
思考する、夜のハイウェイ。
意味がわかるとガッカリする言葉がある。
たとえば「東名高速道路」がそうだ。
幼い頃に東京に住んでいた。
父がドライブが好きだったものだから、
お盆か正月になると新潟の実家に車で向かった。
いつもは街中が寝静まる時間に、
コソコソと車に乗り込むのである。
私はこのイベントが大好きだった。
真夜中に走る高速道路は、
まだこんなにも人が起きているのか!
という驚きがまずあった。
サービスエリアで深夜に食べる、
アメリカンドッグは大変うまい。
お尻のカリカリの部分まで、
こそぎ取るように食べた。
トンネルでビュンビュンと風を切る、
スピード感あふれる演出もいい。
逆に赤いテールランプが点滅して、
ノロノロとしか進まないのも趣があった。
速いのもいいし、遅いのもいい。
父と母の会話を聞くのも良かった。
内緒話をするみたいにくすくす笑ったり、
大人だけが食べれるお菓子を食べ合う。
そんな横顔や仕草を盗み見ると安心できた。
いつまでも起きていられる気がしたが、
0時を過ぎるとそろそろ寝なさいと怒られる。
私は素直に後部座席に仰向けになる。
実は高速道路の良さはここからなのだ。
仰向けのまま、車内の天井を見る。
引き離した高速道路の街灯の光が、
連続して車内に入り込んでくるのがよくわかる。
父も母も車も、縞模様の装いになる。
父とよく釣りに行っていて、
白と黒の縞模様の魚を釣ったことがあった。
たぶんイシダイの稚魚だったと思う。
そのせいか。
前方も後方も、隣り合う車のすべてが、
イシダイの成魚にすり替わるのだ。
巨大な群れとなって夜を泳ぎだす。
光は一定のリズムで
私の顔にも容赦なく流れる。
光が顔を洗っていく。
濡れているはずないのに、
ひんやりとした水面を漂うような。
そんな感覚に身を浸すのだった。
車内ではうるさくない音量で、
ラジオがかかっている。
各地方の高速道路の渋滞情報だけ、
父はツマミを回してボリュームを上げた。
「この調子だと早そうだ」
「京都の下りはきつそうだな」
「早めに出て正解だった」
などと、そんなことを言う。
その時にはじめて、
私はどこかの高速道路が、
透明であることを知ったのだ。
ラジオパーソナリティが確かに、
「透明高速道は、10キロの渋滞」
と口にしたのを聞き逃さなかった。
なんて危険な!
とっさにそう思ったが、
そりゃそうだとも思った。
透明なんだからみんな慎重に運転するだろう。
それであれば渋滞になるのは必至である。
当時、スーパーファミコンの
マリオカートをやっていた時期で、
なぜかレインボーロードが脳裏に浮かんだ。
その後、
透明高速道路がどこにあるかを聞くと、
東京と名古屋を繋いでいることが判明した。
もちろん、
東京と名古屋の頭文字を取って、
「東名」と成るロジックは判らなかったし、
そもそも名古屋という場所がどこにあるかも判らなかった。
でも、そんな細かいことはどうでもよかった。
透明な高速道路がある、
重要なのはそれだけなのだ。
そんな魔法のような道路があるというのに、
当たり前のような顔をする両親が不思議でならなかった。
当時はやく大人になりたいと思っていたが、
大人って案外つまんないのかもしれない。
そう思ったのはこの時がはじめてだった気がする。
私がムキになっていくのに対して、
両親もなにか食い違いがありそうだと察して、
やっとのことで「東名」を「透明」と理解した。
そして、大笑いした。
それに激怒した私は、
両親が謝る声に耳を貸さずに、
ふてくされてそのまま寝た。
怒っていると差し込んでくる神秘の光は、
ぜんぜん海っぽくなくてつまらないものだった。
光はあっという間に、機械信号へと成り下がった。
翌朝、父は東名高速道路が、
なぜ東名なのか丁寧に解説した。
なんてくだらない! と憤慨したし、
呼称した人を勝手に恨んだりもした。
あと、勘違いした自分がいかにも子供っぽくて、
言いようのない恥ずかしさも覚えた。
そのほかにも、
「波浪警報」は「Hello警報」だと思っていた時期もあった。
なんて陽気な警報だろうと小躍りしたくなった。
しかし、よくよく観察すると、
「波浪」という漢字が割り当てられてるようだった。
高波警報とかでいいじゃんか、と普通に思った。
政治家が怒った時に発する絶妙な言葉もある。
相手の行動にガッカリさせられてしまった日には、
「イカンのイ!」と相手に言うようだった。
いい歳してるおじさんたちが、
はしゃいでてずいぶんと楽しそうだなぁ、
と子供ながらに微笑ましく思ったものだった。
それが「遺憾の意」だったとは。
これはこれで間抜けだろう。
残念ですよ!
とただ相手に伝えて一体どうなるというのだ。
真実を知って、逆に呆れたくらいだ。
このように、
曖昧のままの方が良いことが多くあった。
もしかしたら、
大人になることの条件の一つに、
言葉遊びに慣れるという側面があるのかもしれない。
たとえば「泣く」と「笑う」。
この間には無限の表情が存在する。
その感情が示すグラデーションの中には、
言語化をまぬがれた言葉たちが潜んでいる。
ドとド♯の間にも本来は音階があるように。
なのに、
いつからか私は「泣く」とか「笑う」といった、
利便性のために分断された言葉の中からしか
答えを探さなくなったのではないか。
そうなふうに考えて、ふと怖くなったりもする。
ただ、そんな中にも希望はある。
去年、
興が乗って大阪から新潟まで車で帰省したことがあった。
運転席には私。後部座席には妻と息子がいた。
その時サービスエリアで食べた、
アメリカンドックはやはり最高に美味かったし、
照明灯で縞模様になる私たちは綺麗だった。
言葉よりも先にやってくる感覚や感性は、
決して言葉に縛られることはない。
分類する必要もなければ、
まして劣化だってしない。
いつだって美しく鮮やかだ。
『沈黙の春』の著者でもある、
レイチェル・カーソンはこう言っている。
知ることは感じることの半分も重要ではない。
そう信じ直して握ったハンドルは、
ざらざらしていて少しひんやりとしていた。
まるで魚の背を撫でているみたいな。
そう思いつくと、
どこか愉快な心地がした。
大人になった高速道路もいい。
子供の頃に負けちゃいない。