰とかいろいろ書いてきたが、所信表明で「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」などと言っているのを知り、「コピペ」と言いたくなってきた。コピペ政権。いずれろくなことにはなるまい。
物価の安いどこやらかに亡命したくなった。
お口直しの話(1027)
二回連続で不愉快な話になった。私があやまるスジなどないはずなのだが、まあ、書いて載せたのは私であるので、あやまっておく。ゴメン。不愉快ではあるが、これだけは言っておかなければということもあるし、高市早苗の支持率が高い(安倍内閣発足時より高い)ということを聞いたらなおさらである。あっ、こういう話は止めるはずだった。ゴメン。
本日は、楽しい話をする。
10月23日は我がシェアハウスのおばさん、我が友青ちゃん、以前何回かご登場願った88歳にして宗教的自叙伝を上梓されたおじいさん、その娘さん(のお一人)、私とで飲み会だった。もうちょっと正確に言えば、おじいさんと青ちゃんの烏鷺の争いにかこつけた飲み会である。
碁敵(ごがたき)は憎さも憎し懐かしき。
おばさんと娘さんは、その直前まで仕事。
私はこの世にまったく用のない老人なので、飲み会の前、「キラキラ橋商店街」というところに行っていた。「キラキラ橋商店街」は新聞/雑誌で知って、一回は行っておこうと考えていたのである。
私は商店街のど真ん中と言っていいところで生まれ、育った。だから、どこの商店街でも、そこを歩けば故郷に帰ったような気分に浸れる。商店街は、どこであっても同じ顔をしている。横丁から、40代くらいの我が父親、母親、10歳前後の妹が出て来るような感じがいつでもしてしまう。どこの商店街でも、である。
「キラキラ橋商店街」は、皆さんいろいろとがんばっておられるのはひしひしと感じられるのだが絶滅危惧だなあ、残念ながら。商店街がお好きな人は、絶滅前にぜひどうぞ。
場所は墨田区京島。土地鑑のない方には、スカイツリーの下あたりと言っておく。ただし、押上駅から往復歩いたのだが、8000歩くらいで、なかなか歩きでがあった。
ハトやという、確か戦前からやっていたパン屋さんで、皆さんへのお土産のパンを買おうと考えていたのだが、残念ながらお休み。ああそうそう、一軒の蕎麦屋さんが、「店じまいします」という張り紙をしていた。ハトやは一度しめたのだが、継ぐ人が現れ、また営業しているという。
11月22日は、同商店街で「すみだストリートジャズ・フェスティバル」なるものが行なわれるので、行ってみるかなあ。天気がよかったらね。ハトやのコッペパンも買いたいし。
飲み会は楽しかった。おじいさんには娘さんがお二人(正確には三人だが、お一人は仙台在住)いて、よくおじいさんの面倒を見るいい娘さんたちであるが、おじいさんは千葉で一人暮らし。
碁は市ヶ谷で打つのだが、おじいさん、ポロっと「交通費が結構大変で」と言ったので、おばさんは、「青ちゃん、千葉のほうで打ちなさいよ」と指令していた。私は青ちゃんに、東京都のシルバーパスを取得するように通告。これがあれば、本八幡までこれで行ける。おじいさんの著作の編集期間には、私もよくシルバーパスを使い、打ち合わせで本八幡まで行った。シルバーパスは無敵である。
おじいさんの次回作は、ご自身が「スワンソングだ」とおっしゃっていたが、『ヨハネによる福音書』15章を中心に展開するものらしい。やっぱり『ヨハネ』かあ。
私は、福音書をよく読むが、『マルコ』『ルカ』『マタイ』は好きでも、『ヨハネ』はあまり好きではない。
私が好きなのは史的イエスであって、『マルコ』『ルカ』ではユダヤ教社会、ローマ社会に抵抗する過激派兼チンピラの匂いを、イエスがまだ感じさせるところが好きなのである。これが『マタイ』になると、多少「おいおい、おまえ、大丈夫か? そんなこと言うやつじゃなかったぞ」となり、『ヨハネ』になると、前述の「おいおい、おまえ」の間に「本当に…」をつけたくなる。だが、ちゃんとした信仰者は、やはり『ヨハネ』なんだろうなあ。
つい最近読んだ『司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質』にこのあたりの話に近い話があったので、明日はその話題にからめ、もうちょっとこういったお話をする。私は不信仰のわりには、神さまの話が好きなのである。
神学では、神の存在を証明できない?(1028)
標題の?は取ってもいいような気もする。
ザヴィエルがやって来て神を説いても、そんなに神様ってものが全部お見通しなら、なぜ我々は発見されることが遅かったのか(笑)。これを論破するには、自分はパリ大学でアリストテレスの哲学をやってよかったと、ザヴィエルはいう。つまり普通の神学では論破できないんです。神学では神が最初にあるんだから。
司馬遼太郎は、『司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質』のなかの大岡信との対談でこのように語っている。今回は、このセリフを、私なりに解釈してみる。
まず、聖書のおさらいをする。
前回、『マルコ』『ルカ』『マタイ』『ヨハネ』の四福音書のお話をした。それぞれの福音書の成立はこの順のはずだ。
『マルコ』は、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と簡明に語り始める。
『ルカ』は「テオピオ閣下よ」と、テオピオ閣下なる人物に語る体裁をとっている。
このテオピオは、テオピロあるいはテオフィロと呼ばれることもあり、閣下の原語は「クラティステ」である。これはローマの高官などに対する敬称だから、ローマ帝国に対する報告といった体裁になるのだろう。
テオピオの正体はよくわからない。新約聖書全体で二か所しか名前が出て来ない。もう一か所は『使徒行伝』の冒頭である。
『マタイ』の冒頭では、「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」で始まり、「誰は誰の子」というスタイルで延々と系図が語られる。
ここまでは通常「共観福音書」と呼ばれる。視点が同じという意味である。ここまでは(特に『マルコ』『ルカ』では)、イエスは人としての側面も十分に持っている。ただし、『マタイ』では、イエスはだいぶキリストっぽい人になっていく。
『ヨハネ』になると、このあたりは完全に整備されてきて、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた」で始まる。
だから神学は、『ヨハネ』から始まると言って過言ではないはずである。
こういう始まり方をしてしまった神学は、司馬遼太郎が言うように、外からの視線でなにか言われたら論破できないはずである。ゲーデルの不完全性定理を、私は「その体系の内部にあっては、その体系の正しさは証明できない」と雑にもほどがあるほど雑にとらえているのだが、また外からの視線にも、体系内論理はほぼ無力なのかもしれない。私は、今回の冒頭の司馬説をそう理解した。
ゲーデルの不完全性定理をもうちょっとちゃんと説明しようとすると、数学記号/論理記号が必要になるし、それは使えないし、それで説明しないと私の能力をはるかに超えてしまう。もともと、そういう能力などない。この言い方だと、威張っているように聞こえるかもしれないが、悲しんでいるのである。
私は不信仰な割には神について読んだり考えたりするのが好きなのだが、神(について読んだり考えたりする)を分子に、信仰の度合いを分母にすると、つまり、
[神(について読んだり考えたりする)]/[信仰の度合い]=?
と考えると、分母がほぼゼロなので、神は無限大になる。よって、神の無限大を不完全証明したことになる。不完全性定理を持ち出したので、こんな冗談を思いついたわけだ。
冗談はさて置き、司馬遼太郎は、どこで冒頭のような話を仕入れて来たのだろうか。私は浅学にして、フランシスコ・ザヴィエルのまとまった著作というものを知らない。『街道をゆく 南蛮のみち』(司馬遼太郎)は、「ザビエルの右手」という副題がついているようなので、これを読めばわかるのかもしれない。
こうやって、読みたい本が増えていく。
佳日好日1(1029)
10月26日は、我が畏友その1の誘いを受けて板橋へ。
高島平まつりで、図書館の除籍本の頒布があるというので、それに行ったのである。下車駅は高島平(都営三田線)。このあたりに行くのは「【Live】巣鴨組から新巣鴨組へ(0823)」で行って以来。
巣鴨までだったらよく行くのだが(と言っても、3か月に一回くらい)、その先となるとなかなか足が伸びない。このあたりは東京東部で、そして私は東京東部の出身ではあるものの、なんだがこのあたりは「奥地」という感じがする。
9時前に我がシェアハウスからの最寄り駅で電車に乗り、高島平着は10時半。そこそこの移動距離、時間である。
畏友その1とは高島平図書館待ち合わせ。高島平図書館は高島平駅から2、3分。
頒布会場はそこからほど近い区民会館かなんかの3階だったのだが、その1は、果敢にも階段で登るという。仕方ない。私もお付き合いをする。その1は私と同年なのだが、健脚である。ガタイのでかいやつは(たとえば、お相撲さん)膝、足首にくるのだが、そんな気配も見えない。
頒布の「戦果」は、『江戸アルキ帖』(杉浦日向子)、『白萩屋敷の月(御宿かわせみ八』(平岩弓枝)、『疾駆する夢(上)』(佐々木譲)、『ホット・ゾーン(上下)』(リチャード・プレストン)。
若干の補足をすると、『江戸アルキ帖』は前から読みたかったもの、『白萩屋敷の月』は一度読んではいるものの、もう一回読もうと貰ってきた。佐々木譲のものは目につく限り読むようにしているので貰ってきた。(下)がないのが残念だが、これは別途買うしかないだろう。『ホット・ゾーン(上下)』は、聞いたこともなかったし、リチャード・プレストンという著者も知らないのだが、高見浩の訳というので貰ったもの。パンデミックもので、パラパラ読んだ限りではおもしろい。しかも高見浩訳のものに外れはない。
土門拳の写真集が2冊あった。ほしかったのだが、1冊5㎏を超える。あんなもの背負って帰ったら脊椎をいためるのは必定なので、断念。
図書館のあたりからバスに乗り、東武練馬へ。昼飯は「晟成」という中国東北料理の店。その1は、よくここで羊の串焼きを食い、中国の焼酎を飲んだとLineしてくるので、一度行ってみたかったのである。
とは言っても、東武練馬駅からけっこう歩く。その1は、安くてうまい店を探す能力に長けている。中国東北料理とはいっても、店構えは町中華そのもの。その1の眼力に恐れ入る。
串焼き、麩焼きを各一注文し、「二曲」(54度)という焼酎。普通のコップいっぱいに入ってきた。それに、羊鍋定食(羊肉、豆腐に高菜どっさり)なるものを注文する。そんなに食えないよ。
話題に映画『宝島』が出て来たので、その1は見たんだろうな。私もこの映画は、「沖縄についての涙について40629(24)」でお話しした「戦果(せんかぁ)」が出て来るし、敗戦直後のチンピラの話なので、私にとってストライクゾーンである。ぜひ見たいと思っているのだが、食べるのに一生懸命で、感想を聞くどころではない。
食後、満腹と酔いのせいでやっとの思いで東武練馬駅まで歩き、再びバスに乗り、高島平で散開。
この日歩いたのは、6400歩。2日で一万歩がノルマなので、楽々ノルマ達成である。それだけ歩き、朝飯も食わずに行ったのだったが、夕飯は食えなかった。一日二食というのはままあるが、一食というのはめったにない。
佳日好日2-絵金の日(1030)
絵師・金蔵、略して絵金。江戸時代末期の文化9年10月1日、金蔵は髪結(床屋さん)の子として土佐藩城下の新市町(現在のはりまや町2丁目)に生まれる。
これは、「絵金蔵」(香南市赤岡町)のHPの冒頭である。
画風は錦絵風なのだが、よく「血みどろ」などと言われる。実際に、絵金はそういう場面を好んで描いた。絵金の作品は、芝居絵(歌舞伎などの芝居を二つ折りの屏風に描いた土佐独特の形式)や台提灯絵、絵馬、凧絵など、200点が残っているという。泥絵の具をよく使った。
「絵金蔵」はその作品を保存公開するための施設として、平成17年に設立されたものである。
10月27日は、午前10時から始まる新宿 K's cinema《奇想天外映画祭2025》の『闇の中の魑魅魍魎』に行く。絵金が主人公の映画である。26日は単独行だったが、27日は我がシェアハウスのおばさんが同行。同行二人である。四国ネタ、土佐ネタっぽい。
映画では絵金を若き日の麿赤児が演じ、他のキャストは扇ひろ子、加賀まりこ、稲野和子、佐々木愛、岡田英次、江守徹、土方巽、殿山泰司、鈴木光江。なつかしい人たちのオンパレードだ。
この映画は、第24回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されるも、そのあまりの血みどろな描写で物議をかもした。制作は1971年。カンヌ国際映画祭には出品したものの日本国内では上映されなかった。監督:中平康、脚本:新藤兼人、音楽:黛敏郎。原作は『血みどろの絵金』(榎本滋民)である。
60年代後半に、一時ミニ絵金ブームのような状況になり、この映画の存在も私は知っていたのだが、前述のように日本では上映されなかったので、50年後にしてやっと見られることになったわけだ。
いい映画だった。特に音楽は出色。出色中の出色は、ドサ廻りの一座が演じるシーンと鈴木光江が歌うご詠歌である。前者の三味線、義太夫は、クレジットには出なかったようだったが、さぞ名のある奏者のものであると感じさせられる。
後者は、鈴木光江の歌うメロディが、完璧に陰旋律(日本の音律)であるところに感動した。ああいう風に歌える人はもういまい。いまでは、私たちは、完全に十二音平均律になってしまっている。これは、文化侵略と言えば文化侵略だが、もう戻せない。私たちは、「もう戻せない」というところから考えなければいけないことが多々あると知るべきだ。
鈴木光江、佐々木愛は劇団・文化座である。佐佐木隆、山村聡、山形勲らと劇団文化座は結成されたのだが、三好十郎作品をよく上演していた。イゼキという先輩に連れられて、二回ほど文化座の新年会に行った。そこで鈴木光江さんが歌う歌は、必ず民謡だった。佐々木隆、鈴木光江の子どもが佐々木愛である。
K's cinemaの「ふもと」のようなところにある立ち食い蕎麦屋でそそくさと蕎麦をかき込み、サントリー美術館に向かう。メニューをよく見れば、「カレー丼」を頼んだところだったのが残念。
大江戸線に乗り、六本木へ。サントリー美術館では「東京の美術館では初の大規模展」と銘打った絵金展が開催されていて、そこで芝居絵屏風等々を堪能した。70年前後のカウンターカルチャーブームで絵金もかなりフレームアップされたものの、絵金のはしごができる日が来るとは夢にも思わなかった。
大江戸線を一駅分乗り、麻布十番商店街へ。堪能するのにはちょっと無理がある商店街だったが(麻布十番だからね、仕方ない)八百屋がなかなかで(二軒あった)、そこで我がシェアハウスのおばさんは、水ナスをゲット。これは、生で、わさび醤油で食べると相当にいける。
麻布十番から港区コミュニティバスで三田に出て、都営三田線、京王線と乗り継いで帰宅。この日、歩数計は9,246歩。
健康で文化的な最低限度の生活(憲法25条)(1031)
本日は、「高市早苗は憲法を本当に知っているのか」というお話をしようと思っていたのだが、こっちのほうが先である。「こっち」のお話をする前に、「こっち」に関する私の立ち位置を申しあげておく。
父親が、私が小学2年生の3学期に精神病院に収監された。それ以降、しばらくの間、私と妹は母子家庭まがいの生活を送った。とは言っても、母親は腕のいい和裁の仕立職だったので、母親の孤軍奮闘もあり、実際にはそれなりの生活だったのかもしれない。だが、私は幼かったし、バカだったので、自分のうちは貧乏なんだと思っていた。
幼少期、自分のうちは貧乏だと思った経験がある人には言うまでもないだろうが、そういう人間は自分が貧乏なのはへっちゃらである。だが、他人の貧乏には、身を切られるような思いをする。なんでだかは、いまだにわからない。
さて、毎日新聞10月28日夕刊の稲葉剛・立教大学大学院客員教授による「時代を見る目」「生活保護制度の今‐かけ離れた理想と現実」は、生活保護受給者の次の証言から始まる。
長年、自炊をしてきたが、最近はガス代が高いので、火を使って調理することをあきらめ、冷たい総菜ばかり食べている。
毎月、月初に保護費が出たら、コメをまとめて買って、月の後半はコメとふりかけでしのいできたが、そのコメも高くなってしまって、どうしたらよいか、わからない。
電気代が気になって、猛暑の日でもエアコンが使えない。
冬はなるべく暖房を使わないようにしている。寒い日は昼間でも布団をかぶって耐えしのんでいる。
食費を浮かすため、週末には片道1時間以上かけて歩き、ホームレス支援団体の炊き出しに通っているが、もともと悪かった足が痛くなって、つらい。
これらの証言の後に、同記事は次のように続く。
物価高騰が始まった2022年春以降、各地の困窮者支援団体に生活保護世帯からの悲痛な声が寄せられるようになって、もう3年半になる。
前掲は、その声の一部なのだろう。
この国は、こういう声を3年半も放置したのである。どういう国なのかと思う。生活保護受給者がこの国の経済を圧迫している、さらに外国人が圧迫していると言う人たちは、こういう声を聞いても、まだ、彼らは自助努力が足らず、生活保護を食いものにしていると言うのだろうか。一人ひとりに聞いてみたい気がする。
憲法25条には、
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
とある。前掲の「声」によれば、国民の一部は、最低限度の生活すら営めていないではないか。
同記事には、「山梨県は県が独自に実施した生活保護世帯の実態調査の結果を公表した」とあり、その結果、「山梨県では(中略)独自対策として、今年の夏休み期間中、生活保護世帯を含む低所得者世帯(略)の小中高校生を対象にした緊急の食料支援事業を実施した」とある。さらに「山梨県の働きかけもあり、全国知事会が今年9月1日に政府に提出した『令和8年度国の施策並びに予算に関する提案・要望』には、生活扶助基準に関しての項目が盛り込まれた。要望書は、今後、食料品などの物価上昇が継続し、生活保護世帯の生活状況がさらに悪化しかねないことに懸念を表明。国に『可能な限り早急に物価上昇や生活環境の変化等による影響を検証し、基準に反映する』ことを求めている」とあった。
国は地方からの問いかけを正面から受け止め、理念と現実の乖離を直視すべきだ。
と稲葉剛さんは、その記事を結んでいる。
同日の毎日新聞には、「精神障害の労災10年度比3倍超」という記事があった。これは、「過労死等防止対策白書」によると、精神障害による労災請求件数が1,181件(10年度)から、24年には3,780件になっているというもの。労働環境が厳しくなっていることがこの下敷きにあることは想像に難くないが、この原因の1位は「対人関係」であり、人と人との関係がこの間相当にギスギスしていることも一因であると思われる。さらに、この数倍の「隠れ」がいるはずだし、この人たちも前述の困窮者予備軍である。
こういったことは、本来は国の仕事のはずなのだが、とりあえず現在は全国知事会に期待するしかない。ひどい国になったものだ。
繰り返すが、国にではなく、「地方」に期待をかけたい。
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