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木曜日のカツオ

    今日は口がカツオだ。
    誰がなんと言おうとカツオだ。

    終業のチャイムがなる一時間前からそればかり考えていた。
    オオバ、ミョウガ、ニンニク、ショウガ。
    アイツらがいないとダメだな。

    頭の中は薬味たっぷりのカツオのたたきでいっぱいになった。
    耳からポン酢が溢れてくるところだ。

    今日は木曜日。

    芋焼酎は家にある。
    最高の木曜日になるな。

    口の中に溜まったヨダレに気を取られていると終業のチャイム。
    さぁ、出撃だ。
    会社を出て通勤電車に飛び乗った。

    しかし、今朝のあれには参った。
    電車で小さい方が漏れそうでなんとか我慢して、
    会社のトイレに駆け込んだんだ。
    そうしたらさ、

    【清掃中】

    絶望に打ちひしがれていたその時、

    「いいですよー、やっちゃってください」

    清掃のおばちゃんは優しい。
    三角巾を被ったエンジェルだ。
    お礼を言って小便器とペアになる。

    「Shall we ダンス?」 

    ダンスを踊り始めた途端に声をかけられた。

    「お兄さん、30歳くらい?
    最近の子ってなかなか結婚しないのかしら。
    うちの息子も休みになると家でゴロゴロしてね。
    彼女の一人もいないのかしら。」

    優しさは認めよう。
    しかし、ダンスの審査員になるなんて話は聞いてない。
    おばちゃん、これじゃあ出るものも出ないよ……

    出たけど。

    そんなことを考えているともう電車は最寄り駅に着いていた。
    ここからが勝負。

    メロスは走った。
    カツオのために。
    なんてな。
    スーパーの自動ドアの向こうにセリヌンティウスがいるなんてことはなく、
    鮮魚売り場に向かう。
    オオバ、ミョウガ、ニンニク、ショウガは後だ。
    俺はまず本命を狙う男だ。

    本命か……。

    ない。どうして……。

    そこに鎮座しているはずのカツオのたたきがない。
    待てよ。なんでだよ……玉座には王がいなきゃダメだろ。
    どうしてそこにドカン座ってないんだよ。
    メロスが戻ってきたら王は留守ですって展開はないだろ。

    しかし、俺はメロスじゃない。
    「メロスはカツオの居場所がわからぬ」
    なんてことにはならない。
    スーパーはもう1軒ある。
    そこには確実にカツオのたたきがある。
    冷凍なんだけどな……。

    スーパーは徒歩5分の所にある。
    走れば2分。
    でも走らない。
    大人だから。

    それはそうとお腹が空いてきた。
    昼は社食のカレーうどん。
    シャツのはしについた黄色いシミは激しい戦いの傷跡。

    やっぱりうどんだけじゃきついな。

    ファミマの青と緑が寄ってってよと声をかけてくる。
    ファミチキ、20代の時なら食べちゃってたな。
    今はちょっと距離をおいてる。
    そのかわり小さな幸せチョコボール。
    ちなみにピーナッツよりキャラメルが好きだ。
    だけど見当たらない。
    ピーナッツで我慢する。
    チョコボールを補給してなんとかスーパーまでたどり着く。

    【改装中につき休業中。10/5リニューアルオープン】

    足が止まる。
    もう二度とここから動けないかもしれない。

    わかったよ。
    世界が俺を拒むならこっちにも考えがある。

    KFC、バーキン、一人焼肉。
    20代に戻ったつもりで徹底的にいってやる。

    大股で足早に商店街を通って駅へ向かう。
    その時、小さな魚屋が目に入った。
    店員はいない。
    ただ段ボールに書いた文字が目に飛び込んできた。

    【戻りカツオ、有ります!】

    しばらく呆然とその文字を見つめていると声をかけられた。

    「いらっしゃい。お兄さん。カツオ。」

    いや、俺はカツオではない。
    どちらかというと眼鏡もかけているし中島寄りである。

    「戻りカツオ、おいしいよ。」

    もう一度声をかけられて正気に戻り、声をかけてくれたおばさんを見つめる。
    深呼吸をしてから声をかけた。

    「実は、今日カツオのたたきが食べたくて、
    スーパーとか探したんですけどなくて、
    それでたまたま前を通ったらカツオって書いてあったから……。」

    おばさんは一瞬眉をひそめ、息を吐く。
    腰に手を置くと、からっと笑った。

    「ああ、そういうこと。いいよ。炙ってやるから少し待っててくれる。」

    カツオを手におばさんは店の奥へ消えていった。
    そういえば俺、魚屋なんて来るのは初めてだ。
    発泡スチロールの中に棘が見える。
    ウニだ。
    大きな水槽は少し苔が生えていて中に魚はいない。
    店の奥から香ばしい香りが漂い始めた。
    香りを思いっきり鼻で吸い込むと空が見えた。

    その時スマホから通知音がした。
    おいおい、まさか会社に逆戻りとかやめてくれよ。

    【マリッジリンク結婚相談所:あなた宛てにお見合いマッチングの申し込みが1件きています。】

    アプリのアンインストール忘れてた。
    通知を消去する。

    「お待たせ、戻りカツオ本当に美味しいよ。
     お兄さんイケメンだからちょっと割引。
     ほんとは1400円だけど、もう店閉めるし1000円でいいよ。」

    カツオを炙った香ばしい香りが鼻をくすぐる。
    スーパーと全然違う。

    「ありがとうございます。また来ます。」
    「あいよ、スーパー来る前にこっち来な。炙ってあげるから」

    おばさんにお礼を言って最初のスーパーへ走った。
    俺は走る。
    大人だけど、なんかうれしいから。

    100mも走らないうちに足の痛みと息切れが襲ってきた。
    やっぱメロスってすごいな。

    どうでもいいことを考えながらスーパーまで歩く。
    汗をかいた背中を秋風が撫でていく。
    手に持ったビニール袋からまだ香ばしいにおいがする。

    スーパーでオオバ、ミョウガ、ニンニク、ショウガを回収して帰宅。
    風呂に入り、名脇役と主役の準備をととのえた。
    芋焼酎を傍らにすべての役者は揃った。

    いざ、至福の時……。

    至福の時は終わり、食卓を片付けソファに横になる。
    鼻に残った香ばしい香りに深呼吸して別れを告げる。
    もう一度だけ深呼吸をして、
    スマホのマリッジリンク結婚相談所のアプリを立ち上げた。


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