
「ムヒカは聖人ではなかった」――クーデターの朝に私が見た青空が、日本政治に突きつけるもの50年前、私は南米を仕事で歩いていた。
「ムヒカは聖人ではなかった」――クーデターの朝に私が見た青空が、日本政治に突きつけるもの
50年前、私は南米を仕事で歩いていた。
ウルグアイにも足を踏み入れた。
当時のウルグアイは「南米のホワイトユートピア」と呼ばれ、豊かな牧畜国家として知られていた。
プンタ・デル・エステの美しい海岸。
澄み切った空気。
牛肉をめぐってアルゼンチンと競い合う国。
私の記憶に残っているのは、そんな静かな国の姿だった。
しかし、私が本当に南米というものを身体で理解したのは、ウルグアイではなかった。
アルゼンチン、ブエノスアイレスだった。
1.クーデターの朝、私はホテルで震えていた
若い頃、私はTEACの仕事で南米にいた。
ある朝、ラジオからクーデターのニュースが流れてきた。
私はホテルの部屋に閉じこもった。
「何が起きるのか分からない」
日本で育った私にとって、クーデターとは軍車両が街を占拠し、人々が逃げ惑う、そんな映像の世界だった。
ところが、しばらくするとホテルのドアをノックする音がした。
現地のアルゼンチン人代理店社長だった。
当時、70歳になる前だったと思う。
彼は私に言った。
「メシでも食いに行こう」
私は驚いた。
クーデターなのに?
街はどうなっているのか。
恐る恐る外へ出た。
すると、そこには青空があった。
雲ひとつない。
そして公園では、子どもたちがサッカーをしていた。
ボールを追いかけている。
笑っている。
遊んでいる。
私は、この光景が今でも忘れられない。
社長に聞いた。
「大丈夫なんですか?」
すると彼は笑って言った。
「私も子どもの頃、革命があった日は学校が休みになったから、サッカーをして遊んでいたよ」
この言葉には衝撃を受けた。
日本人の私にとって「革命」や「クーデター」は、人生を根底から破壊する異常事態だった。
しかし彼にとっては、それも歴史の中で何度も起きてきた現実だった。
もちろん、だからクーデターが良いという話ではない。
弾圧も、死者も、自由の喪失もあった。
しかし同時に、人間の生活は政治だけでは止まらない。
政治が揺れても、子どもはボールを追いかける。
人間は飯を食う。
仕事をする。
家族を守る。
そして翌日を生きる。
私はあの日、教科書ではなく、自分の目で「政治と生活の距離」を見た。
⸻
2.だから私は「ムヒカ聖人論」に違和感がある
ホセ・ムヒカは、日本では「世界で一番貧しい大統領」として知られるようになった。
質素な家。
古いフォルクスワーゲン。
質素な生活。
そして、貧富の格差や消費社会を批判する言葉。
確かに魅力的だ。
しかし、私はムヒカを「聖人」として扱うことには反対である。
なぜなら、彼は聖人ではないからだ。
若い頃のムヒカはトゥパマロスの武装闘争に参加し、逮捕され、長期間にわたって投獄された。
つまり彼は、国家権力の外側から政治を変えようとした人間だった。
その過去を抜きにして、「優しいおじいさん」としてだけ語れば、ムヒカという政治家の本質を見失う。
むしろ面白いのは、
武力闘争を経験した人間が、最終的には民主主義の制度の中で政治を行った
という事実である。
ここにムヒカの人生の本当の重みがある。
⸻
3.しかも、ウルグアイの改革は「ムヒカ一人の功績」ではない
ここは日本の報道にも注意が必要だと思う。
例えば、ウルグアイの「プラン・セバル」。
公立学校の子どもたちにコンピューターを提供するという画期的な教育政策だ。
しかし、これはムヒカ政権から始まったものではない。
2007年、タバレ・バスケス政権の時代に始まっている。世界銀行も、ウルグアイの教育改革として、この時期の教育政策やフルタイム校の拡大を記録している。(世界銀行)
つまり、
「ムヒカがウルグアイを先進国にした」
と単純化するのは間違いだ。
ウルグアイには、それ以前から積み重ねてきた制度、政治文化、教育政策がある。
同性婚、中絶、大麻規制なども同じだ。
ムヒカ政権期に重要な改革が進んだことは事実だが、それを一人の英雄の物語にしてはいけない。
これは日本の政治を見るうえでも重要な視点だ。
国を変えるのは、一人の英雄ではない。
制度を作り、反対派と戦い、議会を動かし、行政を動かし、次の政権へ引き継ぐ。
その積み重ねである。
⸻
4.それでも、ムヒカから日本が学ぶべきものがある
私は大麻政策に注目したい。
2013年、ウルグアイは世界で初めて、国が大麻の生産・流通・販売を包括的に規制する制度を導入した。
ところが、ここが重要だ。
当時、国民の多数は賛成していなかった。
2012年には反対が66%。
2013年にも61%前後が反対。
法成立後の2013年12月調査でも66%が反対だった。(Emol)
つまり、
「国民が望んだから改革した」のではない。
ここが日本の政治と大きく違う。
もちろん、反対を押し切ればいいという意味ではない。
民主主義では国民の意思を無視してはいけない。
しかし政治家には、もう一つの仕事がある。
「今、人気があるか」
ではなく、
「今の制度を続けた場合、10年後に社会はどうなるのか」
を考える仕事だ。
禁止しても地下市場が消えない。
犯罪組織に利益が流れる。
ならば、国家が管理してしまう。
この発想には、好き嫌いとは別の「政策としてのリアリズム」がある。
実際、研究でもウルグアイの大麻規制は、国民の強い支持によって成立した政策ではなく、政府主導で進められたことが指摘されている。(PubMed Central (PMC))
⸻
5.しかし、ここでも「ムヒカ=成功」と単純化してはいけない
ここが今回の私の批判である。
大麻合法化を行ったからといって、犯罪問題が全部解決したわけではない。
教育も同じだ。
子どもにコンピューターを配れば教育問題が解決するわけではない。
世界銀行も、ウルグアイの教育について、ドロップアウトや社会経済的背景による格差などの問題を指摘している。(世界銀行)
つまり、
ハードを配ることと、人間を育てることは違う。
ここは日本にもそのまま当てはまる。
タブレットを配る。
AIを導入する。
デジタル化する。
補助金を出す。
制度を作る。
しかし、それで現場が変わったのか?
人間の能力が上がったのか?
生産性が上がったのか?
若者が未来を感じるようになったのか?
ここまで検証しなければ改革とは言えない。
⸻
6.日本の問題は「平和」ではない。「平和を利用して考えなくなったこと」だ
私は「日本は平和だからダメだ」とは思わない。
平和は素晴らしい。
戦争もクーデターも経験しない社会のほうがいい。
問題は、その平和を、
「何もしなくても明日は来る」
という錯覚に変えてしまったことではないか。
南米で私が見たのは、政治が揺れても生活を続ける人々だった。
日本で私が感じるのは、制度が明らかに限界に来ても、
「検討します」
「慎重に検討します」
「関係者と協議します」
「今後の課題です」
と言って、問題を先送りする政治である。
私はここに大きな違いを感じる。
南米の人々が政治を恐れながらも現実を生き抜いていたのに対し、日本では政治が安定しているがゆえに、政治家自身が現実から遠ざかっているのではないか。
⸻
7.ムヒカから学ぶべきなのは「清貧」ではない
私はムヒカの古い車や質素な暮らしを、日本人が真似する必要はないと思う。
そこではない。
学ぶべきなのは、
「嫌われる可能性があっても、必要だと思う政策を実行する政治家の覚悟」
である。
ただし、それには条件がある。
結果を検証すること。
失敗したら認めること。
反対意見を聞くこと。
制度を修正すること。
そして、国民に説明すること。
ムヒカを英雄にする必要はない。
むしろ、
「彼は何を間違えたのか」
まで検証することが、本当のムヒカ研究ではないだろうか。
⸻
8.私がクーデターの朝に見たもの
あの日のブエノスアイレス。
私はホテルの部屋で震えていた。
しかし外に出てみると、青空が広がっていた。
公園では子どもたちがサッカーをしていた。
政治は動いていた。
しかし生活も動いていた。
この記憶が、50年経った今も私の中に残っている。
だから私は、政治を見るときに「政治家の言葉」だけを見ることができない。
その政治によって、
人間の生活はどう変わったのか。
子どもたちは笑っているのか。
若者は未来を感じているのか。
企業は挑戦できるのか。
高齢者は安心して暮らせるのか。
そして、10年後の社会は今より良くなっているのか。
そこを見る。
⸻
9.「平和の空虚」とは何か
日本は平和である。
だからこそ、政治家は失敗しても命を失わない。
制度を先送りしても、翌朝また国会が開かれる。
決断しなくても、給料は支払われる。
責任を曖昧にしても、時間が問題を隠してくれる。
私はこれこそが、日本の危険なところだと思う。
クーデターが起きる必要などない。
戦争が起きる必要もない。
社会は静かに衰退することができる。
人口が減る。
地方が消える。
書店が消える。
企業が弱る。
若者が海外へ出る。
教育が停滞する。
政治への信頼が失われる。
それでも街には青空が広がっている。
コンビニも開いている。
電車も走っている。
だから危機に気づきにくい。
私は50年前、クーデターの朝に青空を見た。
そして今、日本の「静かな衰退」の中にも青空がある。
しかし、
青空があることと、社会が健全であることは同じではない。
⸻
結論――私がムヒカから学びたいのは「貧しく生きること」ではない
ムヒカは聖人ではない。
ウルグアイも理想郷ではない。
大麻政策にも賛否があり、教育にも問題が残る。
そしてウルグアイの改革をムヒカ一人の功績にすることも間違っている。
それでも、彼の政治人生には日本が学ぶべきものがある。
それは、
現実を見ること。
反対されることを恐れないこと。
制度の目的を問い直すこと。
そして、自分の決断の結果から逃げないこと。
私は50年前、アルゼンチンの空の下で、それを別の形で見た。
クーデターの朝でも、子どもたちはサッカーをしていた。
政治がどれほど揺れても、人間は生きる。
だからこそ政治には、人間の生活を守る責任がある。
日本に必要なのは、ムヒカの質素な生活を真似ることではない。
「決めるべき時に決める政治」
なのではないか。
そして、失敗したら、
「間違えました」
と言える政治ではないか。
私の記憶の中には、今でもあの日の青空がある。
その青空の下で走っていた子どもたちの姿がある。
50年経った今、私はあらためて問いたい。
平和とは、何もしなくても続くものなのか。
それとも、次の世代のために、毎日つくり直していかなければならないものなのか。
私は後者だと思う。
だから、まだ諦めない。
#ウルグアイ #ホセムヒカ #ムヒカ #アルゼンチン #ブエノスアイレス #クーデターの朝 #南米の記憶 #政治リアリズム #民主主義 #政治改革 #先送り国家 #日本政治 #教育改革 #大麻政策 #プランセバル #TEAC #日本の未来 #覚悟 #諦めない