
支えることと、支えられること
お久しぶりです、少しnoteおやすみしてました。
おやすみしてる間にいろいろと考えることがありました。
最近 作業所では"人間関係"に
ついて個人的に考えることが多いです。
そもそもB型作業所は無理をしてまで
通う場所ではないと思います。
体調が優れなかったり気持ちが
追いつかなかったりするとき、
それは身体や心が少し休みたいと伝えている
サインなのかもしれないですね。
だからこそ休むことに必要以上の
罪悪感を抱かなくてもいいと思っています。
それも自己防衛のひとつだと思っています。
せっかく作業所に頑張って足を運んでも
かえって心や身体が疲れてしまったら
元も子もない。
もちろん、少しずつ外に出るきっかけを
つくることも大切なのだと思う。
ただ、その人の状態や気持ちを
十分に汲み取らないまま何かを
促してしまうと励ましのつもりが
負担になってしまうこともあります。
言葉の受け取り方は人それぞれだし
何気ない一言が思っている以上に
心に残る人もいます。
それは言葉だけではないです。
何気ない態度や表情、ちょっとした物音、
日々のやり取りの中で生まれる小さなすれ違い。
ひとつひとつは些細なことでも、
人はそれが積み重なれば足を運ぶこと自体が
億劫になってしまうことだってあると思う。
だからこそ誰かを支える立場にある人も
自分の何気ない言動が相手にどう伝わっているのか、
ときどき立ち止まって考える時間が必要なのではないだろうか。
もちろん、これは支援する側だけの
話ではないと思います。
支援される側にも言葉にできない気持ちや
いろいろな事情があります。
通所すること自体にエネルギーが
必要な日もあれば何気ない出来事が
きっかけで次に足を運ぶことが
難しくなることもあります。
周りから見れば些細なことでも本人にとっては
大きな負担になっているかもしれないことも
多いと思います。
人と関わる以上、自分の言葉や態度が誰かに
どんな影響を与えているのかわたし自身も
気をつけていきたいと思います。
障がいの有無に関係なく、
人は誰でも安心できない場所や関係の中では
少しずつ疲れてしまうものだと思う。
支援する側と、支援される側。
立場は違っていても、どちらか一方だけが
気をつければいいというものでは
ないのかもしれないですね。
誰かを支えるということ。
誰かに支えられるということ。
その狭間にあるものについて
改めて考えてみたいです。